コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

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本物の稲作を見た

2008-12-30 | Weblog

アフリカの稲とアジアの稲をかけあわせて、アフリカの土地にあった収量の多い稲を作る。それによって、アフリカの食糧問題に立ち向かう。ネリカ米の話だ。「アジアの良さとアフリカの良さを融合する」などと、私のコートジボワールでの仕事の標語になりそうな、いい話である。このネリカ米を開発してきたのが「アフリカ稲センター」。紛争が始まったため、2004年にベナンに本部を移してしまったが、まだコートジボワールの中部の都市ブアケ(Bouaké)に、元本部の施設は残っているはずで、何か活動を続けているだろう。まずはこの目で確かめなければ。

思い立ったら、すぐ出かける。国連食糧農業機関(FAO)のアビジャン支部に、案内の協力を仰ぐ。こういう時に、国連の平和維持部隊が出ている国は便利だ。国連はその業務の実施のために、コートジボワールの各地に、日々定期便を飛ばしている。それに便乗させてもらえば、朝の国連機に乗ってブアケに行き、夕方の国連機でアビジャンに戻る、などという神業ができる。FAOの業務の一環ということで、私は国連機に搭乗する許可を得た。

ブアケの飛行場に降り立ち、ディアタ博士の出迎えを受ける。彼は、セネガル人研究者。本部移転後、いわば留守役として、ブアケの施設を管理している。そのまま車で30分ほど走ると、旧本部の敷地に入る。水田が付属した研究棟が並んでいる程度か、と想像していた私は、その大きさにびっくりする。なんと700ヘクタールの敷地である。
「紛争前は1300ヘクタールだったのですが、本部移転以降は維持できなくなって、規模を縮小したのです。」と、ディアタ博士が説明する。それでも相当の広さである。

入り口から更にしばらく車で走ると、旧本部と研究施設に到着する。煉瓦造りの平屋が並び、極めて整然とした佇まいである。会議室で、ディアタ博士が現状を説明する。現在は、研究活動はすべてベナンに移転したが、30人ほどの所員が、ネリカ米の種籾の生産活動を続けている。ここで純度の高い種籾をつくり、これを各国の農業機関に移送して栽培し、一般農家用の種籾を量産する。昨年は、ナイジェリア向けの種籾を、50トン生産した。今年は、米国国際開発庁(USAID)からの注文で、リベリア向けの種籾を32トン生産している。それはそれで有用なことであるとしても、やはり本来は研究活動を行うべき施設である。研究棟の閑散とした研究室は、研究者たちが戻ってくることを待っているようだ。

稲田に出てみて、驚いた。日本の水田と同じで、用水路が切ってあり、広々とした田を畦道が区切っているだけでなく、稲が田植えされている。私はアワさんの稲田を見て、アフリカの稲作というのは、湿地に籾をただ撒き散らして、生えてきた稲を刈り取るだけの農法だとばかり思っていた。だから、このように整然と稲の株が並ぶのを見て感心する。ディアタ博士に、その話をすると笑っている。
「もちろん、水さえあれば、そういう農法でも稲は育ちます。多くの村では、自分たちの消費用の米さえ作れればいいから、その程度の米作で十分なのでしょう。」

ディアタ博士によれば、アフリカで田植えをしないもう一つの要因があるという。
「古来のアフリカ稲は、茎が柔らかくて葉が株から周囲に広がる形態です。ですから、伝統的にアフリカでは田植えが出来なかったのです。しかし、こうした農法では生産性が低くて、収益性の高い農作にはなりません。いかに単位面積あたりの収量を増やすかを考えるなら、田植えは必須です。アジア稲は、茎が硬くて株が立ち、田植えに向いています。ネリカ米の開発には、アフリカ稲にいかにしてアジア稲の形態をとりいれるか、というところにも一つの着眼点がありました。」
研究の結果、密集して植えられるような品種が出来た。その品種の稲田を見ると、株がひしめき合っている。普通のアジア米でも、25センチ角の間隔が必要なところを、この新品種では20センチ角で植えられるという。その分、生産量が上がる。

「アフリカ稲センター」を視察した帰りに、地元の村の稲田を訪れる。ちょうど収穫前であり、粒ぞろいの籾がたわわに実っている。田にはちゃんと水路が切ってあり、畦道で区画されており、稲の株はきちんと升目に植わっている。日本と同じ稲作方法じゃないか、と思ったら案の定、かつて「アフリカ稲センター」に技術協力で来ていた日本人専門家が指導したものだという。そのやり方を、農民が今もなお伝承している。

私は、以前にアワさんの稲田を訪れたとき、アワさんが言っていたことを思い出していた。
「人々は農業を知らない。もっともっと生産を上げて豊かになれるのに、村人はやり方を知らない。」
そうだ、と私は思いつく。ネリカ米と「アフリカ稲センター」の技術指導があれば、アワさんの村に何か出来るかもしれない。

参考:12月13日記事 <ネリカ米の故郷>
    11月6日記事 <畑の文化>

 「アフリカ稲センター」旧本部の前景

 「アフリカ稲センター」旧本部の稲田

 ネリカ米の種籾生産

 「アフリカ稲センター」委託農家の稲作

 米の収穫

 地元農家の稲田

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