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冷戦時代、一つ対応を誤れば核戦争に突入しかねない場面に立たされたケネディ米大統領は、閣議で軍首脳たちから弱腰だとたびたび批判された。さすがに閉口し、留守中も会議室の机の下でこっそり録音テープを回させ、後で自分への悪口をチェックした。
中でもあしざまにののしっていたのは空軍参謀総長のカーチス・ルメイ大将だった。キューバ危機の際も「核戦争は避けられない。今なら勝算がある」と迫った主戦論者で、ケネディがソ連のフルシチョフとぎりぎりの交渉で危機を脱した後も「これは敗北です。今からでもキューバに進攻すべきだ」と言い張った。
これを傍らで聞いていたマクナマラ国防長官は、30年の時が過ぎた後に驚く。ソ連崩壊で過去の機密文書の中身が明るみに出た結果、当時のキューバには、米国が推定していた4倍のソ連兵が駐留し、既に100発の戦術核兵器があったと知ったのだ。マクナマラは「もし進攻していたら10万人の米兵が戦死していた」「ソ連との核戦争に突入していたら最悪の場合、人類は滅亡していただろう」と回顧録に記している。
ケネディが「軍の連中を信用するな。それが次の大統領へのアドバイスだ」と言ったほど、恐るべき進言を重ねたルメイ。太平洋戦争時には、福岡県の八幡製鉄所爆撃を皮切りに東京大空襲などを指揮して日本を焦土にしたことで知られる。軍の施設や兵器工場などに的を絞る精密爆撃にこだわるのをやめ、非戦闘員の犠牲を辞さない焼夷(しょうい)弾による無差別爆撃に徹した。
子供や女性、老人も巻き込まれ、人の体が焼ける臭いは上空のB29にまで届き、乗員の顔をしかめさせたという。ルメイは道義的責任について「違反もしていないし、不法で非道義的な領域に踏み込んだわけでもない。軍人は仕事をやるように命じられている」と言った。
これを著書「アメリカの日本空襲にモラルはあったか」で紹介したロナルド・シェイファー・カリフォルニア州立大教授は、日本の真珠湾攻撃などに対する報復の意識が、軍人たちに大量殺りくを正当化させたと指摘している。
戦後の1964年、日本政府はルメイに対し、航空自衛隊の育成に功績があったとして勲一等旭日大綬章を贈っている。佐藤栄作首相の時。勲一等は天皇が手渡す「親授」が慣例ながら、さすがに昭和天皇はこれを避けられ、日本に返還されたばかりの空自入間基地(埼玉県)で航空幕僚長が代行した。日本という国は、いったい何なのだ、と思わずにいられない。
=2018/05/17付 西日本新聞朝刊=
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