Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

心に響く 「語り」

2006-07-07 07:49:08 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
ある日、あるところで...

zooquie
「以前この辺りに住んでいたことがあります」

ある人
「今はずいぶん都会に越されたんですね」

zooquie
「・・・満員電車が苦手なもので」

ある人
「最近はそういう人が多いんです。男性でもそれを理由に仕事を辞める人もいます
 私も自律神経失調症だったので、人混みとか苦手でした」

あれっ?過去形なの?

zooquie
「以前、自律神経失調症だったのですか?治ったということですか?」

ある人
「はい、自律神経失調症とパニック症だったんです」


"ある人" とは、まったく別の用件で、たまたま会った人だった。

その、"ある人" は自律神経失調症になった時には、必死で勉強したと言っていた。
"どうして自分がこうなってしまったか" "どうしたらパニックにならないか" "なにを改善したらいいのか"
悩みながら、悩みながら勉強をしたそうだ。

"こういう時にはこうやって気分を落ち着けるとパニックにならない" とか、 "こういう時にはビタミン○○を摂るようにすると体調が改善する" などなど...
それぞれの症状にあわせ、自分で解決策を見つけていった。

そして、多くの解決策を持つようになると、外出も恐くなくなり、何かあっても、すぐに自分で対応できるようになる。
そうすると、今度は早め早めに自分で体調の変化に気付き、先に手を打つことができる。
そのうち、症状が出る前に、自分で健康管理ができるようになる。

だから、今は大丈夫。


確かに、子供の頃身体の弱かった人に限って、自分のウィーク・ポイントを良く分かっていて、自分に合った健康管理ができている。風邪もひかない。

そうなんだよな。


でも、この "ある人" はそれ以上、何も言わない。

"なぜ、そんな質問をするのか" とか、"あなたもそうなのか" など...

自分の方法をすすめたり、これを気をつけろとか、ああした方がいいとか、言わない。

あくまでも、自分の体験を語るばかり。


それが良かった。そういう語りが欲しかった。

思わず、目に涙がたまってしまった。


自分が欲しかったのは、
人が必要としているのは、
How to 本とか、説教本とか、ましてやサクセス・ストーリーなんかではない。

体験を語ることで、聞き手の心を響かせてくれる、
そういう 「語り」。

"自分もそうしてみよう" とか、"やっぱりそうしなくてはいけないのか" などと思わせるものではなく、
"自分にも何か出来ることがあるかもしれない" とか、"自分にあった方法もどこかにあるのかもしれない" などと思わせてくれるもの。

疲れた心に必要なのは、その心に響く「語り」。

重要なのは、「内容」よりも「語り方」なのかもしれない。