川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

宇宙が身体に入ってくる⁉️

2024年05月30日 | 宗教
ホットヨガをしていたら、「自分を無くす」のではなく、「宇宙が身体に入ってくる」と言語化したらいいのだと知った。そう言語化できた。

それを知人に話したら、空海と同じですね、と言われた。

空海は、室戸岬で、「星が口から入る」経験をした。

明星来影。

宇宙が体に入ってくる。宇宙と一体化する。

〜〜〜
密教は、自分自身の中に大宇宙を含んでおり、大宇宙の中に自分自身が含まれているということを宗教体験の中で確認しようとする宗教です。
〜〜〜

空海の名言『谷響きを惜しまず。明星来影す。』(9月1日) | 雨寶山月輪寺 公式サイト

空海の名言『谷響きを惜しまず。明星来影す。』(9月1日) | 雨寶山月輪寺 公式サイト

この月輪寺公式ブログで、不定期連載している『空海の名言』。 これまで、以下の二つの名言を取り上げました。 『虚往実帰(きょおうじっき)』(前編・後編) 『性薫我を勧...

雨寶山月輪寺 公式サイト

 


へえ。

密教ってそういう宗教なんですね。

新井奥邃が言う「有神無我」も似たような境地だろう。

「自分を無にする」のではなく、「宇宙が身体に入ってくる」。

この発想の転換というか言語化の工夫は、他の何かにも役立ちそうだ。


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周りを見るな、上を見よ ー鳥取人権シンポジウムでのメッセージ

2024年05月27日 | 宗教
周りを見るな。他人と安易に比較するな。同調するな。

上を見よ。上と比較せよ。ロールモデル・尊敬する人を持て。「ロールモデルならどうするか」を自問自答せよ。

そう思う。

ーーーーーー

昨日、鳥取の人権シンポジウムで、「鳥取という人口50万の、人口が1番少ない県で、家庭連合問題について何ができるか?」という質問を受けた。

私の答えはいつも変わらない。

各人ができることを、「これ以上できない」ってくらいやってください。

私もやっています。毎日毎日、「一分一秒を無駄にしなかった」と胸を張れるくらい、仕事(や家事)に邁進しています。

エリートの定義は「他者のために自分を尽くし切る」人です。

「尽くす」人ではありません。「尽くし切る」人です。

サッカーの長谷部誠のように、「MAXのMAXまで」自分を出し尽くす人です。自分というリソースを使い切る人です。

禅語で「百尺竿頭、更に一歩を進めん」と言います。

断崖絶壁の、百尺の竿の先に立って、それでも更に先に進むのです。崖に落ちるのです。

限界までは誰でもできる。
限界を超えてからが勝負です。

ーーーーーー

対外的に何かをするでもなく、家事でも。掃除でも。

私だって、自宅リビングとダイニングの掃除をしてから毎朝出勤しています。きちんと細かいところまで綺麗にする。

「そこまでやるか」をどこまでやるか。

安易に妥協しない。


自分を基準にしない。平均を基準にしない。

すごい尊敬する人ならどこまでやるか。ロールモデルとする人ならどうするか。

家庭連合の方なら、「文先生とか韓鶴子総裁ならどうするか」を考えてはいかがでしょうか。

まずロールモデルを持つ。尊敬する人を持つ。

迷ったら、「ロールモデル・尊敬する人ならどうするか」を考える。

「信念を持つ」ってのは、結局は、こういう「人真似」作業だったりします。

「信念のある人の考えを借りる」のが実は「信念を持つ」ことの中身だったりします。

歴史を学ぶことの意義の一つはそこにあります。

だから私は昨日鳥取で少し言いました。

本を読んでください。

歴史には偉人はいっぱいいます。

インターネットやTwitter / Xにはあまりいません。

本を読んで、偉人に刺激を受け、偉人の考えを我が考えとしてください。

「上を見る」というのはこういう作業のことを言います。

ーーーーーー

勇気とは、孤独になること。孤独に耐えること。孤独を楽しむこと。

勇気を出せる人は出してください。「天下一人を以て興る」の気概を持ってください。

もちろん、一人では何もできないので、団結してください。他人の力をうまく借りてください。

ーーーーーー

鳥取の「人工最少県」というデメリットを、武器に変えてください。

ボトムアップをしてください。

人口最小の鳥取でも、ここまでできるの!?

って、他の県をギャフンと言わせてください。他の県をビンビン刺激してください。

それが全国の家庭連合信者を刺激し、人権運動を盛り上げ、世論を変えることに繋がり得ます。

小利口にならないでください。大胆に、無用意に、打ち掛かってください。

「コンマ1%でも価値がありそう」ならすべてやってください。

どうせやっても意味がないかとは思わないでください。

斃れて後已む。

成敗を考えずに、信じる道を進んでください。

成敗を考えない。

それが世俗とは異なる宗教の価値ではないでしょうか。

世論的な成敗の観念から離れる。

古今東西の宗教家は、そうやって時代を切り開いて来たのではないでしょうか。

大難大変に遭うて動転せぬというはまだしきなり。
大難大変に遭うては、欣喜雀躍して勇み進むべきなり。

葉隠で山本常朝は言いました。

今こそ欣喜雀躍して勇み進んでください。






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家庭連合の合同結婚式(祝福)の半分は...

2024年05月26日 | 宗教
今日の鳥取シンポジウム(の後の懇親会)で聞いた話。

家庭連合の、悪名高き、合同結婚式ってのがある。家庭連合では「祝福」と呼んでいる。

いわゆる「教祖が勝手に配偶者を決めるマッチング」と思われている。今は、教祖が決めるわけでもなければ、当人の意思に反して「勝手に」相手が選ばれるわけでもないんですが。

その、まだまだ誤解されている合同結婚式(祝福)の、半数以上が、「すでに結婚している人の再スタート」なんですね。

つまり、すでに結婚している夫婦の一方が、入信する。ないしは、入信している人が、(信仰のレベルが薄いからだろうか)合同結婚式によらずに、結婚しちゃう。

そういう「既婚者カップル」が、夫婦がともに家庭連合の教義を信じて、2人ともが信者として再スタートする。

そういう「既成祝福」が、合同結婚式の、半数以上を占めるらしいです。

家庭連合さんの仕事を1年半以上している私でも、知りませんでした、、、

まだまだ知らないことはたくさんありそうです、、、
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家庭連合の修練会は素晴らしい

2024年05月26日 | 宗教
家庭連合さんに、修練会ってのがあって、いろいろあるんでしょうが、私が聞いたのは、2世(子女)が、合宿に行く。その合宿を修練会と呼ぶ。

多少、原理講論とかを学ぶセッションもあるようですが、要するにピクニックというか合宿というか遊びというか。

タダ(無料)のことが多いよう。親御さんが献金しているから。

修練会は、日本津々浦々でやりますが、海外でも、やる。

例えば、2世信者の小嶌希晶さんは、アメリカ、ブラジル、タイ、フィリピン、韓国、などの修練会に行ったそうです。アメリカ(西海岸)の修練会が「アメ修」と言われて人気だそうな。

10代のころから、世界に出れる、ってのはいいですね! 例えば、フィリピンの、スラム街とかを見て、言葉も喋れないような孤児を目の当たりにする。 

すごく刺激になる。日本が如何に恵まれているかが、分かる。こういう「橋をかける」行為が、世界平和に役立ちます。

また、「親からの教育」だけではなく、こうして「コミュニティが面倒を見る」ってのは、子供の価値観の多様化に役立ちます。

 こちら(参考記事)

霊感弁連とかマスメディアとか文科省は、家庭連合の献金がさも「金儲けの搾取」みたいな言い方をしています。

しかし、各家庭の献金は、こういう「草の根国際交流」すなわち「世界平和の礎(いしづえ)」として使われているんです。

メディアさんには、本当はこういうことも公平に報道していただかないといけない。
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西郷隆盛は聖書を教えていた

2024年05月25日 | 宗教
西郷隆盛はクリスチャンだった。

具体的には:

・先君斉彬から漢訳聖書を与えられていた
・明治6年に横浜で洗礼を受けた。
・鹿児島に帰った明治6年から9年ごろ、鹿児島で聖書を教えていた。

そんなことを紹介するサイト こちら

以下の本も、こういう「西郷クリスチャン説」を前提にしている。

 
千葉に敬愛学園って学校法人がある。


文字通り、西郷の有名な「敬天愛人」から、敬愛。

サイトを見るとクリスチャン系ではなさそうですが、たぶんほとんど西郷クリスチャン説に従った教育をしているはず。

____________

ちなみにウィキでは「敬天愛人」は中村正直がオリジナルと書いていますが、これは間違い。

中国の康煕帝です。 こちら

どなたかウィキを改定してください、、
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インテグリティと良心 ーエマソンと文鮮明

2024年05月21日 | 宗教
私の専門のインテグリティってのは、お天道様とか良心とか誠実さ・高潔さ。

「不完全な人間が完全を目指して謙虚に向上心を持って歩むプロセス」って理解しています。長くてすいません。

前稿(こちら)で紹介したエマソンがこう言っています:

Nothing is at last sacred but the integrity of our own mind. 
我々の心のインテグリティだけが神聖だ

って。 

クリスチャンには批判も多い。自分が一番偉いのか。偉いのはGodだろう、って。

ーーーーーー

ここからは家庭連合さんに対するエールとして。

家庭連合の教えの

「良心は両親に優る。良心は先生に優る。良心は神様に優る」

ってのも、このエマソンの考えと同じですね。

オレ様教祖文鮮明様の言うことを聞け、と言っていないのがいい。

私、先生(文鮮明の一人称)よりも、自分の良心を大事にしなさい。

両親よりも、教祖(メシアの私)よりも、神様よりも、自分の良心を大事にしなさい。

素晴らしい。

素晴らしい教えではないか。この教え一つをとっても、カルトではないな、と僕は思っています。
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To be great is to be misunderstood 偉大であるということは誤解されること

2024年05月21日 | 宗教
To be great is to be misunderstood   
偉大であるということは誤解されることだ。

アメリカの詩人・思想家・哲学者のラルフ・W・エマソンの言葉。
エマソンは、日本の吉田松陰みたいな人で、オバマ大統領その他多くに尊崇された。

私の大好きな言葉ですが、家庭連合の方に、慰めと応援歌として、贈ります。

偉大であると理解されません。
偉大だと誤解されます。

英雄は常に誤解されます。
家庭連合も誤解されています。

祝福(合同結婚式)も誤解されています。
私もつい最近まで誤解していました。ってか、何も分かっていませんでした。

教祖がテキトーにマッチングするキモいイベント。
人はそう誤解しています。私もそう思ってました。

違います。

世界平和への修行なんです。
草の根で、世界の垣根をなくす、平和運動なんです。

人種、国籍、文化、言語、全く違う人と結婚する。
垣根を越えて、一生やっていく。

人生を賭けて、人種、国籍、文化、言語、これらみんなを乗り越える、壮大で勇壮で高尚で荘厳な、一大イベント。

これにより、性も、我欲も、肉欲も、我執も、乗り越えんとするのでしょう。こういう「自分の弱く醜い心」に打ち克とうとする儀式なんじゃないですか? 

祝福についていい本があったら教えてください。

ーーーーーー

祝福のみならず、統一運動も。
政治、経済、宗教、学問、言論。
この5個の分野で、分断ではなく統合・統一を目指し、我執を離れ、世界平和を実現せんとする。

素晴らしいではないですか。
まことに壮大ならずや。

偉大だと、誤解されます。理解されません。嫉妬もあったりするから。
笹川良一も、偉大すぎるために誤解されました。 こちら

喬木に風強し。
高い木には強い風が当たる。
偉大な人間には強い批判があたるんです。

To be great is to be misunderstood  
偉大であるということは誤解されることだ。

解散の危機に瀕した今、誤解されたままでいい、と開き直ってしまっては困るけれど。
偉大だから誤解されたんです。

誇りを持ってください。自信を持ってください。
そして「これ以上できない」ってくらい頑張ってください。私も頑張っています。

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広島で平和シンポジウム  ー「説明」と「説得」の違い

2024年05月20日 | 宗教
昨日日曜日は、広島で、平和シンポジウムに出席してきました。画像は、通りすぎた原爆ドーム。

UPF魚谷さんの、

① 統一運動とは何か、
② UPFとは何か、
③ 安倍元首相がUPFに送ったビデオメッセージは何か、

のプレゼンがすごくよかった。

テキストでは伝わらない。しゃべりでないと通じない。間断のない立板の水の如き説明。

おって動画がアップされるのを期待します。

私も、統一運動のこれまでの役割と今後の展望をお話ししてきました。

話しながら、準備しながら、打ち上げで広島名産の牡蠣とお好み焼きをおいしく食しながら、

 統一運動・家庭連合は、笹川良一にそっくりだな

と改めて思いました。 
 
 ↓ 笹川良一とマブダチみたいな文鮮明



良すぎるから理解されない。
敵が増えても誤解を正そうとしない。

笹川良一も、毀誉褒貶どころか毀々貶々の人だった。
その批判をものともしない、というか、むしろ悪名を楽しんでいるようなところがあった?

でも、死後、東大名誉教授の佐藤誠三郎から「異次元からの使者」と呼ばれるほど、高評価された。



「異次元からの使者」…要するに「宇宙人」だと。
人間離れしている、と。
常人には到底理解できない。

三男の笹川陽平さんが、父の汚名を晴らそうと、やはり同じく東大名誉教授の伊藤隆さんの協力を得て、笹川良一の事績をきちんと後世に残した。

陽平さんプロデュースで編まれた伊藤隆の「笹川良一 三部作」みたいのがある。




笹川父子は、2代かけて、世代を超えて、誤解を正そうとしている。

ーーーーーー

統一運動も似ている。

政治、経済、宗教、学問、言論、、、 

こんなたくさんの分野で、One family under God を目指し、分断ではなく統合を考え、世界平和を希求しようとした。

規模の割には、壮大すぎる夢を掲げ、文鮮明師の生前にいろいろ実現させようと、焦った。焦りすぎた。

その「焦り」が世間との軋轢を生んだ。霊感商法とか批判された。反社呼ばわりされた。

私も最近ようやく分かってきたのですが、合同結婚式(2−3割は、外国人と結婚する)というのも、「世界平和」の実現手段。
人種も、国籍も、文化も、言語も違う相手と、一生、仲良くやっていく。

めちゃくちゃチャレンジング。タフ。
でもそれが、「世界平和の第一歩」なんだと思って、当事者たちは懸命に頑張っている。耐えている。いや、「耐え楽しんで」いる。耐え「忍んで」いるのではなく。

喜び勇んで、異国からの配偶者と、仲良くやろうと、もがいている。「もがき苦しむ」のではなく、「もがき喜んで」いる。

合同結婚(祝福)は「世界平和の草の根チャレンジ」「世界平和のためのメチャタフな草の根運動」なんですね。

それをそう説明しようとしない。ないしは説明が足りない。

失礼を承知で言いますと、、、

ハタから見るとアホですよ。

結婚という人生最大の決断において、自分の好みで相手を選ぶのではなく、自己の信奉する教義に従って、世界平和実現のために、全く言葉が通じない人と暮らし続けるという、メチャタフなことにチャレンジするのですから。

クレイジーです。

そのクレイジーなところも含めて、笹川良一と一緒だ。

素晴らしすぎることを理解されようとしない点が。
常人の理解を超えた「斜め上」の高いボールにチャレンジして、ニヤニヤ笑ってそのエキセントリックなことを説明しない点が。

かつて「家庭連合はドMだ」と書きました。 こちら

訂正します。

ドMではありません。超ドMです。
ドが10回くらい付く超ドM。
ドドドドドドドドドドドドM。

そのマゾヒスティックなことを、辛いとは思わず、一周回って、楽しんでやっている。

それが統一教会・家庭連合です。

ーーーーーー

自分たちが「正しい」「良い」から、くどくど説明する必要はないだろう。
俺たちの世界が正しいんだから、いちいち全てを理解してもらう必要はないさ。
私たちの良さ・素晴らしさは、どうせ説明しても分かるまい。

霊感弁連にはどうせ説明しても分からない。彼奴らは理解しようとはしない。

でも世間は、メディアは、政府は、裁判所は、さすがに分かってくれるだろう。

そんな諦観、超然、諦め、傲慢、油断、甘さがなかったか。

この60年。

そのツケがきた。

見立てが甘かった。

霊感弁連どころか、メディアも、政府も、それどころか裁判所も、あれ、、、霊感弁連と同レベルじゃないか。
みんな霊感弁連に取り込まれているじゃないか。

やば、俺たち解散しそうになっちゃっているじゃないか。

それが今の家庭連合が置かれている状況では。

ーーーーーー

自分たちが「良い」から説明しなくてもいいさ。説明すれば分かるさ。

違う。

家庭連合は「良すぎる」から、世間との軋轢を生んできた。摩擦を起こしてきた。
だって理解できないから。世間には。宇宙人だから。クレイジーだから。

世間の、ダメな、低いレベルに身を落として、その摩擦と軋轢を和らげる努力が必要。
インターフェイス(接点)を考え直すことが必要。

そう。

老子の言う「和光同塵」が大事。
光を和らげて塵と同じうす。

光を和らげてください。
眩しすぎると、世間から敬遠され、嫌われ、忌避されるのです。
笹川良一のように。

塵と同じうしてください。
塵のレベルに下がってきてください。
世間の塵芥は、ご想像されるより、遥かに、醜く、汚く、邪悪なんです。

ーーーーーー

具体的に、解決策を提示しましょう。

家庭連合に必要なのは、「説明」ではなく「説得」。

「説明」と「説得」はどう違うか?

気迫の有無。覚悟の有無、です。

「説明」する人には気迫がない。覚悟がない。

まあ誰も説明しないなら、しゃあねえな、私が説明しますか。
こうやって、「仕事」で説明をしている。多くは嫌々と。

違う。

「説得」は違う。気迫と覚悟がある。

この概念を、絶対に、相手に、理解して納得してもらうんだ。

そんな危機感と悲壮感と使命感がある。

それが「説得」。

ーーーーーー

家庭連合さんは、10年とか30年くらいをかけて、世間を「説得」しにかからないといけない。
「説明」ではなく。

その「覚悟」があるか。その「覚悟」を持てるか。

独り田中会長のみではなく。渋谷松濤の幹部諸氏だけの話ではなく。

食口(シック、信者)一人ひとりが、家族、周り、知人、上司、、、 この辺をしっかり「説得」できるか。

ここに家庭連合の課題と希望と展望があるのではないでしょうか。
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貧乏人こそ寄付をせよ

2024年05月18日 | 宗教
仏教の教えでは、裕福な人からではなく、まず貧乏人から寄付をせよ、って考えるんですね。

お釈迦様がそう言っていたんだって?

伊勢神宮の神主さんみたいな方の本にそう書いてありました。



貧乏人がお布施をする。

その機会を作る、いいことだから。


普通は貧乏人は社会貢献できない。

でも、貧乏人がお布施をすることで、社会貢献できるから。

ーーーーーー

ですって。ふむむ、、 やや詭弁的な感じもしますが、、笑

宗教というのは奥深いですね。
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祈りとは

2024年05月13日 | 宗教
祈りとは。

祈りとは、感謝である。

ーーーーーー

若くして、幼子を遺して死んだ井村和清さん。

15歳くらいからクリスチャンでした。

誰も恨まず、感謝の言葉を遺して旅立ちました。

祈りとは感謝である。

私もそう思う。




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家庭連合の人数は19番目

2024年05月12日 | 宗教
島田裕巳教授の推計によれば、家庭連合の人数は、新興宗教の中で、日本で19番目。

既存宗教を入れると、25番目くらい?

創価学会の100分の1くらい。

メジャー宗教の100分の1で、かつ、日本で約25番目にしかすぎないのに、時の政府と「ズブズブ」な関係を保ち、政策に影響を与えることができるのか。

与えることができるとして、どれくらいの影響を及ぼすことができるのか。

冷静に考えれば分かりそうなこと。

ーーーーーー

「安倍元首相と家庭連合のズブズブの論拠を明確な論拠を持って語れるのは私しかいません」と豪語した鈴木エイト氏は、約2年経って、何ら明確な論拠を示すことができず、名誉毀損事件の被告になっている。

数字や、ファクトから、考えましょう。



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家庭連合さんの生存戦略

2024年05月08日 | 宗教
家庭連合さんの生存戦略は、「人間的な葛藤・悩み・逡巡・煩悶」を示していくのがいいと思う。

共産主義とか左翼とかマスゴミとか政府批判とかではなく。

マインドコントロールされてない、生身の、等身大の、ありのままの、人間を。

 もちろん、状況と場合により、生存戦略はいくつもあるでしょうが、なんとなく、思いました。

一つのきっかけは、石川明人さんの本で、

「イエスも最期は迷って煩悶したんだ。だから人間が迷って煩悶するのは当然なんだ。神とか宗教を信じることができない瞬間があってもいい」

的に書いてあったところを読んで。冒頭画像です。

イエス最期のセリフ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」にはいろんな解釈がありますが、石川さんは、「イエスの人間的な迷いと葛藤を表現したもの」的に解釈していました。




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内村鑑三の再臨運動と文鮮明

2024年05月06日 | 宗教
内村鑑三が再臨運動(イエスの再来キャンペーン)を始めたのは1918年。



文鮮明の生誕は1920年。

この近接性から、家庭連合における文鮮明メシア論を結びつける方がいらっしゃった。

ググってもこの関係に論じている文章は見当たらない。

私はキリスト教の洗礼も受けておらず、イエスの再臨を本気で信じているとは言えないし、家庭連合の教義も信じているわけではないので、この符合に宗教的な意味を与えようと思っているわけではありませんが、クライアント及び宗教一般を知る一端の、備忘録として。

家庭連合信者の方で、この両者(内村再臨運動と文先生の生誕年)に意味を持たせている方は、どれくらいいらっしゃるのでしょうか? 

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聖典のつまみ喰い

2024年05月06日 | 宗教
「聖典」はほんとうに聖典なのか。

聖典とされるものにも、今の時代にそぐわない記述がある。

冒頭の、剣呑な記述は、マルティン・ルターの残した言葉。キリスト教が愛を標榜する平和主義的な宗教なのか?って問題提起。

聖書の記述をそのまま現代にすべて通用させることができるのか?

離婚とか、女性の扱いとか、体罰とか、献金に関することとか、とても今にはそのまま聖書を「逐語的」に適用できない記述が多い。

イエス最期の金曜日、エルサレムの神殿で、金儲けする人にブチギレして、イエスがちゃぶ台ひっくり返したみたいな「暴れん坊」エピソード。

 マタイ21:12−17
「すべての民の祈りの家」 | 寒河江(さがえ)キリスト教会ブログ

「すべての民の祈りの家」 | 寒河江(さがえ)キリスト教会ブログ

   日曜日の礼拝で牧師がお話した聖書のメッセージです。「すべての民の祈りの家」   2013.9.22マタイの福音書21章12‐17節...

寒河江(さがえ)キリスト教会ブログ

 

あまりに人間的すぎないか。三位一体説を取れば、イエス=神。神がブチギレしてちゃぶ台蹴っ飛ばしていいのか?

エホバの証人がつい最近まで体罰を容認していたのも、旧約聖書で「体罰(愛の鞭)を控えちゃダメ」って書いてあるから。

「聖書をそのまま実践しようとした」ことだけで一冊の本になったりする。



同様に、聖書の教えに忠実であろう、とするのがキリスト教の一派・福音派になる。

要は、世の多くのクリスチャン(世界23億人)は、言葉を選ばずに言えば、聖書の「つまみ食い」をしている。

ーーーーーー

論語だってそうだ。

女子と小人は養いがたし

なんて、男尊女卑そのまんま。

まあ、2500年前のシナにおける文化と教育レベルの低さから、女性を低く見ざるを得なかったのも頷ける?

いや、理性重視の「男性脳」からしたら女子は養いがたし、って言えるだけであって、感性重視の「女性脳」からしたら、むしろ「男子は養いがたし」なんだろう。

私もいつも家では妻に叱られているし(笑)

この辺(男性脳と女性脳の違い)は黒川伊保子氏のトリセツシリーズに詳しい。



ーーーーーー

仏教だって似たようなものだろう。

ブッダの言葉はよく知りませんが、例えば日蓮の「我日本の柱とならん」とかの三大請願とかも、額面通り受け取っていい場合とよくない場合があろう。

禅語でも「仏に逢うては仏を殺せ」ってのがある。

仏を殺せ? 

額面通りに受け取るのか、それともその文脈を解釈するのか。

ーーーーーー

このように、どんな聖典も、揚げ足を取って、切り取って、文脈を無視して、悪意に解釈することはできる。

でも、どんな宗教も、ある程度の「つまみ食い」をしているのではなかろうか。

そしてそれでいいのではなかろうか。

ーーーーーー

最近は話題になりませんが、家庭連合の教典の『原理講論』の揚げ足をとって「反日だ!」と攻撃する論者・メディアがいました。

しかし、大事なことは、「経典になんて書いてあるか」ではなく、「今の信者がそれをどう解釈しているか」であるはずだ。

ーーーーーー

なお、本稿の論旨とは外れますが、「つまみ食い」をしないで、創始者の言ったことをそのまま生かしているのが、サイエントロジーさん。

日本では宗教法人とはなっていませんが、創始者ロン・ハバードが膨大な著作と講演を残して、それを「そのまま」生かすのがサイエントロジー。

トム・クルーズとかジョン・トラボルタで有名。トラボルタはサイエントロジーの教えを映画化までしている。

ロン・ハバードが亡くなったのが1986年。死後まだ38年。

いつまでロンの遺作の「逐語的実践」が続くか。見ものである。








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宗教はおしなべてカルトとして始まる

2024年05月04日 | 宗教
島田裕巳さんの最新刊。



「カルト」を結局定義していないところは隔靴掻痒感。

ただ、キリスト教を含め、宗教はおしなべてカルトから始まる、という点には同意します。

この見解には最初(1年前)は抵抗感あったけれども、今は私は受け入れている。

似たようなことは以下の本にも書いてました。



宗教の本質は世俗からの乖離。

その乖離が大きければ大きいほど、「カルト」認定されやすくなる。

ーーーーーー

カルトと新宗教の違いは?

この島田さんの本は、その問いに答えを与えてくれない。

日本を「にほん」と呼ぶか「ニッポン」と呼ぶか程度の違いしかない。私はそう理解している。

今の政体を「民主主義」と呼ぶか「民主政」と呼ぶかの違い。

「天皇陛下」と呼ぶか「天皇」と呼ぶか「天ちゃん」と呼ぶかの違い。

カルトが、宗教学者でさえ、定義できない言葉である、ってことがよくわかりました。

カルト呼ばわりする御仁に対しては「それ名誉毀損って判決出てますよ。カルトの定義ってなんですか?」って聞き返すのがいいのかもしれない。

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