時事寸言

時に応じ事象に応じて寸言。

神の領域は

2014年06月05日 | 時事寸言
Twitter のIDを全て解約しました。

ブログはBlogger 時事寸言と、
gooのブログにしましたが時事寸言としては、

グーグルのブログは全世界的に見て頂けると言う事で此の一つで、
良いのかも知れませんが日本向にgooのブログを選びました。

ネットは利用者の質が低下中成れば提供側の防衛も大変と思いますが、
此れほど人の質が低下した時期、歴史は初めてかも知れませんね。

野生化しつつ在る人ですが動物が食用の為とは云え、
動物を生産する人の社会は恐ろしい事ですし神の領域は?。

当の人は自らを人間と言い乍、最悪、最低の生き物、動物ですが、
古代からの蓄積された歴史や知恵は動物には必要ない要素ですから、
全てを破壊消去仕様としています。

同種の動物としての殺害行為は他の動物では在りませんが、
此の人と云う動物だけは激しくギリシャ神話の時代から、

神の領域を犯す生き物として一本足は免れましたが、
二本足で悪行の限りを尽くしています。

今最悪と思える事は中国・ロシア・シリアと破壊と覇権は最悪で、
人が集まり其の多数を極める程、反人道的大国と言えますが、
弱者が逃げ惑う姿を尻目に残虐な悪行を尽くします。

真知の希求は各自が思索考察に依って学問としての学習も必要ですが、
其の度合に依って善や正しさに目覚めます。

動物的には必要ない事でも在り其の学問、学習は無いと断言出来、
其の役目の宗教はパワー団体としての存在に過ぎず、

学問・学習としては何の役にも立っていなく、
寧ろ盲目の人を集めてパワーと為すのみで教祖の言葉は、
拒否できないとすれば寧ろ危険な団体とも思へ、

人が集まる事でのパワーは内容に依っては危険極まり無いと云え、
個人の悪事のみでも危険ですが団体と成れば尚更です。

教祖の言葉を実践する事での信者の立場は、
教祖の言葉に疑問や否やは信者に非ず盲信と成るやも知れません。

其の他の学習、学問ではプラトンやソクラテス、
孔子や老子に習う事も出来ますが今、其の国では、
正反対の行為に近隣は迷惑、困っています。

自分自身が善悪を思索考察出来れば良いのですが、
其の要素は全く無いとしたら、もう、処置は在りません。

転がり始めたタルタロスへ向かう石の様に留める事は不可能ですが、
自転車に乗る女性と其の子の姿が其の将来を示して居る様です。

悪は悪を産み育て際限無く悪は栄える事と成りますが、
人の生は其の侭でも立派な悪で善は学ばずしては得られませんが、

習うチャンスも希少で在れば習わずして一生を終える人の多く、
人の社会としての善導を与えられた報道関係者,機関は、

善と無縁の言動をしてあの、コマーシャルは悪導の極み?、
金に成ればと率先している様ですが此の人の社会に善や正しさ、
全く無いとしたら人は善や正しさ習う処も無いと云う事ですが、

親の躾の親にも、国家の国民の為の義務教育にも、
社会の何処にも無い善や正しさ教育は何処から学べば良いのでしょうか、

若し、宇宙最高の原理が在るとしたら、其れは神としか言えないと、
ソクラテスですが、若し、と云うのですから、
未だ、神を観て無いソクラテスでしょうか?。

善や正しさを学ぶ難しさ、
皆さんお好きなではない、
レオポルド・モーツアルトのバイオリン奏法(此れは日本書名ですが)、

御覧に成ると正しさにも美しさにも出会えるかも知れませんが。
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消え失せしバロック音学

2014年06月04日 | 時事寸言
クラシック音楽、古典期とすると和声的作曲法に変わりつつ在る時期、
ルネサンス時代からバロック時代の音楽は対位法での作曲ですから、

観た事も聞いた事も無い音学ですが幾度目かの人生で経験したと思える、
耳の底に残る其の響きは現在其の演奏習慣に従い演奏する音学で、

蘇って来るのですが70年以前の演奏の中に稀に懐かしく感じる時が、
在ったのですが最近では耳を閉ざして聞かない行為をする事の驚きを、
感じていますし其の原因は演奏家の演奏法と言えるのでしょうか、

時代、時代の演奏習慣は立派に在ったと思うのですが、
現在気付いて観ると当時の演奏習慣を無視、否、無知、
知らない演奏家が演奏家とされている事に気付きます。

時代的に当時の記憶も記録も踏襲も無い自分勝手な自己流の演奏。

時代を問わず作者を問わない現代風演奏と言うのでしょうか、
演奏習慣に無知なるがゆえの成り行きですが、

読譜、解釈に当時の演奏習慣が在ると言う事すら無知で、
自分で其の楽譜を解釈して演奏する現代風、各時代の音楽としての演奏は、

顕著なのはロマン派音楽思想の演奏技法と其の中身の無さが、
全ての時代の音楽を此の演奏習慣で否、自分の言葉でとよく聞く話の、
思い上がった自己尊重とでも言うのでしょうか、

現在の自分が見た当時の楽譜を自分流に解釈して、
自分流に演奏を試みるその自己評価を個性ある演奏解釈とでも言うのか、

其の影響し合った権威というのか三者が揃った音楽感は、
今言うコンテンポラリー、コンポラ音楽らしいのですが、

バロック音楽を当時の演奏習慣で演奏すると、
観客席からブーイングが来るとアーノンクールは著書で悔み書かれていますが、
其れが現在の音楽産業と言う音楽界の常識らしく、

ハイフェッツ以下バイオリニストの名人のCDやDVDも聞かなく成りましたが、
一般音楽ファンやツウと言われる人も対位法で書かれた当時の音楽、
御存知無いのか絶賛するに至っては何も言う事は無く成ります。

グレゴリオ皇に仕えた女性の発案進言で現在の五線譜は在ると聞きますが、
其処に繰り広げる音符や記号、現在と変わらぬ姿ですが、
当時と現在では全く違うと云うほど意義の違いが在りますから、

自分流の解釈と言うか現在風解釈と言うか無知成ればこその演奏で、
フックスの対位法教則本前書きを見ても歴然ですが、

少し名が知れるとマエストロ、勝手放題は権威とか、
音楽談義もバカバカしく、恥も外聞も有名成ればこそで、
少し興奮して話が横道ですが元に戻してクラシック。

古典、其処に当時の人の表現と尊厳も在りますが、
少しは学習する事でクラシック音楽に携わる者としての礼儀も問われ、
今在るバロック音楽の全てに於いて背筋を伸ばして見るべきかも知れません。

バロック時代の演奏習慣に沿った演奏は聞けない、
聞けなく成ったと言う事です。

先程の自分の言葉で語れと言う事ですが、
自分自身のオリジナルな言葉など一言も在る訳もなく、

全て借り物、自分の言葉で語れは、カッコイイ言葉ですが、
此の事で話し合った事を思い出します。

若い彼は、私に著書からの引用ではなく、
自分の言葉で語れと言われましたが、私のオリジナルな言葉は、

一言も無いと彼に語り君のオリジナルな言葉が有れば、
此処に出して並べる様お願いしましたが、彼にもオリジナルは無い様で、
一言も並べる事は出来なかったと言う事ですが、

全て古来からの人に依って出来た言葉は全て借り物、
思い上がった自分の言葉など無いと言う事ですが、

バラモン教のベーダーンタでは其のンタの部分で、
文章は文字の羅列に過ぎないが、一旦、人が口で語り始める時、

其れを言霊と言うはオリジナルな言葉は無くとも、
其の人としての言葉、言霊は在るかも知れません。

全ての時代の作品を現代自分の表現として演奏するなら、
其れも演奏の一つとして在り得る事と認められるとしても、

其処まで言うなら自作自演を考えるべきで作曲も自分でするべきで、
他人の作品を弄ぶ権利は一切無いと思いますが、

自分の物は自分の物、他人の物も自分の物は現代人の常、
何か言う価値は無いのかも知れません。

恐ろしい世の中です。
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音楽と思索の社会

2014年06月03日 | 時事寸言
人が生存、生活と云うのでしょうか身体が活動し始めると其れに伴い、
身体の本能が他を圧する様に成りますが此の場合自覚が無いのも事実です。

自分が欲する事には他に配慮する事は無く只管其の成果を追求しますが、
此の人物が力や財、体格も大で在る程其の逆の人物には、

被害は大と言う事で大国も国王も知事も市長も社長もと、
もっと云うなら親が子に兄が弟にと権力が其の人に伴う事で、

従わざるを得ませんが其の従わざる権力を尊敬に変える事で、
権力は消え失せ協有と協力に変わる事で自発的な一致協力。

ソクラテスは音学を利用しての説明と思えますが、

此処に一つの音が在ります。

其の上にも一つの音が在ります。

其の真中にも一つの音が在るのです。

と言いますが、何を意義しているかお解りでしょうか。

私はオクターブと五度の音を思い浮かべますが、
ソクラテスは続けてこう述べています。

其のそれぞれの音の間にも幾つかの音が在り、
其の音達は決して融け合う事の無い音達ですが、

此の音達が一旦、協調に転ずる時、其処にハーモニーがと云うのですが、
音学の音階・音律を使って人や其の社会を説明しています。

私は音学と共に哲学は必須の学問と思っていますが、
別々の学問と思う方に反論は致しませんが、

説明不可能と思える事柄に音楽理論を使っての説明が多く感じますし、
其れは音学に興味が在る為とプラトンの著書に気付いています。

音楽は学問の最上位に在り唯一、霊魂のよろこぶ学問。と云い、
此の言葉もソクラテスに依る言葉ですが如何でしょう。

音楽は学問ではないと云う知者が沢山居られ、
音楽は学問ではないそうですが、

楽しむものとか感情的なものとか学問では無いと言いますが、
では、学問をどの様に定義されて音楽の定義は?。

ソクラテスは唯一、霊魂がよろこぶ学問と定義しています。

私も其の様に受け取れますが音楽其のものの内容は、
人が人の為の表現ですが言い換えると、

人自体は物の世界の生物ですから物の世界に於いての表現は、
声も楽器も又、楽譜迄も物の世界の産物ですし、

其れを使い人が表現する時、物の世界ではなく、
形而上に表現された表現物は物では無く無形の状態ですから、

一旦、脳裏に描かれるとしても其の内容は無形と思えますから、

ソクラテスはプラトンのパイドン篇で言う霊魂、唯一霊魂のと成り、
先程の文中での、唯一霊魂の、と云う表現ですが、

人を身体のみでの存在と定義する人以外は霊魂を理解出来る人と言え、
ソクラテスの此の言葉を理解出来得る人と思います。

此の事実を信じない人に依っては音楽を音学と言ったり、
形而上に表現展開する無形の表現を理解できないかも知れません。

従って名人技や曲芸的妙技や唯、上手く演奏できる事のみに終始して、
形の無い霊魂上の表現には無理解は当然の事ですが、

後者の場合はお金や名誉に成りますが前者の場合は無形のままですから、
人は形在る物を好まざるを得ないと言う事でしょうか。

幾ら時間を掛けても議論や対話は鉄路のままでは交わる事は在りません。

お付き合い頂いて居た方とも此の話に成ると、
没交渉の状態と成ります。

特に自称プロの方に多く経験する事ですが禁句かも。
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巨大と極小

2014年06月02日 | 時事寸言
WIN8.1少し使って見るかなとインストール。

然し、多額の料金を払いながら認証しない結果ですが、
其の認証もインストールは記録するが削除やWIN7に戻した、

カウントは記録しない様で結果電話でお願いすると言う行為を、
非常に腹立たしい事ですが金は払うは使うには、
事実、こうたんかいとでも言う様に原本をお持ちかと疑われ、

従って、電話で認証お願いする訳ですから、
客を泥棒と看做して居ると言えますがパワーが有ったり、

巨大で野球のバットで太い方を握って居る輩の常で、
アメリカもロシアも中国も小さくは日本政府、国家公務員など、
パワーと権力に根拠を置きしたい放題ですが、

小さく弱い立場は何時も忍従を強いられて居ますが、
此れは自然の摂理かも知れず我慢の成らない我慢です。

先ずは認証もして頂き何は共在れ立ち上がりますが画面が、
同じデスプレイとは思えない綺麗さですが何処に何が在るのか、
探し回る暫くかも知れません。

折角大枚叩いたWIN8.1ですから暫く使って見ます。

一方ではPC-BSD V.10もDOWNしてDVD作りましたし、
ビュージアルなコマンドで無いBSDも使って見ますが、
出来る事ならコマンドで操作したいと思っています。

以前、殆ど使えていたのですが楽な方を選んだ為、
又、一からの学習ですが根気よくの挑戦です。

金は出すは、一々認証はして頂戴とお願いするのも辞めたいですしね。

此の間からPCの事で一・二か月時間を無駄にしましたしね、
バイオリンやチェロの事も在りますから、PCに関わって居ると、
本業の方が疎か処かお留守と成っています。
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寄らば大樹の陰

2014年06月01日 | 時事寸言
人は自給自足を分担する事で樹上から地上に降りて生活を始めました。

初期原初の人の社会の始まりでも有りますが、
現在では此の趣旨を忘れ否、意図的に捨て去って、
自我の身体に依る本能で在る我欲の追及に明け暮れています。

テレビ放送では国営と云うのでしょうか、
医療や憲法等其れらしい人を集めての番組編成では、

自給自足を最低守る事での人の社会ですが、
御覧なさい自転車の人をルール規則、社会規範を無視する様に、

唯一つ取り出しますが其の法規を守らせるべき警官が、
率先するかの様に歩道を逆行したり並んで走ったりと、

違反の限りを見せ付けていますが一般庶民は其れで無くても、
初期の意義など御構い無しで自我の欲望達成の為、

此の身近な法律を無視守りませんが一人でも守らな者が居ても、
社会は悪へ向かいますが全部に近い状態では憲法云々も無いもので、

此の人と云う動物が其々自我や我欲を追求し始めると、
現在社会の様に成りますが我が身良ければ其れで良しとの現在です。


此の人達が選挙権を付与されての行使は何を意義するするのか知れず、
其の内では宗教の信者の場合や何れかのパワー団体の一員の場合は、

出来た議員の質や目的は酷いもので自我我欲の為のパワーでしか無く、
其の最も大きい状態ではアメリカやロシア・中国の様な状態で、

これを自然の摂理と言うなら平等を出発点とする為の法律も、
何の役にも立たない事ですが法を弄び我欲の為する事は在っても、

其の意義を全うする事は無い人の社会は法の意義すら無いが如くで、
法律家の法解釈は法史学や其の趣旨は理解外とでも言うのでしょうか、
憲法云々も笑止千万。

其の明治憲法では親族法は家長制でしたが、
新憲法に依って得た同じ法は核家族制で在り、

家族は小さくバラバラで其の結果は政府が金で置き換えた制度は、
介護法と言う事ですが以前は家庭で家族を介護していたものを、

貧者の高齢者が富裕高齢者の贅沢な介護を貧者が負担しての現況は、
底辺の貧者が支えて居ますが其の貧者は自分が其の保険の恩恵は無く、

只管、払うだけで自分の介護料は払えませんから唯、払うだけ。

小が弱が沢山集まって大や強を支えると言う仕組みですが、
本来、此の仕組みは逆の事ですが自然の摂理は大や強に微笑みます。

医療も五月三十一日に放送していましたが、
医療費の事ですが見積りを云々や色々意見は出てましたが、
医者と保険機構と患者が壱枚ずつ持つ三枚伝票の事は一切言わず、

消費税での物品税の話同様隠し通す積りの様で汚くも狡い権力者と、
報道業界ですが医師会のご機嫌の為にも三枚伝票や物品税は禁句。

最終的には人の質の問題ですがソクラテスやプラトン。

藪を突くと出て来ますが殆どの人には無縁の質ですから、
身体本能を満足させる為には権力に在る事が最大の条件かも。
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