おやじボクサー。  (もう52歳だけど・・・ね)のブログ。     ココロは3.11で停まったままの眼前の『津波』

スキー重傷事故→全身麻酔手術2回→足首に20cmボルト2本挿入+金属板補強→車椅子→あだ名は人造人間→その目線?障害者か

3.11まであと1ヶ月 @ すっごく暗いはなし。。。

2019年02月11日 22時09分28秒 | 東北大震災 <<2011年3月11日>>

こんばんは。

日々寒さに堪えているこの頃。

 

 

新聞を見ると、

例年よりかなり気温が低い水戸地方。

 

 

それでかぁ・・・・納得!

 

今期やっぱ例年より厳しい寒さだったんだ。

てっきり?

寒さに弱くなってしまったかと思い込んでた。

でも、

空調の無い窓の開いたジムでは、

4階・・・・にあります。

短パンで通してますけど。それは鉄板。

 

 

 

 

ふと。

改めて見直すと3.11まで1ヶ月間です。

 

あれから何年経っても、

毎日一回足りとも忘れたことがないです。

 

普段口にする事は出来ない。

 

 

 

 

誤解を持たれたく無いけど、

思い出したくない願望に近い想いと、

別な事へ熱中してて思い出さないで居られる時間、

ふたつを得たい気持ち。

 

 

悪夢がエスカレートし過ぎて、

昨今は夢と現実の区別が判断出来ないくらい。

夜中に覚めて絶望的な思いに打ちのめされる事も増えて。

異常か、

っと自覚出来る頻度。

 

 

まさか。

と思うくらい年数が経っていて。

普段思い出さないように意図的に決心している。

 

 

 

津波。

津波。

たかだか12,3Mと後日の新聞で知ったのが後日、

その港(鹿島港)から津波が内陸へ。

 

だけど、、、、

僕にとっては世界の終わりの壁にしか見えなかった。

 

左右に映る景色が、

視界の全てが海の壁となって、

縦に立ち進んで来るんだ。

目の前に押し寄せて来る白い泡。

 

 

 

一生忘れられない。

まさかの『死』を覚悟させられた時間。

こんな経験なんて、

クソの役にも立たないけど。

リアルな死を覚悟させられた経験。

家族を思い浮かべた。

自宅から80kくらい離れた遠い街で。

 

 

 

3.11はそれこそ未曾有な出来事。

簡単に記憶から消し去れない。

 

 

3.11に関しては別な都市伝説があるけれど、

大きな犠牲は現実の事。

どんな事を聞いてきても、

そんなこと正直どうでもいい。

人工地震だって何だって言う人いるけど、

だから何?

犠牲になった方には何の罪もない。

小さな子供や大人、お年寄り。

動物達。

もどらない。

あの日に戻らない。

全て。

全て。

 

 

 

 

その経験が、、、、、、

偽善者だった僕をのちのちボランティアに掻き立てたのも事実。

 

 

 

 

綺麗事は言うつもりない。

だけど自家用車で通った初めての東北。

初めての東北は、

3.11が発生した年の秋。冬に近かった。

真冬の寒さ。

 

3.11が発生したって表現、

適切じゃなかったらごめん。

 

初めての東北、 

直ぐには来れなかったのに、

もう冬の手前なのに。

時間は8ヶ月も経っていたけれど、

まだ全然生々しい東北が残っていた。

 

多分、

手付かずだったまるまる一個の街。

 

 

夜明けに現地に着いて。

車内で明かして、

徐々に陽が明けると明けると同時に、

目に入って来た光景は生まれて初めて映った荒野の大地だった。

積み重ねられた車の山々。

そこら中に積まれている。

 

 

 

あの時に見た大地は、

建物の基礎だけが残った街並み。

全て消えてた。

街の全てが。

 

至る所に慰霊の言葉とメッセージ。

外国からの言葉も路上に描かれてた。

ほぼ脳裏に焼き付いたまま、

今日まで時は経った。

沢山の子供達が呑まれた小学校。

遺影の写真。

名前が刻まれた慰霊碑。

 

 

リアルに刻まれた記憶。

まさか、

これほどの時間が経っても、

自分自身がこんな今を迎えているとは想像出来なかった。

 

あの日の夢を見る頻度はかなり減った。

減った分、

酷い内容になっていくとは夢にも思わなかった。

 

まさかね。

 

 

 

あの恐ろしい現実を味わったからこそ、

自らボランティアに足を運ぶようになったのか?

ひょっとしたら、

自分がもう悪夢から逃れる一心が発端なのか?

僕は逃れたことへの罪悪感なのか?

一点には絞れない。

 

 

あの日の朝。

それが今生の最後となった人達。

沢山の人と出会って来て、

あの日の朝にケンカしたことが、

その最後となったと言う御遺族。

 

ごく当たり前のように、

身近な家族を失ってしまった人達。

最愛の人を失った人達。

 

日頃からも脳裏に焼き付いてる言葉。

生々しい  ことば  が今も聴こえる。

 

 

 

我儘許されるかどうか。

僕にとっては3月は特別。

東北に行ける頻度も激減。

もう半年間以上、

宮城県に行ってない。

 

 

この時期になると、

どうしても思い出す。

誰の為じゃなくて、

きっと?

自分自身をあの日から救済したいんじゃないか。

って。

 

 

 

あれからずっと宮城県までバス運行して下さる、

石塚観光さん。

今でも継続して下さっている事に、

深く深く感謝です。

驚くほど安価で宮城県まで連れてってくれます。

安全な運行と快適な観光バスを使って。

その上、

しかもお弁当付き。

 

興味がある方は、

検索で石塚観光さん。

探してみて下さい。

参加するにはハードな日程になるけど、

未明の時間に出発ですが、

当日中に茨城県に帰って来れます。

 

 

3月。

もうちょっとで訪れる。

たっくさんの人と出会って来た。

ボランティア現地で、

このブログ見てて下ってる方とも遭遇した。

引きずったまま泣いてた女性が居た。

忘れられない。

 

 

 

 

by  おやじボクサー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災
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5 コメント

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Unknown (マタイ)
2019-02-12 00:39:35
来月で震災から8年経過することになりますね

8年経過しても薄れるどころか日々想いが強くなっているのは何かしらの意志が働いています
啓示だと思います
鹿島で体験した津波は今後の生き方の啓示としか思えません

今できる全力の行動をしなければ後悔してしまうと思います

どんなに大切なことを想い祈っていても、声を出し行動しなければ相手には伝わりません

今、おやじボクサーさんが東北で何ができるのか?
何をすべきなのか?

石塚観光のボランティアバスに頼らず自分主体の場合は何が出来るのか?
ボランティア活動がしたいのか?
ボランティアに行きたいのか?
ボランティアバスに乗りたいのか?

石塚観光に弓を引いている訳ではありませんが
おやじボクサーさんは、おやじボクサーさんとしてのボランティア活動をするべきだと思います


試しに1週間、期間を定め東北の地を廻り
自らの脚で自らの眼で啓示の意味を悟ってみては如何でしょうか

両肩に背負っている荷物とポケットに入れている貴重品を一旦手放し
スーパーボランティアの尾畠春夫さんのように空手で全力の活動してみるべき


中古の軽ワンボックスの13年落ちなら乗り出し25万円以下で購入可能です
貨物室にキャンプコットを載せカラーボックスとカセットコンロで快適な車中生活が可能になります

元自動車業界の方に対しては釈迦に説法になってしまいますが
軽自動車の税金なんて月で考えれば千円です。貨物車ならもっと安いです


私は軽ワンボックスではなく軽トールワゴンなのでコット設置までが限界です
居住空間が狭いので調理は車内では無理なのでコンビニ飯での車中泊です
※魚釣り等では車中泊してます
マタイさんへ (おやじボクサー)
2019-02-12 23:29:39
こんばんは‼毎々コメント下さって、
本当に嬉しく思います。
その上真剣にコメント下さるので、
僕自身も考えてお話で決ます。

さて。
次期に8年となりますね、本当早いような留まったままのような、どっちもの自分がいます。

今後がどうしたい、の想いと。現実を付き合わせることと、非常に矛盾した自分がいます。

今まで東北へ通った時間とお金。回数が回数なので、スーパーボラアンティアの尾富さんが別な意味でも所用時間と金銭的な両面。生活の糧が?不思議で仕方がありません。

僕ですら過去の回数で、最低100万円は軽く消費しています。最低でです。
消費する一方ですから、ボランティアで稼ぐことは不可能で。

そこなんですよね。
矛盾した言い口になり心苦しいのですが、
増して真剣に後押しして下さっているのに。
時間も同等の価値観です。
土日等を前夜から現地へ向かうことは出来ても、最悪月曜日の朝には帰宅していないと、成立出来ない環境。

今でこそ高速道路は通常料金。
震災当時のようなフリー区間がありません。確かETCで時間帯割引で片路が7,000円ほどかかってたと思います。
途中、有料道路へも繋がるので。

そこから車の経費・準備等々と運転労力。
冬にも行った経験ですが、軽1BOXで車中泊。暖房が軽の1BOXでは追い付きません。
凍り付く寒さの東北ですので。
一般の乗用車ですら暖房点けつつの車中泊、か・な・り・堪えました。+毛布を何枚も使いました。

税金面でのメリットは多大ですが、移動手段としての片道所用時間。
ただのキャンプとは異次元過ぎて、運転の疲労度も格段です。

アテも無いのんびりな行程なら?良いと思いますが。
目的あっての手段として軽は、片道の運転、、、、、有り得ないくらい重労働ですよ! プリウスやハイラックスサーフでも、ノンストップでの早くて5~6時間は高速ですもの。

なので経験上。
茨城県から東北への移動手段、軽自動車は自殺行為か、片道の運転を乗用車で6時間が、軽で8時間は(早くても)乗り耐えられるのなら?良いのですが。

僕の経験上、最悪「行き」は耐えられても、現地で体力はキツイ乗り物です。
その上、帰りを考えると・・・・・・・・、経験者だからこそ真剣に発言しますが、内容が内容なのです。

真剣にコメント頂けて幸せです‼真面目に。

今までそんな反応頂いたことなかったし、どちらかと言えば?未だに売名行為とか、のぼせるな、のメッセージをもらうくらいだったので。

それでも僕はそんな人の言葉に耳を貸しません。少なくても言葉で応援して下さってる方もいらっしゃったので。

3.11の東北。
既に数年前からボランティア登録者でないと、現地でのサポートが出来ません。悪質な売名行為も横行してましたので、それで良いと思います。
年に一回の更新。片時も放さず財布に入れてます。

僕はボランティアに理屈は求めません。
単純で良いんじゃないですか?
誰かの為に、名乗らずお手伝いする、やりたい人がやる、誰もやらない処があれば掃除・整理する。
沢山の犠牲が遭った場所に献花する。

その上、甘えられる部分は最大限甘える。僕の場合は石塚観光さん。甘えた見返りには、現地で他人の2倍、3倍分、働けば?単純に2~3人が頑張ったことと同等かな。と。

僕は僕での経験上、お返しの言葉もアツいものになりますが、そこは友として耳を傾けて戴ければ嬉しいです(#^^#)
マタイさんへ2 (おやじボクサー)
2019-02-12 23:36:35
長文で慌てて入力してものですから・・・・誤字・脱字はお許しを。
また文面も支離滅裂ですみません。

Unknown (マタイ)
2019-02-13 02:49:08
夢にまでみる記憶
啓示は時を選ばず様々な印で誰にでも下されます
おやじボクサーさんは運命に導かれて決心したのだと感じてしまったのです

東北の冬の寒さ、茨城からの移動距離と所要時間
生業を離れて活動する場合の台所費用など
確かに一生懸命ボランティアをするために一所懸命を犠牲にするのは家庭に対して身勝手すぎます
一人だけの身体ではない方に対し無責任に煽るようなことを言ってしまい反省しております
また、決して石塚観光の社会貢献活動に異を唱えていた訳ではありません

日本においてボランティアという言葉は本来の英単語を直訳した意味とは異なり独り歩きしています
おやじボクサーさんがボランティアという言葉を意訳すると日本語でどのような言い回しになるのか
カタカナ文字は時に難しいので人それぞれのボランティアという意味は異なっていて当然なんです

この文面をもって挨拶とさせてもらえたら幸いです

また、これからも可能な範囲で東日本大震災の復興をお互いが行動できたら良いなと思っております


震災の夢を未だに観るのはおやじボクサーさんが慈悲の心をお持ちになっているからです
先ずは、この夢を震災犠牲者や被災者家族が夢に訪問する悪夢と考えない方が良いです
このままの状態が続くと精神が異常になり精神疾患になってしまいます
また心の病気だけではなく免疫力が弱り身体に取り返しが付かない奇病が発生してしまいます

どこかで気持ちを切り替えないと自分自身が震災の被害者になってしまいます

立ち止まったり後ろを振り返っても時間は戻りません
時間と共に自らも歩き出さないと未来に進めません
過去に捕らわれていては自分自身の幸福を掴めなくなります


震災の後しばらくは
何にしても不謹慎、全てに自粛ムード
上を向いたら非常識、笑顔を見せたら非国民
バラエティー番組やスポーツ番組、内容的に不謹慎なドラマや一般企業のコマーシャルはNG

震災から数年後には震災をテーマにしたドラマが多々放送されましたが
震災のフラッシュバックで苦しむ被災者の方々からの苦情でその後作られることは無くなりました

今は偏差値25以下の低俗なバラエティーやドラマ番組、コマーシャルが視聴者に向けて作られています
これが被災者の答であり、国民の答なのです
みんな震災を必死に忘れようと努力しているのです


昨年の暮れに崩壊した鉄道高架の修復のドラマ
今年の明けにはレ・ミゼラブルをモチーフにしたドラマ
1995年の阪神淡路大震災、ようやく国民がもう一度思い出そうとしています


東日本大震災も今から20年後には国民がもう一度思い出すと思います
おやじボクサーさんの夢に現れる震災も20年後に見れば今とは違う意味合いになるのではないでしょうか

今は、日常とボランティアの間を区切り、オン・オフを切り替えて生活するのがベストだと思いますよ
マタイさんへ (おやじボクサー)
2019-02-13 22:05:29
毎々コメントありがとうございます!

きっっと誰だって?
目の前の津波を体験すれば、
そこからの脱出体験から、
何かに感じる事があって当然かな。

難しい言葉に自分を誤魔化すのは嫌いです、
もっとシンプルに自分が出来る事、
その代わりに何かを犠牲にしても、
時間、お金、体力、
そんな程度の算数で良いんじゃないかな。

人知れず、
日陰の役割で、
体力だけは200%消費。
帰りのバスは爆睡で全身筋肉痛。
ボクシングの比じゃありません。

現実そこまでが精一杯です。

僕の周りでは、
現地にも行ったことも無い、
何もやった事も無い、
それでいて、
あーだ、こーだ言う人の山。
中傷コメももらいました。
負けませんけど。

マタイさんの言うように、
オン・オフが大事なのは当然です。
それが出来れば苦悶しません。
震災に遭った人達が、
今でもうなされるのですから。
リアルは、
そんな容易に切れ換えられるものでもありません。

僕の津波のフラッシュバック程度は、
身近な方を亡くされた方と比べれば?
雲泥の差だと思います。
自分ではカッコ付けて、
程度って言うけど。
人生で最悪の恐怖。

でも御安心を。
僕には可愛い次女と、
とても可愛らしい奥様、
そして、、、
ボクシングとお師匠、
傍に居てくれてます。

そしてブログの皆さん、
です!



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