コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

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真面目な人々の国

2009-02-19 | Weblog
小学生のとき、世界地図帳にオートボルタという国を見つけた。アフリカの内陸である。不思議な響きの国名の意味を、私は先生に尋ねた。先生は、「フランス語で、ボルタ川の上流という意味だ」と教えてくれた。アフリカの奥地に、深く入り込んだ大河の、さらに上流の国。子供心に、大陸の奥の奥に広がる密林を想像し、そんなところにも独立国があるもんだ、と感心した。40年経って、私はその国の日本大使となった。国名はブルキナファソに変わっていた。

アビジャンに着任して5ヶ月。ブルキナファソのコンパオレ大統領への信任状捧呈を、ようやく行えることになり、私は首都ワガドゥグに飛んだ。コートジボワールの北の隣国であるブルキナファソは、たしかに大陸の奥の奥にあったが、子供の頃想像していた密林というものからは程遠い、乾燥した大地の国であった。森と緑が豊かなコートジボワールを見慣れた目には、疎らに木々が生える白茶けたブルキナファソの地は、かなり対照的だ。ちょうど砂塵が降る季節でもあって、照りつける太陽の下で、人々は喘ぎながら生きているように思えた。

私はこれまで、ブルキナファソをコートジボワール側から見ていた。コートジボワールにとって、ブルキナファソは単なる北の隣国というだけではない。多くの移民労働者が、コートジボワールに働きに来て、そのまま何代にもわたって住んでいる。その数、3百万人とも4百万人とも言われる。彼らは、独立以降60年代、70年代を通じて、南部地域のカカオやコーヒーなどの大農園に大挙して移住し、労働力となってきた。ブルキナファソの人々の労働は、農園にとどまらず、あらゆる分野に及んだ。アビジャンで、工場や事務所で働く労働者やバス・タクシーの運転手から、道端の苗木売りに至るまで、およそ身体を使って働いている人の出身を問うと、まず北方の内陸にある外国の出身者である。その中でも、ブルキナファソ出身者は格段に多い。私にとって、ブルキナファソとは、働く人々の国である。

ワガドゥグに着いてみると、人々が見せる生活の表情が、アビジャンとは明らかに違う。まず、相当多くの人々が往来しているのに、街の通りにゴミの散かりが殆どない。ほうぼうで、道を掃除している人に出合う。単車や自転車が、人々の主要な交通手段である。主要な通りには専用レーンがあり、専用信号機に従って規則正しく走っている。駐車場が決まっていて、皆が実に几帳面に、単車と自転車を並べて駐車している。何となく秩序があることを感じて、街を歩いて警戒する気持ちにならない。人々の表情が柔らかいだけでなく、商店が鉄格子の檻で囲まれていないからかもしれない。アビジャンよりはずっと、人心が安定しているようだ。家々の塀も目の高さくらいで、特に大げさな泥棒避けもついていない。公徳心というか市民の規律が、きちんと存在していることを伺わせる。

そしてやはり、働く人々の国であった。朝7時の通勤時には、自転車の大群が街の中心に向けて流れていく。往来は活気があり、商店でも、飲食店でも、手工業の工房でも、誰もが働いている。遊んでいる人、ぶらぶらしている人を、余り見かけない。まして、アビジャンで見られるような、道端に寝そべっているような人はいない。商店街に行くと、野菜売りのおばさんや、商品を抱えた若者が、熱心に売り込みに来る。人々は、街の中の空き地を見つけて、丁寧に畝付けされた畑をつくって野菜を育てている。信任状捧呈式の前日に、郊外に出て近くの農園を視察した。広大な畑に数多くの農民が腰をかがめて働いている。耕運機などもなく、全て手作業。しばらく目にしなかった、これこそが農業だという風景だ。話に聞いていたとおり、ブルキナファソの人々は働いている。

それでもブルキナファソは貧しい。世銀の統計(2007年)では、一人当たり年間の国民総収入(GNI)が430米ドルだから、日本の90分の1。世界全体209ヶ国(地域含む)のうち、186位である。内陸国であり、気象条件も厳しく、資源もないからなのだろう。そんな数字にもかかわらず、国土や経済が荒れ果てているような気配は全くない。むしろ人々は規律正しく、秩序があり、常にしっかり働いている。生活は活気に満ちている。この国が、どうして貧しいと言われているのか。ほんとうに貧しいところが、どこにあるのか。貧しいという言葉の意味を、この国をもう少しよく理解することを通じて、私なりに考えてみようと思う。

ブルキナファソという国名は、何を意味するのか聞いてみた。ブルキナというのは、ジュラ語で「清廉潔白な人(homme intègre)」という意味だという。具体的にはどういう人のことを言うのか、とさらに聞いたら、どうも日本語でいう真面目な人ということのようである。ファソというのはモシ語で「父祖の地」つまり「国」ということ。だから、ブルキナファソというのは「真面目な人々の国」という意味である。国名を口にするたびに、国民としてあるべき姿を思い起こす。「ボルタ川の上流」というより、ずっといい国名だ。私は、真面目な人々の国の大使になった。
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1 コメント

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Unknown (かじみさ)
2009-02-24 13:55:20
子供のころ漠然と想像していたアフリカはジャングルやサファリ。狼少年ケンやちびくろサンボに培われた不正確で錯綜したあこがれ。まず私のそのメルヘンチックなイメージを打破しないとね、と20年ほど前、すでにアルジェに住んだ貴方は言ってましたね。その後私も、度重なる人道危機、血のダイヤモンドや死の商人、勃発するジェノサイド、あとを絶たない児童兵、この大陸の抱えるはるかに深刻な問題と、それらに不十分ながらも対処しようとする国連に多少なりとも係ることになりました。それでもこの広大な大地には、人々の営みがあり、お国柄が違ってて、という話はなんだかほっとします。地道な信頼構築。貴方の戦いを応援してます。

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