のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

言葉は選ぼうね。

2006年11月12日 19時42分30秒 | 日常生活
大掃除にひっぱりこんだ高校生君が
大掃除の最中に怪我をしてしまいました。
かなり流血がひどい模様。

こういうときは、年が近い人のほうが・・・と
のりぞう妹と同い年の友人に
「慰めてあげてよ。」とお願いしてみました。
のりぞう、ちびっこは得意なんですけど
高校生や大学生ってよくわかんないんです。

すると友人、高校生君に近寄って一言。

「君も教会になんか来なければ
 怪我なんてしなかったのにねぇ。。。」

をいをい・・・・。
高校生君も回答にこまっとるやん。

会話って難しい・・・

2006年11月12日 19時38分36秒 | 日常生活
教会に新しく高校生がやってきました。
礼拝だけでなく、その後の教会学校も愛餐(昼食)も
そして、大掃除まで残ってくれました。

素敵!教会の大掃除は大変なのに!
男の子なので力仕事ばかり任されて大変なのに!

でも、逃げられると困るので
(力仕事要員は大切ですから)
みんなでフレンドリーに話しかけてみました。
まずは無難に地域ネタから。

「家はお近くなんですか?」
「はい。すぐ近くです。藤崎駅の近くなんですけど。」
「あ!じゃあ、もしかして昭代(しょうだい)あたり?」

文脈からもお分かりだと思いますが。昭代は地名です。
もっと他に会話の掘り下げ方があるだろう。と
自分でも突っ込みつつも、高校生との共通点を
見つけることができない不甲斐ないのりぞう。
それに対する高校生君の回答。

「はい。将来は医者になりたいな、と考えてます。」

・・・・・・。
そっかー。お医者さんかー。すごいねー。
いや、あからさまに会話の流れがおかしいけど
まあ、いいや。ほら、会話も広がったしね。

その後はなし崩し的に大掃除にひっぱりこみました。

動物園の鳥/坂木司

2006年11月12日 19時26分31秒 | 読書歴
■ストーリ
 春の近づくある日、僕・坂木司と鳥井真一のもとを二人の老人が
 訪ねてきた。僕らの年上の友人でもある木村栄三郎さんと、
 その幼馴染みの高田安次朗さんだ。高田さんがボランティアとして
 働く動物園で、野良猫の虐待事件が頻発しているという。
 はたして鳥井は外の世界に飛び立てるのか、感動のシリーズ完結編。

■感想 ☆☆☆☆
 第一弾「青空の卵」の感想はコチラ
 第ニ弾「仔羊の巣」の感想はコチラ

 いよいよ三部作の最終作。今回のテーマは
 「自分と他人との距離」そして「大人になるということ」。
 
 坂木さんの作品、特にこのひきこもり探偵シリーズは
 人の善意を信じて、描かれている。人が人を思い合っているにも
 関わらず、その想いがうまく伝わらない。その結果、生じる誤解。
 その誤解を坂木さんと鳥井君が解きほぐしていく。
 けれども最終作であるこの作品では、人の善意だけではなく
 悪意にも焦点をあてている。悪意、ではないかもしれない。
 思いやりのない人間、想像力のない人間が存在すること。
 その結果、生じる人と人との間の壁。
 そういったものをテーマにしている。鳥井君の言葉で言うならば
 「言葉が通じない人間」。自分の世界観を絶対にまげない人間。
 自分にとって良いもの(たとえばブランド、学歴)は
 他人にとっても良いものだと思い込んでいる人間。
 彼らは想像力が足りない。自分にとって大事なものが
 他人にとっても大事なものだとは限らない。他人も同じものに
 同じように価値を見出しているとは限らない。逆もまた然りである。
 自分にとって無価値なもの(たとえば貧乏な知り合い、
 ひきこもりのクラスメイト、中卒の同僚など)がみんなにとって
 無価値だとは限らない。誰かにとっては大切な存在かもしれない。
 けれども、そうは思わない。思えないのである。
 そういった想像力の欠如が生み出す罪をテーマにしている。
 それらは確かに存在していて、そして、「言葉が通じない」からこそ
 どうすればいいのかわからず、私は小説の世界の中の人物にまで
 なんとも言いようのない焦燥、やりきれなさを感じる。
 もっとも、この作品内では、そういった想像力のない人間とも
 じっくりと話し、語り合うことで分かり合うことができる。
 その部分だけは、若干の物足りなさ、疑問を感じた。
 果たしてこんなにうまく分かり合えるものなのか。
 
 けれども、そういうものなのかもしれない。
 想像力が足りない人間にも、詳細に、きちんとなぜ嫌なのか、
 何が辛いのか、何を不快に感じているのかを話せば
 分かってくれるのかもしれない。
 つまり、きちんと話さない限り、もしくは自分も同じことを
 経験しない限り、分からないのかもしれない。
 そんなことを考えながら読んだ。

 鳥井君がひきこもりになった原因、そして鳥井君と坂木くんが
 共依存の関係となっ原因の人物と対峙したふたりは
 小さな部屋から大人の世界に羽ばたこうとする。
 その必死さに終盤はひたすら目頭を熱くしながら読み進めた。
 以下の文章は、心から共感した文章、そして、
 この三部作が持つ世界観をよくあらわしていると感じた文章だ。
 私もこういう優しい円を描きたい。

 「お土産をくれる人がいて嬉しい。
  お土産をあげる人がいて、もっと嬉しい。
  誰かを重い、誰かに思われる。
  そんな美しい円を僕も描くことができたら。
  そう思うんだ。」

れんげ野原のまんなかで /森谷明子

2006年11月12日 18時48分50秒 | 読書歴
■ストーリ
 秋庭市のはずれもはずれ、ススキばかりがおいしげる斜面の
 ど真ん中にたつ秋庭市立秋葉図書館、そこが文子の仕事場だ。
 無類の本好きである先輩司書の能瀬や日野らと、日がな一日
 あくびをしながらお客さんの少ない図書館で働いている。
 ところがある日を境に、職員の目を盗んで閉館後の図書館に
 居残ろうとする少年たちが次々現われて・・・。
 のどかな図書館を優しく彩る、季節の移り変わりとささやかな謎。

■感想 ☆☆☆☆
 私にとって図書館は大好きな場所であり、小さい頃から
 通っている大切な場所、父親との思い出が詰まっている場所でもある。
 そういう思い入れのある図書館を舞台にしたミステリ、という
 舞台設定だけでわくわくしてしまう作品。
 図書館職員だれもが本に思い入れを持っていて、小説の端々に
 挿入されている仕事振りや本に対するそれぞれの想いを読むだけで
 楽しめる作品である。
 小さい頃に自分が読んだ児童書が登場人物にとって思い入れの
 ある作品として出てくると、それだけで自分も作品世界と
 場所や時間を共有しているようで嬉しくなる。
 連作短編集で、季節ごとにひとつずつの謎が提示される。
 それらの謎もおもしろく、興味をひかれる。
 そして、図書館員ひとりひとりの心の動きも共感が持てる。
 狭い館内で築かれる同僚としての絆や思いやりと
 小さな小さな片想い。そういった人間関係も面白いからこそ
 ぜひ続編を書いてほしい。恋に恋していた主人公が
 本当の恋に出逢えそうな、そんな兆しを感じさせる場面で
 終わっているからこそ、なおさら続編を待ち望む。

 読み終わった後、「床下の小人たち」のシリーズを
 改めて読み返したくなった。小学校の図書室で出会ってから
 卒業までに何度、借りたことか。床下の借り物生活に
 どれだけあこがれたことか。小さい頃に読んだ作品は
 私の中に確かに息づいていて、作品名を聞いただけで
 懐かしく思い出せることが分かったことも嬉しい。

ニッポン硬貨の謎/北村薫

2006年11月12日 18時34分14秒 | 読書歴
■ストーリ
 一九七七年、ミステリ作家でもある名探偵エラリー・クイーンは
 出版社の招きで来日し、公式日程をこなすかたわら東京に発生
 していた幼児連続殺害事件に興味を持つ。
 同じ頃、大学のミステリ研究会に所属する小町奈々子は、
 アルバイト先の書店で、五十円玉二十枚を「千円札に両替してくれ」
 と頼む男に遭遇する。
 敬愛してやまない本格ミステリの巨匠エラリー・クイーンの未発表
 遺稿を北村薫さんが翻訳したという体裁で描かれているこの作品は
 エラリー・クイーン作家論も兼ねているパスティーシュ作品である。
 エラリー・クイーン生誕百年記念出版。

■感想 ☆☆☆☆☆
 ☆5つをつけましたが、エラリー・クイーンに興味がまったくない人、
 彼の作品をまったく読んだことがない人にとっては読み進めるのが
 辛いかもしれない、と思われる作品ではあります。
 ただ、エラリー・クイーン作品に興味がなくても若竹七海さんが
 出題した「五十円玉二十枚の謎」を知っている方は、
 楽しめる作品になっています。どちらも知らない方にとっては
 少し辛いかもしれません。

 そして、どちらも知っていて、どちらにもわくわくした私にとっては
 夢のような作品でした。図書館でエラリー・クイーンの作品に
 出会ったのは小学生高学年の頃でした。それから中学卒業頃までは
 わくわくしながら作品を読み薦めた記憶があります。作者の名前と
 同じ主人公が作品中で探偵として活躍するスタイルが当時の私には
 新鮮で、まるで現実の出来事のように思いながら読んでいました。

 その頃のことを懐かしく思い出させてくれた作品です。
 けれども、作者、北村薫さんの本の読み方、考察の深さ、
 博識ぶりに圧倒される作品でもあります。同じ作品を読んでいながら
 その味わい方が全く異なります。同じ作品を読んだからこそ
 彼の賢さに基づいた作品の読み込み方に尊敬の念を
 抱かずにはいられません。

 「スキップ」や「ターン」で見せるやわらかい文体は消え
 翻訳調の硬い文体で綴られるこの作品は、まさに
 エラリー・クイーンの作品のようで、作品の設定も
 章毎に挿入されている少し長めの(注)もすべてが楽しめる
 作品でした。

 ・・・頭がよい人が羨ましくなる作品です。

天の前庭/ほしおさなえ

2006年11月12日 18時15分07秒 | 読書歴
■ストーリ
 高校の工事現場で発見された白骨死体と日付の刻印されたボールペン。
 自動車事故で意識不明となり、そのまま九年間眠り続けた柚乃は
 奇跡的に目覚めたとき、すべての記憶を失っていた。父は同じ事故で
 死亡、母は柚乃が子供の頃、ドッペルゲンガーを見たと言った翌日に
 失踪していた。そして今、長い眠りから醒めた柚乃は、パソコンに
 残されたかつての自分の日記の中に、自分にそっくりな少女に
 出会ったという記述を見つける。ドッペルゲンガー、タイムスリップ、
 友達と注文した日付入りボールペン。彼女の行き着く真実とは?

■感想 ☆☆☆☆*
 読んでいる最中に背筋がすっと寒くなった。
 静かな部屋でひとりで読んでいると、何か音が欲しくなる。
 人の声が聞きたくなる。何に対して恐怖を抱いたのか
 それが自分にもわからない。けれども感じたのは「怖さ」。
 小さい頃、押入れの中の暗闇や、誰もいない隣の部屋に
 感じたような「えもいわれぬ怖さ」だ。

 文体は爽やかで青春ミステリを思わせる。少女の語り口で
 自分自身の過去を思い出していく様子は柴田よしきさんの
 「少女たちのいた街」を思い出した。けれども、そこに
 絡んでくる新興宗教やネット上の掲示板、
 そしてドッペルゲンガーといった要素が不穏な響きを奏でる。
 SFの要素も盛り込んでいるため、論理的な解決は
 なされない。それでも、あるかもしれないと納得できる力が
 作品にある。不条理な怖さが心に残った作品で、だからこそ
 彼女のほかの作品もぜひ読んでみたい。