鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

柏尾川散歩

2010-07-16 | 藤沢


境川の支流の柏尾川左岸・川名地区の土手を歩きました。
柏尾川は横浜の戸塚区から南西に流れて藤沢市の川名で境川に合流します。
右岸に山武、住金鋼管の工場を見ながら歩き、川の中に眼を向けると、
期待した生き物を見つけました。


「亀さん」です。
護岸の脇の堆積に草木が茂り、この辺りは亀の生息地になっています。
かなり大きく育った亀が、日向で甲羅干しの最中でした。


県道312号線を越えて更に進むと、
佐賀鉄工所や老人ホーム清流寮が見える場所に出ました。
ここから上流を見ると、市街地の川にしては、多少自然の川らしく見えます。
右から流れ込んでいるのは手広川で、鎌倉市との境界です。


鎌倉市との境界まで近づくと、
先日横須賀水道みち探索で確認した、水道橋がよく見えました。
水道みち探索はまだ途中ですが、暑い夏は避けて秋になったら再開する予定です。

川名の小さな庚申塔

2010-07-15 | 藤沢


新林公園の山の中の散歩道から、北側に崖を下る道があります。
崖を下ったところに、小さな庚申塔がありました。
明治43年(1910)5月吉日建立と刻んであります。ちょうど100年前です。
新林公園が整備されるはるか以前から、この道はあったのでしょう。

ムクロジの花

2010-07-14 | 藤沢


新林公園の保存家屋「小池家」の裏手にムクロジの木があります。
裏山の散歩道に入る時、ムクロジの花に気がつきました。
羽根突きの羽根の先の玉には、このムクロジの実が使われます。
秋の黄葉が見事で、何回か写真を撮りに出掛けましたが、
花の季節に近づいて眺めたことはありませんでした。

新林公園のラクウショウ

2010-07-13 | 藤沢


新林公園の湿性植物園の池の側にある1本の樹です。
あまり見かけない樹なので、メタセコイアの仲間ぐらいに考えていたのですが、
突然名前が分かりました。


幹のところに、「ラクウショウ」という名札が付いたのです。
ネット情報で確認すると「落羽松」が正式の名前のようです。
アメリカ大陸東南部からメキシコに分布する落葉高木で、
湿潤地の生育に適し、長い水没にも耐える、とありました。


公園の管理者が樹の特性を考慮して、この場所に植えたのでしょう。
ちょうど緑の実が実る時期で、よく見ると沢山の実が付いていました。

境川沿いの赤い標石

2010-07-12 | 藤沢


横須賀水道みちの探索で、標石に興味を持ちました。
今日は境川沿いの道で赤い標石に出会いました。
道沿いの草をきれいに刈った後なので、赤い標石が目に入ったのです。


近づいてよく見ると。「河界」と言う文字がありました。
ここまでが川の管理下にあるということでしょう。


標石の裏に「神奈川県」のマークがありました。
この草地の手入れは、神奈川県と藤沢市のどちらが担当したのでしょうか。

境川沿いのハマユウ満開

2010-07-11 | 藤沢


新屋敷橋に近い境川右岸の道で満開のハマユウに出会いました。
これだけ立派なハマユウは見たことがありません。


境川沿いの狭い空地を上手に利用して、
四季の草花で道行く人を楽しませてくれる人がいます。
今日もせっせと手入れに余念がありませんでした。

中原町の道祖神

2010-07-09 | 藤沢


本鵠沼2丁目、昔は中原町と呼ばれた地区にある道祖神塔です。
右側は車社会に対応して整備された道で、
左側は古い旧道で細いため車は一方通行になっています。


この道祖神塔は明治36年(1903)旧道を歩く人のために立てられたようです。
左に進むと一方通行の車がどんどんやって来て、歩行者にはつらい細道です。
「道祖神」に「交通安全」をお願いするしかありません。

3人の壮烈な戦死

2010-07-08 | 藤沢


小田急線本鵠沼駅のすぐ近くに旧家の墓地があります。
入口近くの墓の墓碑銘の裏に、悲しい略歴が刻んでありました。


「昭和14年召集の男性はノモハンで壮烈な戦死」
「昭和18年召集の男性は北支で壮烈な戦死」
「昭和19年召集の男性は大東亜戦争で壮烈な戦死」
ある家族に起きた「壮烈な戦死」の歴史です。

蓮池にハスを見に行く

2010-07-07 | 藤沢


川跡池として保存されている鵠沼の蓮池にハスの花を見に行きました。
早朝のハスの花が開く頃がいいのですが、大分日が高くなった頃出掛けました。


ハスは意外と元気な植物なので、群落は可愛げがありません。
咲き始めのハスの花に焦点を合わせました。


これも咲いたばかりのハスの花です。


蓮池の広場では「藤沢メダカの学校」の会合が開かれていました。
子ども達が父兄同伴で沢山集まっていました。
この中には蓮池の保存に貢献した人達もいる筈です。

蔵前の鼻黒稲荷

2010-07-06 | 藤沢


遊行通りの旧道には元米穀商の土蔵造りの家が残っています。
そのため周辺を「蔵前」と呼ぶようです。
その蔵前の国道467号線寄りの駐車場の右隣に「鼻黒稲荷大明神」があります。
どんな「お稲荷さん」なのか見てみたいのですが、普段は境内に入れないようです。
「初稲荷」の頃に立ち寄れば拝観出来るかも知れません。

藤沢庚申堂

2010-07-05 | 藤沢


藤沢駅北口から遊行通りを5分ほど歩くと、右手に庚申堂があります。
境内立入禁止になっているので、いつも通り過ぎるだけでしたが、
右隣の古い旅館で工事が始まったので、心配になり少し調べて見ました。
このお堂の中には市指定文化財で江戸地代の作とされる、
木造で左右に脇侍を伴った「青面金剛像」が祀られているようです。
残念ながら、開帳は60年に1度、庚申の年と決まっているので、
2040年まで待たねばなりません。


境内には、いろいろな庚申塔が並んでいて、
その中にも市指定文化財の「青面金剛の像」(寛文13年・1673)があります。
と言っても、境内には自由に入れないので、遠目に見るだけです。
古い石造物に悪戯が増えているので、止むを得ないのでしょう。

自動車排ガス測定局

2010-07-04 | 藤沢


藤沢橋と遊行寺橋の間、境川の右岸にある建物です。
最初は贅沢な公衆トイレだと思い込んでいましたが、大変な間違いでした。
これは藤沢市が自動車の排気ガスを測定するための大気常時監視測定局です。
藤沢バイパスが国道1号線になり、現在の測定局の前は国道467号線になっていますが、
藤沢市の排気ガスを測定するにはここが最適な場所なのでしょう。

遊行寺橋

2010-07-03 | 藤沢


藤沢橋からすぐ隣の遊行寺橋を眺めたところです。
この橋は右手の遊行寺の山門を出てすぐの境川に架かっていますが、
江戸時代、東海道はこの橋を通って西に向っていました。
橋の手前を左折して南に向うと江ノ島道でした。
昭和35年建設のPC製の橋ですが、平成3年に「かながわの橋100選」に選ばれています。
平成2年の台風で隣の藤沢橋は落橋しましたが、この橋は大丈夫でした。
赤く塗られた橋ですが、長い年月に耐えかねて塗料がかなり剥がれています。

遊行寺坂を下る

2010-07-02 | 藤沢


ぶらぶら散歩の道すがら遊行寺坂を下りました。
遊行寺坂上の歩道橋から、これから下る遊行寺坂を眺めました。


湘南道路、西湘バイパスなどの無料化実験が始まった影響でしょうか、車の流れは順調でした。
オートバイも気持良さそうに下って行きました。


途中に一里塚跡がありました。
解説によると昔の遊行寺坂は両側の崖の高さにあり、現在の道路はそこを削って作ったのだと記してありました。
一里塚跡には、標識があるだけで痕跡は何処にもありません。


遊行寺坂を下って、坂下の藤沢橋交差点に着きました。さすがにここは車で混み合っていました。
ここを直進する湘南新道が出来上がったのは昭和39年ですが、
それまでここはT字路を右折する国道1号線の渋滞の名所でした。