マイケル・ハート氏
「正義の戦争」なんてありえない。ときに政治的暴力(戦争)が必要になるかもしれないが、それを正義と呼ぶことはできない。
戦争は必ずしも(手段として)民主主義に反するわけではないが、明らかに民主主義を停止させる。
「民主帝国 アメリカの実像に迫る」 より
マイケル・ハートの著書 (共著も含む)
マルチチュード 上・下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義
帝国
ドゥルーズの哲学 叢書・ウニベルシタス
マイケル・ハート氏
「正義の戦争」なんてありえない。ときに政治的暴力(戦争)が必要になるかもしれないが、それを正義と呼ぶことはできない。
戦争は必ずしも(手段として)民主主義に反するわけではないが、明らかに民主主義を停止させる。
「民主帝国 アメリカの実像に迫る」 より
マイケル・ハートの著書 (共著も含む)
マルチチュード 上・下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義
帝国
ドゥルーズの哲学 叢書・ウニベルシタス
コメントありがとうございます。
「正義」の定義づけは難しいですね。
誰もがなんとなくでしか理解していない単語かもしれません。
その意味をリアルに噛み締めることができない以上、
「正義」と「平和」に地球が包まれる日は来ないのでしょう。
今、地球上で謳われている「正義」は、
注意深く聞くと、
そのまま「エゴ」と訳せてしまいそうですからね。
アメリカ大統領が正義のための戦いだ、とか叫ぶたびに、正義とは何だろう、といつも思います。
テロリストが聖戦だ!と言ったり、○○のための戦いだ、といったりするときも、正義とは何だろうと考えます。
そもそも『正義』という概念は本当にこの世に存在するものなのか、とすら考えます。
少なくとも、自分や自分の周りに悲しみが広がることを、人間は誰しも望まない。それは誰にとっても同じ、自分の敵にとっても同じ。
そのくらいまでが普遍的に言えることで、それ以上のことは誰もが納得できるようなことは、何もいえない。
そんなふうにいつも考えています。