のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

好き好き大好き超愛してる/舞城王太郎

2009年02月07日 23時42分43秒 | 読書歴
3.好き好き大好き超愛してる/舞城王太郎
■ストーリ
 愛は祈りだ。僕は祈る。
 小説家である主人公と、主人公の亡くなった恋人柿緒との恋愛小説。
 柿緒I、柿緒II、柿緒IIIで小節に分かれており、その小節の間に
 全く別の話になるSF的な恋愛小説を挟むような形式になっている。
 柿緒の小説の間にある一見関係なさそうなSF的な恋愛小説は、
 小説家である主人公が柿緒の死に影響をうけて書いたもの。

■感想 ☆☆☆☆*
 完全に食わず嫌いだった作家、舞城王太郎さん。
 私の中では、西尾維新さんや清涼院流水さんの作品と
 同じカテゴリに入っていて、「食わず嫌い」というよりは、
 「気になってはいるけれど、パワーがありすぎて近寄るのに
 勇気がいる」作家さんだった。その「食わず嫌い」感は、
 脱力感さえも感じさせるこのタイトルによって、さらに強くなった。
 しかし、この強烈なタイトルに却って目が離せなくなり、
 「とうとう」(という気持ちに勝手になりつつ)手に取った。

 癖のある文体は、慣れるまで違和感を覚え、少々戸惑いながら
 他の作家さんの本よりも時間をかけて読み進めた。
 パワーと勢いがありすぎて、文章に引きずられてしまう。
 そのパワーに委縮してしまう。恐れを感じてしまう。
 最初の印象どおりの作品なのかと思いながら読み進めた序盤。
 章が変わり、「主人公が書いた小説」から「主人公の話」に話が移り、
 物語は更に勢いを増し、いつしか私は物語の中に完全に
 引きずり込まれていた。そのパワーに心底、圧倒された。

 この作品は「世界の中心で愛を叫ぶ」のアンチテーゼとして
 書かれたものらしい。けれど、そういったことは無関係に、
 純粋に言葉の持つ力そのものに圧倒された。
 言葉は言葉だけでは無力で、それに力を与えるのは結局のところ
 人の想いなのだという当たり前のことに改めて思いを馳せた。

 「祈り」に「人の想い」に「言葉」に力はあるのか。
 それらは世界を変えることはできるのか。
 そういった問いかけに舞城さんは力強く答える。
 言葉に力はある、と。祈りは無駄じゃない、と。
 特に祈りに関する文章には心打たれて何度も読み返した。
 祈りは「そうなってほしい」と願っていることを口にすること。
 自分が願っていることを確認する行為。
 欲望を口にする行為でありながら、どこまでも無欲な行為で
 だから人は祈りが聞き届けられなかったからといって
 「祈って無駄だった。祈った時間返せ。」なんて思わない。
 それが祈りだ。こういった論旨の文章に、心底納得した。
 今まで漠然と続けてきた行動が言葉とすっきり結びつき、
 爽快感を抱いた。

 食わず嫌いなんてするもんじゃない。
 気になる出会いは大切にしなければ。そう思った作品。

凍りのくじら/辻村深月

2009年02月07日 23時28分16秒 | 読書歴
106.凍りのくじら/辻村深月
2.凍りのくじら/辻村深月

・・・今更ですが、2008年読了本。
しかし、2009年に入って、再度、読み返しました。
短期間で2度も読み直しているあたりからも
かなりのお気に入りぶりが伝わるかと・・・。

■ストーリ
 藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して
 5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」
 と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、徐々に他の人には
 見せたことがなかった自分の内面を見せていく理帆子。
 同じ頃に始まった不思議な警告。やがて警告は警告だけに終わらず、
 みんなが愛する「不思議な道具」が必要になる。

■感想 ☆☆☆☆☆
 ドラえもんへの愛情がいっぱい詰まった物語。
 子供時代をドラえもんと一緒に過ごしたことがある人であれば、
 そして、あの世界観を知っている人であれば、あの作品への愛情を
 一緒に分かち合えるであろう作品だ。しかし、それだけではない。
 ドラえもんを見たことがない人、あの作品世界で多くの時間を
 過ごしたことがない人であっても、十分に共感し、楽しむことが
 できる普遍的なテーマをきちんと持っている作品だった。

 ヒロインが抱いている孤独は大きい。
 彼女は、自分を含めて全体を客観的に捉えられる能力を持っている。
 それ故、周囲を一段下に見下し、他人と正面から向き合わずに
 一線をおいた接し方、距離の取り方をする。しかし、自分の
 そういったものの見方に対して、誰よりも彼女自身が一番
 「鼻もちのならなさ」を実感している。そういった不器用な生き方、
 人との接し方が痛々しい。

 自分自身のことも自分を取り巻く人のことも客観的に
 捉えることができていると思いこんでいる彼女が冷静に繰り広げる
 客観的な状況説明と、その合間に時折、挟まれる無意識の
 モノローグが対照的で痛々しい。
 自分の嫌な面や欠点をしっかりと捉えることができていても
 自分の孤独には気づけない不安定さ、周囲から与えられている愛情を
 受け取ることができない不器用さが彼女をどんどん孤立させ、
 自分の世界に閉じこもらせてしまう。

 終盤、彼女が遭遇する不思議な事件は、現実には
 ありえないことかもしれない。しかし、その暖かさは
「こんなことが起こったらいい。起こってほしい。
物語の中でぐらい、こういった奇跡を信じたい。」
 と思わせてくれるものだった。
 辻村さんらしい素敵なお話の終わり方で、彼女の「優しさ」が
 全編に行き渡っている作品だと思う。

九年目の魔法/D・W・ジョーンズ

2009年02月07日 23時27分35秒 | 読書歴
105.九年目の魔法/D・W・ジョーンズ
・・・今更ですが、2008年読了した本。

■ストーリ
 なにか、おかしい。壁にかかった懐かしいこの写真も、
 愛読していたベッドの上のこの本も、覚えているのとは異なる。
 まるで、記憶が二重になっているみたい。
 そう、ことの起こりはたしか十歳のとき。大きな屋敷にまぎれこんだら
 葬式をやっていて、そこでひょろっとした男の人、リンさんに出会って、
 そして、なにかとても恐ろしいことが始まって・・・。
 少女の成長と愛を描く現代魔法譚。
■感想 ☆☆☆☆
 自分の記憶に疑問を持ち始めたヒロイン。
 実際にあった過去の上に、全然別の過去を植え付けられ、本来の記憶が
 消されている。9年前の奇妙なお葬式で出会った一人の青年に関する
 記憶を消すためだけに、その他の記憶も書き換えられているみたい。
 そう気付いたヒロインが記憶とその青年を取り戻す話。
 高校時代に初めて読んで以来、定期的に読み返している作品のひとつ。
 初めて読んだときは面白いファンタジーとしか思っていなかったけれど、
 読み返すたびに、恋愛物語の面を色濃く感じる。幼い少女特有の
 「大人の男性へのあこがれ」が徐々に「初恋」になり、そして、
 大人の女性としての「愛情」へ変わっていく過程は、少女の成長と
 重なり、かわいらしく気恥しく、そして切ない。

 もちろん、それだけではなく、ダイアナ作品特有の爽快感は健在。
 謎がどんどん解けていき、伏線が次々につながっていくストーリ展開に、
 無心にページをめくり、本を読む楽しさに没頭することができる。

 しかし、最も心躍るのは、作中に多く出てくる物語の数々。
 リンさんから成長していくポーリーに送られる文学作品は
 読んだことがなくても、作品名は聞いたことがあるような
 「名作」と呼ばれているものばかり。それらの本に夢中になる
 ポーリーの姿を見ていると、私がそういった作品に出会った時のことや、
 それらの本が持つ力を思い出し、それだけで楽しくなってくる。
 何より、そういった記憶と付随して、図書館で本を探しているときの
 わくわく感やむさぼるように本を読んで、ふと気がつくと
 夜になっていた日のことなど、本と過ごした幸福な時間までもが
 よみがえってくる。
 そういった「自分自身の記憶」が刺激されるのが心地よい作品だった。