戦後歌舞伎の精神史   渡辺 保著   講談社刊                黙阿弥の明治維新  渡辺 保著   新潮社刊・1997年刊

2017-12-24 09:34:18 | 日記

この二冊のコメントの前に、『東京人』(2018・1)「対談 歌舞伎は嫌い?! だけど面白い。武井協三・酒井順子」から、武井氏の次の発言を引用しておく。
「十年くらい前に歌舞伎を観た時“水っぽくなつたなぁ”と思いました。いわゆる新劇と変わらなくなって歌舞伎らしい“アク”や“コク”のある演技が見られなくなった」。
渡辺保氏の『精神史』のメインテーマもこれである。コクーン歌舞伎に代表される最近のカブキが武井氏の「水っぼくなった」という指摘がこれに当たるだろう。
私も同感だ。形式は歌舞伎だが形だけで、アクもコクもない。と言うか、ドタバタだ。
しかし、歌舞伎の長い歴史の中ではこのような事が何度かあった筈である。
その代表例が『黙阿弥』。渡辺氏は20年前にこの事を指摘している(但し、本書は古本屋でしか手に入らないと思う。たまたま私は持っているが)。明治維新後、折からの西欧主義に迎合した永井荷風に代表される演劇改良論者達は、河竹黙阿弥の戯作をボロクソに批判した。アクもコクも古臭いというわけだ。かくして、黙阿弥は挫折した。
今、アクやコクのある芝居をする歌舞伎役者の出番は少ないように思える。何故こうなったか? これについて渡辺氏はユニークな分析手法を使って解説している。これを書きたいが……止めておく。これが、なかなか面白いのだ。一読されたい。


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