コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

ボルドーの赤と黒

2010-08-23 | Weblog
アビジャンに住んでいて、不自由を感じないで助かることの一つに、ワインがある。大きなスーパーに行けば、必ずしっかりしたワインの棚があり、比較的豊富な品揃えがある。秘蔵用の銘柄や、年代物のワインはないけれど、安くておいしいワインが数多く取り揃えてある。だいたい1本が4千フラン(800円)くらいで、手軽に楽しめる。

店でワインを選んでいて、一つ気がついた。8割方がボルドーの赤ワインなのである。フランスの旧植民地だったから、フランス産のワインが多いことは分るけれど、どうしてブルゴーニュやロワールなど、ボルドー以外のワインが少ないのだろう。

コートジボワールの人々も、ワインをよく嗜むので、公邸の夕食会などに招いて、私はワインを選んで出すわけである。いろいろ試してみて分ったこと。まず、白ワインはあまり好まず、赤と白とどちらにしますかと聞くと、ほとんどが赤と答える。そして、その赤ワインも、ブルゴーニュはあまりしっくり来ないようである。ボルドーの赤ワインを出しておけば、まず間違いない。

ボルドーの赤ワインというと、主にカベルネ・ソービニオン種とメルロー種という葡萄を使い、比較的渋みが多くしっかりした味である。これに対して、ブルゴーニュではピノ・ノワール種を使うので、味も色も明るいという違いがある。以前に、アビジャンを遠く離れた村で、夕食にワインが出てきて(当然、ボルドーの赤ワイン)、集まった人々がワイン談義をはじめ、このサンテミリオンのメルロー種はいい味だの今一つだの、難しいことを言いだして驚いた。コートジボワールの人々は、ワインの味にうるさい。

味の違いは、味が劣化しやすいかどうかにも影響するようで、私の経験でも、ボルドーは比較的温度変化や輸送に強いのに対して、ブルゴーニュのほうは、ちょっとした負荷をかけると味が変わってしまうことが多い。だから、コートジボワールのような平均気温が高いところでは、ボルドーの方が扱いやすく、商売上好まれるということはありうるだろう。そういう長年の経緯があって、コートジボワールの人々は、ボルドーの赤ワインの味に舌が慣れてしまい、ボルドーの赤でないと、ワインを飲んだ気がしないということになったのだろうか。

店に行くと、フランス産ワインだけでなく、ほかの国からのワインも店に並んでいるから、ワインに関するグローバリゼーションは西アフリカにも及んでいる。特に進出目覚ましいのは、南アフリカのワインである。南大西洋を貨物船で縦断するだけなので、輸出しやすいという優位性があるのであろうか。そういうワイン市場の動向も興味深い。しかし、本日の主題はワインではない。ワインについては、また別稿に改めてご報告する。

ともかくも、私はコートジボワールの人々が、ボルドーのワインばかり飲んでいることの理由を、ボルドーワインの特質、つまり脂分の多い当地の料理には、味のしっかりした方がいいのだろう、とか、アフリカの気候に堪えるワインが好まれるのだろう、とか、そういうところに見当を付けて、まあ納得していたのである。ところが、どうもそれらとは全く次元を異にする理由があるのではないか、と徐々に感じ始めた。

というのは、私がアビジャンに来てから出会うフランス人、もう何十年とコートジボワールを本拠地にして、商売などを営んで生活してきているフランス人たちの相当多くが、ボルドー出身であるということに気がついたのである。どうも、ボルドーとコートジボワールとの関係は、ワインだけではない。おそらく貿易や商売全般にわたって、何か特別の理由があるようだ。

そして歴史の本を紐解くうちに、ボルドーに言及した記事に出くわしたのである。その記事によれば、このフランス南西部の町は、ワインの生産地であるとともに、大西洋の港町であった。そして、15世紀にポルトガルが開拓して始まった、対西アフリカ海上貿易の主導権は、やがて英国とフランスに移行し、18世紀までには、ボルドーは、英国のリバプールと並んで、対西アフリカ貿易の2大拠点となっていった。だから、ボルドーは赤ワインの前にまず、そもそも貿易を通じて、西アフリカとの関係の深い町だったのだ。

18世紀の最盛期には、そのボルドー港から、ヨーロッパの製品が、アフリカ方面に向けて積み出されていった。そして、カリブ海方面からは、主に砂糖や綿花が運ばれてきた。このように、ボルドー港にて荷上げ、荷降ろしされる品目を見ている限り、何ら特別な関心を惹かない。しかし、この貿易には、ボルドー港では決して目に触れない、ある「黒い積荷」が絡んでいた。

つまり、その18世紀の貿易とは、「三角貿易」であったのだ。「三角貿易」というのは、まず、ヨーロッパから船に工業製品を積んで、アフリカに向かう。ヨーロッパ製の繊維類や雑貨類ももちろん積んだのだけれど、それに加えて銃などの武器を大量に運んだ。そして、アフリカの港で積荷を売り、その代金で「黒い積荷」を買って積み込んだ。そのまま、大西洋を横断してカリブ海に渡り、その積荷を売りさばき、カリブ海の農園で産する砂糖や綿花を積み込み、ヨーロッパに戻る。これにより、大きな利益を上げたというのが、「三角貿易」である。

その「黒い積荷」とは、アフリカ人奴隷であった。そして、ヨーロッパから輸出され、アフリカで売りさばかれた銃は、そのまま奴隷狩りに使用された。銃が広まったおかげで、奴隷狩りはより残酷に、大規模に行われるようになった。そして、奴隷狩りで捕獲されたアフリカ人たちは、劣悪悲惨な環境でカリブ海方面に輸送され、そこで農園に売られた。その農園で、アフリカ人奴隷たちの労働力により生産された砂糖や綿花を、ヨーロッパに持ち帰っていたというわけである。

このように、ボルドーという町は、コートジボワールをはじめとする西アフリカには、特別の町、つまりヨーロッパとの貿易の窓口となる町であった。そして、赤く明るいワインの町ということだけではなかった。そこには暗い奴隷貿易の陰もあったである。

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