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神々の青い海

http://web.archive.org/web/20080113222737/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/96.html

「ふらんす迷い路 6」  
            神々の青い海
            

 ようやく去年と同じホテルの同じ部屋に落ち着いた。眼の下にプラタナスやマロニエの巨木に囲まれたモンパルナスの墓地の,灰色の墓石の群れが見える。墓地の上の空は広くひらけて,夕ずいた雲が美しく流れている。オスマンが改造する前の巴里はもっと中世じみた木造の家が多かったろう。巴里は刻々に変っている。それは生命が刻々に変転し生成するのとまったく同じだ

 そのことは頭でわかっていながら,住むのも,散歩をするのも,昔馴染んだ界隈に執着する。やはり年をとったということなのであろうか。最初に巴里に着いた年から数えると,ほぼ20年になろうとする。決して短い歳月ではない。

 こうした僕にとって,刻々の時間は刻々に過ぎてゆくゆえに意味があるようになった。ポリネシアの海でも僕は何度かそうした瞬間を味わった。旅が終わろうとしていた頃,ランギロア環礁の小さな入り江で,一羽の鳥が波打ち際に立っているのを見かけた。その時も夕暮れどきで,赤く染まった雲が,金色の輪をはめたように輝きながら,椰子の葉の上に流れていた。

 波打ち際に立つ鳥は,何か餌でも待っているのか,片足を立て,身じろぎもせず,そこに立っていた。僕がそれを見ているとき,まるで置物のようにそこから動かなかった。波が打ち寄せ,風が椰子の葉をそよがせても,鳥は,身動き一つしなかった。

 そのとき,僕は自分がいつまでもそこに坐って,鳥を見ていられるような気がした。僕は鳥をただ見ているだけで十分満たされているのを感じた。あたかも自分が鳥にでもなったかのように,僕は,その甘い柔らかな南太平洋の海の風に吹かれていた。

 僕は歩くことだけで,見ることだけで,喋ることだけで,自分が,過不足なく<完了>した,と感じた。不足もなければ,余剰もなかった。必要なだけがそこにあり,それを,必要なだけ使った~そんな感じがした。
                  1976年9月2日 巴里にて

             解説

 これは「時の終わりへの旅」と題する辻邦夫さんの作品の中から仏領ポリネシアで時間を忘れて話をしたことを辻さんが書かれた神々の青い海の一部分です。1976年のことでした。この本は1977年に筑摩書房より出版されましたが,1968年7年ぶりに巴里に再会してからモンマルトル日記を書き,その後の8年の歳月がいかに人の思索を変えるものか驚嘆するものがあります。

 最初「野生と文明」の題の予定でしたが,全体を旧約聖書のダニエル書から「時の終わりへの旅」とされたようです。巴里でこの本を脱稿された辻さんはもうどこにも行かれることはありませんでした。上にあります<完了>という意味は自己形成を完了したという意味です。だからもうどこにも行く必要が無かったわけです。

 辻さんはもう生きておられません。生前可愛がっていただきありがとうございました。

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タヒチの夕焼け

           辻邦夫著書目録
回廊にて,夏の砦,小説への序章,安土往還記,異国から,城・夜,若き日と文学と,北の岬,天草の雅歌,嵯峨野明月記,夏の砦・城,ユリアと魔法の都,異邦にて,背教者ユリアヌス辻邦夫作品全六巻,パリの日記手記全五巻,ポセイドン仮面祭り,海辺の墓地から,北の森から,北の岬,モンマルトル日記灰色の石に座りて,霧の聖マリ,真昼の海への旅,サラマンカの手帖から秋の朝光の中で,霧の廃墟から夏の海の色,春の戴冠上・下 その他,随筆・エッセイなど多数。


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昭和59年に出版した拙本「南の春かな青い海」は国会図書館デジタルで見ることが出来ます。太平洋学会登録なので有料みたい?
 
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