電脳ずずずパワー

グゥブログで世界へ情報発信

EeePCの白いやつ

2008-07-27 18:03:46 | Weblog
アススあなどれぬ

さらにさらに準備

2008-07-27 17:58:18 | Weblog
その3

さらに準備

2008-07-27 17:57:45 | Weblog
その2

チャーハン準備

2008-07-27 17:56:18 | Weblog
その1

大晦日

2005-12-31 23:40:15 | Weblog
ども、ずずずです。

なかなか更新しないので、ここがすでに閉鎖したのではないかと心配している方も多かろうと思うのであるが、まだまだブログ人として精進していくつもりなので、読者の方々は生暖かい目で見守ってもらえたら幸いである。

さて、今年もあっと言う間に一年が過ぎてしまったわけであるが、ここで、この弱小ブログに立ち寄ってくれ、さらには更新を楽しみにしてくれた方々に、この場をかりてお礼と感謝の気持を私なりに心を込めてお伝えしたいと思う。

それでは僭越ながら・・・いかせて頂きます・・・


















   ∩___∩
   | ノ      ヽ/⌒) あばばばばばば
  /⌒) (゜)   (゜) | .|
 / /   ( _●_)  ミ/   ∩―-、
.(  ヽ  |∪|  /    / (゜) 、_ `ヽ
 \    ヽノ /      /  ( ●  (゜) |つ
  /      /      | /(入__ノ   ミ   あばばっあびゃば
 |       /       、 (_/    ノ        びゃばば  
 |  /\ \       \___ ノ゛ ─ー
 | /    )  )       \       _
 ∪    (  \        \     \
       \_)         \     \




・・・・すまん。



といったわけで来年もよろしくw
よいお年を~。

お笑いマンガ道場復活 来年1月4日

2005-12-05 23:01:47 | Weblog
「だん吉!」

「なお美の!」

「おまけコーナー!」




と、言ったわけで、
中京テレビが制作し、全国でも放送されたかつての人気番組「お笑いマンガ道場」が、平成リニューアルバージョン「芸能界マンガ王決定戦」(仮)として、12年ぶりに復活し、来年1月4日午後4時20分から日本テレビ系全国ネットで放送されるそうだ。
司会はロンドンブーツ1号2号の淳で、パネリスト出演はロンドンブーツ1号2号の亮、磯野貴理子、松本伊代、渡辺裕之などを予定しているようである。
ちなみに渡辺裕之は、俳優を志望する前は、漫画家を目指していたことがあり、りぼんの新人発掘企画で佳作をとるほどの実力派なのである。


最近のテレビ業界の流れとして、過去の企画を平成版と称してリニューアルする番組が増えてきているのであるが、どうも改悪となってしまう傾向にあり、失敗が続いているように思える。クイズタイムショックやドラえもんなどがその代表とも言えるのではないだろうか。

そして今回のこのお笑いマンガ道場なのであるが、司会、パネリストともに疑問符を付けざるを得ない人選である。もしもかつてのマンガ道場の雰囲気を少しでも出したいのであれば、やはり司会は、うだつの上がらない地元男子局アナを採用すべきである。柏村武昭臭のしないマンガ道場はマンガ道場にあらず、なのである。さらに今は故人となってしまわれた土管の住人こと鈴木義司先生と生涯現役のエロ漫画家富永一朗先生との小競り合いも番組には無くてはならないスパイスのひとつであった。これを今の勢いだけに任せている芸人たちに同じようなのんびりの中にもキラリとセンスの光る名古屋ムードを出せるのであろうか。



しかしわたし的には、そんなことはどうでもいいのである、本当に一番に見たいものは、富永一朗先生の即興エロマンガを出す前の

「ふたコマです!」をもう一度聞きたいだけなのであるw

青 ピンク 黄 緑 紫 オレンジ

2005-10-24 00:42:00 | Weblog
人は必ず歳をとり、死んでいく。
しかし、世の中の普遍的なものは人々のこころの中に
ずっと根付いているものである。
時代が変わろうとも人々はそれを受け継いでいくものである。


今日、10月23日の放送から病気療養中の三遊亭円楽師匠の代役として大喜利メンバーが週替りで司会を努めることになっていたのであるが、その一発目として我らが緑こと桂歌丸師匠が司会の席に座ることとなった。さすがは歌丸師匠である、小気味のよい仕切りでお茶の間を沸かせ、随所に見せる緑特有の毒舌も冴えていた。それにしても番組登場時の満面の笑顔から、いつかは笑点の司会を務めてみたいという願望がかなった喜びがブラウン管のこちらにも伝わってきており、歌丸ファンのわたしとしては「緑よかったな」と一言お祝いの言葉をここに添えておきたいと思う。(実際は以前にも一度、代打司会をしたことがあるのだが。)

それにしても国民的な娯楽番組である笑点に出演しているメンバーの師匠方には、健康に気をつけて、長くこの番組を続けて欲しいと願うばかりである。そう、今の円楽さんを含めたメンバーが、私にとっての、いや、国民みんなのベストメンバーなのだから。個人的には歌丸師匠の司会には大賛成であるが、師匠の模範的回答や毒舌回答を聞けなくなると思うとそれはそれで寂しいわけである。




君がいないとなんにも できないわけじゃないと
黄色とオレンジをいじってみたけど 落とし所がわからない
ほら腹黒ネタも作れたもんね だけどあまり面白くない
君の作ったネタなら突っ込みも 思い切り言えたのに

一緒にいるときは 窮屈に思えるけど
やっと自由を手に入れた ぼく(紫)はもっと淋しくなった

「司会をやれてうれしい」と言った
君(緑)の気持はわからなくもないけど
いつもより眺めがいい 左に少し戸惑っているよ
もし君にひとつだけ 強がりを言えるのなら
もう馬がいなくなればいいなんて 言わないよ絶対

っておい!山田君wそこでションボリ鼻歌歌ってる紫の座布団全部持って行っちゃってw


デレツンとツンムツ

2005-10-17 00:52:07 | 驚異の小宇宙 人体シリーズ
先週レポートしたツンデレも非常に趣があってよいのであるが
世の中にはデレツンやツンムツなる属性も存在するのである。

デレツンは、読んで字のごとく普段はデレなのであるが
二人っきりになると急にツンになる女性のことである。
たとえば、内田恭子アナあたりがこれに当てはまる。

そしてツンムツとは、普段はツンツンしているのに
実はひとりになると急にむっつりスケベになる女性の
ことを示す言葉なのである。
たとえれば・・・いやあえて例える必要もないと思われる。


なぜなら現代女性の約7割がオ○ニーを頻繁にしている
といった調査の結果が世間一般に広く報告されている
事実を見れば明々白々なのである(ニヤニヤ



ツンデレ

2005-10-10 21:37:08 | 驚異の小宇宙 人体シリーズ
その属性がツンデレな女性は、2割増である。


眞鍋かをりちゃん、杉本彩さん、小池栄子たん等は
間違いなくツンデレ属性であろう。
二人っきりになったときのことを想像すると
もう萌え萌えである。

またこれとは反対に常にデレ状態の女性も存在する。
たとえば、細川ふみえさんやさとう珠緒さん等が
その代表であろう。
残念ながらこの方々のお色気攻撃のレベルは認める
ことはできるが、正直、まるっきり萌えれないのである。


ところで、ツンデレとはもともと2次元界において
女性を属性分けするための定理であったはずである。
したがって3次元界であまり掘り下げて想像してはいけない。



なぜなら、美川憲一さんや細木数子先生や和田あっこさんも
ツンデレ属性である可能性までも想像してしまうからである。

・・・・。

賤ヶ岳の合戦-知られざる天才シリーズ-

2005-09-25 23:58:48 | 知られざる天才シリーズ
「勝家様、滝川一益様から書状が届きました。」
「お市、いい知らせだ。織田信孝様が滝川一益と共に岐阜城にて挙兵されたそうだ。」
「信孝様?秀吉軍に捕らえられていた信孝様ですか?」
「そうだ。お市、出陣するぞ。我が軍に神風が吹いてきたぞ。」


刻は、天正11年(1583年)のことである。前年の清洲会議より、織田信忠の嫡男・三法師(のちの織田秀信)を織田信長の後継者と推す羽柴秀吉と、信長の三男・織田信孝を後継者にと考えていた柴田勝家らの対立は激しいものとなっていた。そして年頭に行われた合議で、織田氏の跡目には三法師が就くこととなり、叔父にあたる織田信雄・信孝がその後見役として補佐することが秀吉によって取り決められたのである。その結果、かねてから秀吉に不満を持っていた勝家らと秀吉との間の緊張は一気に織田家を二分する大合戦へと発展したのである。これが関ヶ原の合戦と並び語られる賤ヶ岳の合戦の始まりである。


「これで、佐久間盛政が陥した大岩山、信孝様の岐阜城、そして我が本体(狐塚)からの三方向より一気に秀吉を攻め落とす絶好の機会を得ることが出来たのだ。」
勝家は、自慢の髭を撫でつつ、高らかに笑いながら言い放った。
「しかし、その前に敵陣中に深入りしすぎている盛政軍を元の陣中にまで一旦戻す必要があるな。」
そこは百戦錬磨の戦人の勝家である用心に用心を重ねることも忘れていない。
「安井左太夫家清はいるか?」
「はっ。ここに。」
「お前は、盛政軍が敵中深入りをし過ぎている危険を知らせ、次の総攻撃の作戦を待つように伝えるのだ。」
「御意。」


一方、こちらは羽柴本体軍の陣中内である。
夜の静寂の中、かがり火に微かに映し出される影が二つ。
影のひとつは、前々から謀略を受け柴田側から寝返っていた山路王国である。その山路王国にもうひとつの影の正体である秀吉が柴田軍に壊滅的な打撃を与える策を授けている最中であった。
「まず、勝家も盛政もはそなたが寝返る事は夢にも思っておらぬだろう。さらにわしは、柴田軍の挟撃を避け、岐阜城の信孝軍に全軍で攻め込む、だが、その岐阜城攻めは本意ではない、半刻ほど攻め立て、直に大返しをうって舞い戻って来るつもりである。そこで、そなたは、今からまだ大岩山で頑張っている盛政に一芝居打って秀吉が岐阜に総攻撃に出たと伝えるのだ。」
「うまく誘いに乗ってくるのでありましょうか?」
「心配せずとも盛政は攻撃してくる。そしてその時さらに、もうひとつの策が動き出す。そうなればあちらの総大将の勝家もすでに死人も同然。」
さすが、智謀の将・羽柴秀吉である。この合戦を前に地形・人口・敵味方の武将の性格に至るまで徹底的に調べ上げ、地の利・人の利を熟考しているのである。
そして、山路王国は極秘裏に羽柴軍を抜け出し、大岩山方面の暗闇の中に消えていった。


さらに所変わって、こちらは佐久間盛政軍である。
「なに!そうか!秀吉は、わしに背を向けて岐阜城へ向かっておるか。よし!直ちに総攻撃じゃ!」
盛政は、山路王国の言葉が秀吉の謀略とも知らず、疲労しきった兵に活を入れ、秀吉を追って賤ヶ岳方面に向かって進軍をはじめたのであった。その光景は深夜の闇中とは思えないほど眩しく炊かれたかがり火の行列で、何十kmにも亘り、整然と続いていた。
こうして、誰もいなくなった軍営には、秀吉の謀略にまんまと嵌った盛政を嘲笑う山路王国の姿だけが残されたのである。


夜通しの行軍敢行の結果、佐久間盛政軍は、賤ヶ岳に対峙する様に陣営を敷くことに成功した。その頃には、既に遥か彼方の山の向こうから薄っすらと朝日の光が漏れ始める時刻になっていた。盛政は、満足げに朝日を眺めていた。
「ん!!」
次の瞬間である、居るはずが無い秀吉軍15,000が朝日の光を背にして盛政軍の目の前に現れたのである。それは、織田信長が本能寺で討たれた時とまったく同じであった、迅速かつ俊敏を身上とする秀吉軍が岐阜城から木之本(賤ヶ岳のすぐ近く)までの52kmという距離をたったの5時間で帰って来たことを意味するのである。これが世に言う美濃の大返しである。
その後は、すでに疲労しきっている盛政軍は成すすべも無く秀吉軍に蹴散らされたことは言うまでもない。


一方、柴田勝家は盛政軍が破れたことをいち早く察知し、前田利家と合流し形勢を立て直そうと使者を飛ばした。それと同時に配下の毛受茂左衛門・勝助兄弟に殿(しんがり)を任せ居城である北ノ庄城に撤退していたのである。しかし、それは忠臣である毛受兄弟の討死と引き換えによるものであった。その訃報を聞くとさすがの鬼の権六の頬にも一筋の涙が流れ出たという。


北ノ庄城に引き返した勝家は直ちに兵をまとめ上げ、陣中の全ての兵に自ら、これから行う策戦を言い渡していた。その表情は冷静かつ厳格ないつもの勝家の形相に戻っていた。
「よいか、たとえ盛政軍が敗れようとも、又左の軍(前田軍)と合流できれば秀吉など蹴散らしてくれる。元々ゲリラ屋の私だ、秀吉にその戦い方を見せ付けてやる。」
勝家もまた歴史上代表的な生粋のいくさ馬鹿であった。そして周りにいた古参の家臣や兵士たちも、この勝家の激に一斉に湧き上がったのである。彼らもまた清々しいまでのいくさ馬鹿なのである。

しかし、その時である茂山に布陣していた前田利家軍が戦線より離脱したことを知らせる使者が陣営内に転がり込んできたのである。
そう、秀吉のもうひとつの秘策が発動したのである。
柴田勝家の与力大名であり父子の契りも交わしていた利家が、勝家が北ノ庄城に引き返したのを見守ると、戦いを放棄して自領の府中に退いてしまったのである。
ここで利家ファンの方にかわって、わたしが利家のこの非情ともとれる行動の弁護をしておきたいと思う。利家は勝家とは親子の様な関係を築き北陸全土を勝家と共に平定したことは説明不要の真実である、しかし、それとは別に幼少からの真の友のである秀吉もまた利家にとって失い難い戦友なのであった。この双方の人間関係の間で利家の心は揺れに揺れていたのである。そして結果的にはどちらにも属さないという選択を取ったのだが、それは今の戦局を考慮すれば、秀吉の戦勝に寄与することになってしまったのである。もう一度言おう、決して利家はただの裏切り者ではないのである。



「お市すまぬ・・・。この柴田勝家戦いの中で戦いを忘れた・・・まさか子供のように可愛がってきた利家が・・・。」
この時、妻のお市もすでに自害の決心はついていた。織田家の再興の願を勝家にかけて嫁いでは来たが、今はその夢が破れたという事よりも、今まで自分を優しく包んでくれていた勝家がいとおしく、この人とならば何時死んでも悔いはないと思うのであった。


勢いに乗じて秀吉軍は、北ノ庄城の包囲を縮め、激しい鉄砲戦の末、本丸の土居際にまで押し迫ってきている。すでに兵の数でもその士気でも柴田軍の敗戦は、確実なものとなっていた。


「・・・またしても羽柴筑前守秀吉か。戦っていた相手が皆、元々わしの配下のものや同志のものだとは皮肉なものだ・・・」
そうつぶやくと勝家は、お市の方と残った一族・家臣らとともに天守閣に上がって行った。

「秀吉よ!諸君らは立派に戦ってきた。だが、兵士の定命がどういうものかよく見ておくんだな。」
そう言うと勝家は城の天守閣から爆薬を抱えたまま秀吉軍の頭上で爆死して見せたのである。
そのあまりの光景に、秀吉軍は沈黙し、鬨の声さえも上げられなかったと言われている。

かくして約5ヶ月間続いた天下分け目の合戦は新時代を切り開く天才・羽柴秀吉の勝利によって幕を閉じたのである。


柴田勝家権六 享年57歳(諸説いろいろあるのだが)。
織田信長を裏切り、織田信長に許された数少ない漢。勝家もまた信長に惚れ込み、信長仕官後は誠実に愚直に信長のために尽くした。合戦では常に先陣を切り、退却時には常に殿軍を努めた。そして信長死後は、家臣の中で最も織田家再興に熱意を持っていたと思われる。
賤ヶ岳の合戦は、新旧の天才の同士の合戦といっても過言ではない。戦国時代にはキラ星の数の天才が現れては消え、また現れたという。柴田勝家もまた揺ぎ無く、そのひとりなのである。




今回もフィクションである。すでにお解りだと思うが勝家とランバ・ラルをダブらせて、花の慶次ティストも加えてみた。
共にいくさ馬鹿と言われている漢の生き様を自分なりにアレンジして書いてみたのだが、如何だったであろうか。
というか、しばらくは知られざる天才シリーズはお休みします。
だって、しんどいよ、これ続けるの(笑)