あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人間、誰しも、対自化し、支配する欲望を持ち続けられる対象は存在する。(自我その251)

2019-11-08 17:51:09 | 思想
人間は、欲望の動物である。欲望とは、快楽を求める心の動きである。心理学者のフロイトは、それを、快感原則と呼んでいる。快楽を求める欲望が人間を動かしているのである。人間は、欲望があるから、目標や目的に向かって行動できるのである。しかし、その目標や目的が善事のこともあり、悪事のこともある。だから、人間が欲望の動物であることは、恥じるべきことでも、誇るべきことでもないのである。単に、人間の特徴を表しているに過ぎないのである。さて、人間は、自分の社会的な位置が定まらなければ、欲望は生まれてこない。自分の社会的な位置が定まるということは、自我を持つということである。それ故に、欲望とは、快感原則に基づく、自我の欲望なのである。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、自我を持って、初めて、人間となるのである。自我を持つとは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、他者からそれが認められ、自らがそれに満足している状態である。それが、アイデンティティーが確立された状態である。アイデンティティーは、日本語では、自己同一性などと翻訳され、まるで、ある構造体の中である自我を得て自らがそれに満足しているような状態のように思われているが、それだけでは不十分である。自我が、他者から認められて、初めて、アイデンティティーが確立されるのである。さて、人間は、いつ、いかなる時でも、常に、ある構造体の中で、ある自我を持って暮らしている。人間は、ある構造体の中で、ある自我を持って暮らしているから、その自我に応じて、自我の欲望が生まれてくるのである。人間が最初に所属する構造体は、家族であり、最初の自我は、長男、次男、長女、次女などである。フロイトの説く、エディプス・コンプレクスという、抑圧心理は、男児が、家族という構造体の中で、長男、次男などの男の子としての自我を持ったから、快感原則に基づいて、男児が母親に恋愛感情という欲望を抱くことから生じ、表層心理で、現実原則に基づいて、抑圧した結果なのである。現実原則とは、自我に利得をもたらそうとする欲望である。さて、人間は、自分の意志で、意識して、欲望を生み出すことはできない。深層心理が欲望を生み出すのである。深層心理とは、人間の、自分自身では意識していない、心の働きである。もちろん、人間に、深層心理が存在すれば、当然のごとく、表層心理も存在する。表層心理とは、無意識の深層心理に対して、人間の意識しての思考や意志による行動を司る心の働きを言う。人間は、表層心理で、自我に利益をもたらそうという現実原則に基づいて、思考する。しかし、人間は、表層心理で、深層心理を動かすことはできない。深層心理は、自ら、動くのである。それ故に、人間は、自我の欲望は、心の底から湧いてくるように感じるのである。しかし、深層心理は、無作為に自我の欲望を生み出しているのではない。深層心理は、快感原則に基づいて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出しているのである。深層心理の働きについて、心理学者のラカンは、「無意識は言語によって構造化されている。」と言っている。無意識とは、深層心理を意味する。私が、敢えて、無意識という言葉を使わず、深層心理という言葉を使うのは、無意識という言葉は、主体は意識にあるということを言外に表現しているからである。「言語によって構造化されている」とは、言語を使って論理的に思考されているということを意味する。「構造化されている」というように、受動態にされているのは、深層心理の活動は、無意識の(意識していない)世界で、行われているからである。つまり、深層心理が、快感原則に基づいて、人間の無意識のままに、論理的に思考し、感情と行動の指令という欲望を生み出しているのである。人間は、表層心理で現実原則に基づいて思考する前に、深層心理が思考するのである。人間は、深層心理が思考した結果を受けて、表層心理で、現実原則に基づいて、思考するのである。つまり、人間は、深層心理が、快感原則に基づいて、無意識のままに、まず、論理的に思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。そのすぐ後、人間は、表層心理で、現実原則に基づいて、意識して、思考し、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が出した行動の指令のままに行動するかどうかを決めるのである。だから、人間は、表層心理で、深層心理が出した行動の指令のままに行動しないことを決断することがあるのである。なぜならば、人間は、表層心理で、現実原則に基づいて思考するが、深層心理は快感原則に基づいて思考するから、深層心理が出した行動の指令には、表層心理の現実原則に相容れないものが存在するからである。快感原則は、道徳観や現実的な利得観を有さず、ひたすら快感を得ることを目的としているからである。深層心理が、道徳観や現実的な利得観を有さず、現実原則に相容れないものを、自我の欲望として生み出した時、人間は、表層心理で、現実原則に基づいて、深層心理が出した行動の指令を、意識して、意志で抑圧しようとするのである。しかし、深層心理が生み出した感情が強過ぎると、表層心理の抑圧は功を奏さず、深層心理が生み出した感情に押し切られ、人間は、深層心理が生み出した行動の指令のままに動いてしまうのである。さらに、人間は、時には、表層心理で意識せずに、深層心理が生み出した感情のなかで、深層心理が生み出した行動の指令のままに、行動することがある。それが、無意識による行動である。無意識の行動は、表層心理で、現実原則に基づいて、意識して思考することが必要ではないような、安心できる、毎日繰り返す行動、つまり、ルーティーンのことが多い。ニーチェが、森羅万象の動きと同じように、人間の生活行動を、永劫回帰(同じことを永遠に繰り返すこと)と言ったのは、人間の無意識の思考である深層心理は、習慣的な行動を選ぶ傾向にあり、人間の意識しての思考である表層心理も、思考する苦労から免れるためである。つまり、人間は無意識の行動を毎日繰り返しやすいためである。さて、人間には、生来、深層心理の敏感な人と鈍感な人が存在する。深層心理の敏感な人は、深層心理が生み出した感情の力が強い人である。現象的には、心が傷付きやすく、感情の起伏が激しい傾向がある。人間は、心が傷付くと、深層心理は、二種類の感情と行動の指令という自我の欲望を生み出す。一つは、心が傷付くと、深層心理は、その心を回復させるために、怒りの感情と相手に対しての復讐の行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。もう一つは、心が傷付くと、深層心理は、その心をより傷付けないようにするために、哀しみの感情と消極的な行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。後者の自我の欲望のままに行動しても、自我の状況はこれ以上悪くなることはない。問題は、前者の自我の欲望のままに行動することである。これが、自我の状況をいっそう悪くするのである。深層心理の敏感な人が、心が傷付き、深層心理が、その心を回復させるために、怒りの感情と相手に対しての復讐の行動の指令という自我の欲望を生み出す時が危険なのである。なぜならば、深層心理の敏感な人は、激しい怒りの感情と相手に対しての過激な復讐の行動の指令を自我の欲望として生み出すからである。深層心理の敏感な人も、表層心理で、現実原則に基づいて、意識して思考し、自分自身、深層心理が生み出した過激な復讐の行動の指令のままに行動すれば、自分にとって不都合な結果になるのは予想できるので、意志によって、その行動の指令を抑圧しようとするのだが、深層心理が生み出した激しい怒りの感情のために、抑圧が功を奏さず、過激な復讐の行動をとってしまうのである。そして、案の定、悪い結果を招き、いっそう心が傷付き、いっそう重い気分に陥ってしまうことが多いのである。また、たとえ、表層心理で、意志で、過激な復讐の行動の指令の抑圧に成功したとしても、激しい怒りの感情を抑え続けるのは、非常に辛いことなのである。傷付いた感情・激しい怒りの感情と抑圧する感情の葛藤が激しく、いっそう苦悩することになるのである。だから、深層心理の敏感な人は、心が傷付くことが予想される場所に近寄らず、心が傷付くような情況に陥らないようにすることである。深層心理の敏感な人は、幾度となく激高し、何度も失敗を重ねて、自分が、深層心理の敏感な人間であることはわかっているはずである。。「君子、危うきに近寄らず」である。深層心理の敏感な人はそれを肝に銘じるべきである。しかし、逆に、深層心理の敏感な人には、自分は、生来、深層心理が敏感であり、深層心理が強いから、意志の力で、深層心理が生み出した感情を抑圧し、深層心理が生み出した行動の指令も抑圧できると思い込んでいる人が多いのである。しかし、意志は、表層心理の範疇にあり、深層心理の自我の欲望が膨張しても、表層心理の意志力は不変であり強大になることは無いから、深層心理が生み出した自我の欲望を抑圧できないのである。さらに、深層心理の敏感な人は、心が傷付くことが予想される場所に近寄らないこと、心が傷付くような情況に陥らないようにすることは、卑怯だと思い込んでいるのである。それも、また、深層心理が敏感であり、深層心理が強いからである。そうして、心が傷付くことが予想される場所に近寄り、心が傷付くような情況に陥り、徒らに、苦悩を重ねるのである。確かに、深層心理が敏感なのは生来の気質であり、自分が生み出したものではない。しかし、深層心理が敏感なことが原因で起こした行動といえども、自分自身が起こした行動であるから、自分がその責めを負わなければいけないのである。だから、深層心理の敏感な人は、深層心理が強く反応する所に行かず、深層心理が強く反応する考え方をしないことである。しかし、それも、また、深層心理の敏感な人は、敏感であるが故に、喜びや楽しさを感じる心が人一倍強いから、心が傷付く可能性があるのに、そのような所へ、行ってしまうのである。そして、案の定、期待外れな状況に陥って、自ら深く傷付き、他者も傷付けるのである。また、深層心理の敏感、鈍感にかかわらず、大きな喜びや大きな楽しみを期待しないことである。大きな喜びや大きな楽しみを期待するから、深く傷付くのである。他者に期待することが大きすぎたり、他者の存在を実際以上に大きく見ているから、深く傷付くのである。確かに、人間は、自我を対他化する(他者から好評価・高評価を受けたいという思いで、他者の自分への思いを探るあり方の)動物であるから、他者の視線は気になる。しかし、自分と同様に、他者も、こちらをしっかりとは見ていないのである。両者とも、自分に対する評価を気にし、相手に対する評価はなおざりなのである。だから、自分に対する他者からの評価は、薄っぺらなものなのである。また、人間誰しも、他者から評価を受けようと思うから、他者を大きく見すぎる傾向がある。しかし、自分同様に、他者も、深層心理の動物であるから、そこに、表層心理の意志による、大きな思考力が働いていないのである。だから、他者の存在を過大視する必要は無いのである。さて、人間は、まず、深層心理が、快感原則に基づき、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出す。深層心理は、他者に認められたい、他者を支配したい、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという三種類の思いを基に、自我の欲望を生み出している。深層心理は自我を対他化することによって、他者に認められたいという欲望を生み出す。深層心理は対象や他者を対自化することによって、対象や他者を支配したいという欲望を生み出す。深層心理は自我を他者と共感化させることによって、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという欲望を生み出す。高校生は、深層心理が、家族という構造体の中で、長男・長女・次男・次女などの子としての自我を対他化することによって、親という他者に子としての自我を認めてもらいたいという欲望があるから、テスト勉強に励むのである。テストの結果を褒められると嬉しいからである。高校生は、深層心理が、高校という構造体の中で、高校生という自我を対他化することによって、教師や同級生という他者から自我を認めてもらいたいという欲望があるから、テスト勉強に励むのである。これも、また、テストの結果を褒められると嬉しいからである。そして、高校生は、国語、数学、英語などの教科のテスト勉強している時は、それらの教科を対象化して、学ぶという姿勢で支配し、喜びを得ようとしているのである。これが、深層心理による対自化の行為である。そして、男子高校生は、女子高校生を恋人としたいのである。彼は、彼女とカップルという構造体を創造し、恋人という自我を得たいのである。カップルという構造体を作り、相思相愛の関係になり、恋人という自我を得ることができれば、彼女と会うことで、喜びが得られるからである。さらに、深層心理は、自我が存続・発展するために、そして、構造体が存続・発展するために、自我の欲望を生み出す。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために、自我が存在するのではない。自我のために、構造体が存在するのである。だから、高校生は、家族という構造体・高校という構造体から、追放されないために、テスト勉強に励むのである。このように、人間は、人間の無意識のうちで、深層心理が、快感原則によって、構造体において、自我を主体にして、対自化・対他化・共感化のいずれかの機能を働かせて、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出している。そして、深層心理は、自我が存続・発展するように、構造体が存続・発展するように、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我を行動させようとするのである。人間は、まず、無意識のうちに、深層心理が動くのである。深層心理が動いて、快感原則に基づいて、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。その後、人間は、表層心理で、現実原則に基づいて、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理の生み出した行動の指令を意識して思考し、行動の指令の採否を考えるのである。それが理性と言われるものである。現実原則とは、自我が利益を得たいという欲望である。理性と言われる表層心理は、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が生み出した行動の指令を意識し、行動の指令のままに行動するか、行動の指令を抑圧して行動しないかを決定するのである。行動の指針を抑圧して行動しないことを決定するのは、そのように行動したら、後に、自分に不利益なことが生ずる虞があるからである。しかし、表層心理が、深層心理が出した行動の指令を抑圧して、行動しないことに決定しても、深層心理が生み出した感情が強過ぎる場合、抑圧が功を奏さず、行動してしまうことがある。それが、感情的な行動であり、後に、周囲から批判されることになり、時には、犯罪者になることがあるのである。そして、表層心理は、意志で、深層心理が出した行動の指令を抑圧して、深層心理が出した行動の指令のままに行動しない場合、代替の行動を考え出そうとするのである。なぜならば、心の中には、まだ、深層心理が生み出した感情がまだ残っているからである。その感情が消えない限り、心に安らぎは訪れないのである。その感情が弱ければ、時間とともに、その感情は消滅していく。しかし、それが強ければ、表層心理で考え出した代替の行動で行動しない限り、その感情は、なかなか、消えないのである。高校生は、テスト勉強をしている時、深層心理が、本人の無意識のうちに、快感原則に基づいて、深層心理が思考し、辛いという感情と勉強を投げ出せという行動の指令という自我の欲望を生み出すことがある。そのすぐ後、高校生は、表層心理で、現実原則に基づいて、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、深層心理が生み出した辛いという感情の中で、深層心理の生み出した勉強を投げ出せという行動の指令を意識して思考し、勉強を投げ出せという行動の指令の採否を考える。そして、勉強を投げ出せという行動の指令を取り入れないことを決定し、意志で、勉強を投げ出せという行動の指令を抑圧し、勉強を続けるのである。勉強を続けることに決めたのは、勉強を投げ出したら、後に、悪い成績の答案が返ってきて、親や教師や同級生に、叱責されたり、軽蔑されたりするからである。しかし、「子供は正直だ」と言われる小学生ならば、深層心理の自我の欲望に正直だから、すぐに、勉強を投げ出すだろう。しかし、時には、人間は、表層心理で意識せずに、深層心理が生み出した感情のなかで、深層心理が生み出した行動の指令のままに、行動することがある。それが、無意識による行動である。それは、高校生が、テスト勉強の最中、いつの間にか、眠っていることなどである。さて、人間は、個々人によって、生来、深層心理が生み出す自我の欲望の力は定まっている。人間は、深層心理が生み出す感情の幅は決まっている。深層心理の敏感な人とは、感情の強い人を意味する。深層心理の敏感な人は、感情が強く、傷付きやすく、感情に流されやすい。深層心理の強い人は、感情の起伏が激しく、表層心理で行動の指令を抑圧できず、失敗することが多い。同じように、人間は、頑張るや我慢するという表層心理の力も決まっている。表層心理の弱い人は、頑張るや我慢するという力が弱く、同じ行動を続けることができない。表層心理の弱い高校生ならば、深層心理の勉強を投げ出せという自我の欲望を抑圧できず、すぐに、勉強を投げ出すことになる。さて、人間は、自分の深層心理の強弱、表層心理の強弱の実体を、今までの経験によってわかっているはずである。「ネバー・ギブアップ」や「絶対に諦めない」で成功したのは、表層心理の強い人である。表層心理の弱い人は、「ネバー・ギブアップ」や「絶対に諦めない」を推し進めても、長続きせず、いたずらに、自己嫌悪に陥り、自分を責めるだけである。「ネバー・ギブアップ」や「絶対に諦めない」を推し進めることができないのは、決して、自分のせいではなく、生まれつきの性質なのである。だから、自己嫌悪に陥ることもなく、自分を責めることもないのである。しかし、表層心理の弱い人も、ある分野においては、「ネバー・ギブアップ」や「絶対に諦めない」の標語が通用し、長続きすることがある。深層心理が強い人も、ある分野においては、感情の起伏が少なく、感情に流されずに、長続きすることがある。試行錯誤をしながら、いろいろなことを試しながら、他者に評価されるような、そのような分野を探し出すことが大切である。根性論や精神論で、自分を律しようとすることほど、愚かなことはない。人間は、根性論や精神論で自分を律しようとしなくても、既に、頑張るや我慢するとことで、自分を律している。頑張るや我慢するという力以上に、自分を律する力は存在しない。人間は、自分の深層心理の傾向、表層心理の傾向を見極めつつ、他者に評価される分野を見つけ出し、それを活かすことことしか、後悔しない人生を送ることはできない。哲学者、心理学者、画家、彫刻家、漫画家、小説家、物理学者などは、深層心理が、対象を対自化することによって、対象を支配したいという欲望を持ち続けた人々である。有名、無名に関わらず、玄人、素人に関わらず、対象を対自化することによって、対象を支配したいという欲望を持ち続けることが大切である。人間、誰しも、対自化し、支配し続ける欲望を持てる対象は存在する。







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