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2007/1/20
「アダムとイブの舞台はセム・ハム語の源流エチオピアだった?」
エチオピアはGNP(国民総生産)が平均一人あたり130ドルの国でもある。この国とメキシコのマヤの遺跡を尋ねるとよいだろう。急ぎ足で世界一周などしても全く意味はないのです。外国人が成田について箱根に行き,芦ノ湖と富士山を見て天麩羅を食べるような旅はやめましょう。サハラ砂漠にテントをはって星空を眺めるのも結構でしょうが,アラビアのロレンスを考え「サイクス・ピコ協定」くらい考えなきゃ駄目ですよ。
1974年エチオピアで発見された人類発祥の地であることを証明した,350万年前の人骨の化石。
米国の作家で,南イリノイ大學教授のLionel Bender氏はWadai-Darfur=Language in Ethiopiaの論文でSemitic Language(セム語=アラム語)のエチオピア起源説を発表した。ノアの子供セム(黄色人種)とハム(黒人人種)はその名が意図的につけられた感がある。シュメール人の建設した年にセム系アラム人が侵入し王朝を築き,シュメールの影響を引きずると言われているバビロンの「イシュマルの門」には蛇に関する聖獣が多く描かれている。
出エジプト記の時代のはるか以前にゴシェンの地にセム族は定住していた。セム族の神モレクや女神のアシマトレスがエチオピアの神であったことを知る人はいない。その後古代マヤに伝わったと考える。なぜならチェチェンイッチャ市に「生贄の聖泉」がある。この生贄は旧約聖書にも引き継がれている(神はアブラハムの忠誠を確かめるためイサクを神に捧げるように命じた。しかしアブラハムは黒人奴隷との間に出来たハガルを生贄に捧げた)。
セム系遊牧民のアラム語は西方セム語である。
これはタボット(聖遺物)。エチオピア北部のアクムスの教会にあるとされる。グラハム・ハンコック氏の「神の刻印」で知られる。
オルトドクス(エチオピア正教)を旅した人のHPより
聖ヤレッドの絵(六世紀エチオピア・ゲブレマスカル王朝時代)
ローマから来た9人の聖人 6世紀・越尾比屋氏のHPより
アフリカを旅するとその民族衣装の素晴らしさに眼を奪われる。ハラーリのイスラム教徒の女性。
エノク書(ethiopic Book of Enoch)は旧約外典である。Wikipediaを開くと,エノクの啓示という形をとる黙示書で紀元前1~3世紀頃に創られた旧約偽典の一つと愚かにも記されている。エチピア訳,スラブ語は既に隠滅され翻訳のみ存在する。エチオピアエノク書は108章あり,アラム語またはヘブライ語で書かれ,アラム語で書かれた「エノク五書」も存在した。紀元前100年ほどから1~3世紀までの断片的な文章の集まりであるが,ノアは大洪水を予想したりの歴史的記述は,何を意味するのであろうか。実際今でも旧約から新約まで多くの影響を与えたエノク書は教会によって多く読まれている。それは英文科の学生がラテン語を学ぶ姿勢と同じである。
現在エチオピア正教会の聖典はエノク書である。外典・偽典については「死海文書」の写本すら偽典になっている。4世紀に何を基準にキリスト正典を結集したのかは,当時の秘密結社のような勢力がいたのは間違いないでしょう。4世紀という時代は,キリスト教をミトラ教に換えようと企んだ背教者ユリアヌスなど混乱の時代で,アッチラが死んだり混乱に輪をかけた中でのキリスト正典の結集ですから,大目に見てあげましょう。
もう一度エチオピア語エノク書の翻訳を読んでみましょう。
セム族三千年前の資料はあまり多くない。が,エチオピアの家,教会はいまでも聖ガブリエルが守護神となっている。今後マヤの神フナブ・クからアトランティスまでの思索の旅が終わった時,現在の偽典とされているエノク書が本当の正典であるべきで,旧約・新約聖書がすべてまやかし,いんちきであるのか結論を出すのかはまだ分からない。