あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人間は、得意な時は希望が生まれ、不得意な時は怨恨が思い出される。(自我その395)

2020-08-15 11:38:39 | 思想
人間には、得意な心境にある時には、希望が生まれてくる。しかし、不得意な心境の時には、怨恨が思い出されてくる。希望怨恨は、生まれ思い出されたものであり、生み出し考え出したものではないのである。なぜならば、希望も怨恨も、人間が、自ら、意識して、生み出したものではないからである。深層心理が、生み出したものなのである。深層心理とは、人間の無意識のうちの思考である。それに対して、人間の意識しての思考は表層心理である。人間は、意識して思考して、すなわち、表層心理で思考して、希望も怨恨も生み出していないのである。深層心理が、心境に応じて、思考して、希望や怨恨を生み出しているのである。希望を抱くとは、あることを成し遂げ、他者から評価を得ることである。怨恨を晴らすとは、過去において他者から受けた屈辱を晴らそうとすることである。希望を抱くとは、あることを成し遂げ、他者の上位に立とうとすることである。怨恨を晴らすとは、自らを下位におとしめた他者を下位におとしめることによって、その他者の上位に立とうとすることである。人間は、常に、他者の評価を受けること、すなわち、他者の上位に立つことを目指して生きているのである。それが、ニーチェの言う「権力への意志」である。心境とは、感情と同じく、心の状態を表している。深層心理は、常に、ある心境やある感情の下にある。つまり、深層心理は、心がまっさらな状態で思考しているのではなく、心境や感情に動かされているのである。心境は、爽快、陰鬱など、比較的長期に持続する心の状態である。感情は、喜怒哀楽や好悪など、突発的に生まれる心の状態である。人間は、心境や感情によって、自分が得意の状態にあるか不得意の状態にあるかを自覚するのである。人間は、得意の心境や感情の状態の時には、深層心理は現在の状態を高めようと、不得意の心境や感情の状態の時には、現在の状態から脱却しようと、思考するのである。人間がエゴイスティックな存在であることは、深層心理が、自らの現在の心境や感情を基点にして、思考しているというところにも現れているのである。だから、オーストリア生まれの哲学者のウィトゲンシュタインは、「苦しんでいる人間は、苦しいという心境や感情が消滅すれば、苦しみの原因が何であるかわからなくても構わない。苦しいという心境や感情が消滅すれば、問題が解決されようがされまいが構わないのである。」と言うのである。人間にとって、現在の心境や感情が絶対的なものであり、特に、苦しんでいる人間は、苦しいという心境から逃れることができれば、苦しいという感情が消すことができれば良く、必ずしも、苦悩の原因となっている問題を解決する必要は無いのである。なぜならば、深層心理にとって、苦しみの心境や感情から、苦しみを取り除くことが最大の目標であるからである。つまり、深層心理にとって、何よりも、自らの心境や感情という情態性が大切なのである。それは、常に、心境や感情という情態性が深層心理を覆っているからである。深層心理が、常に、心境や感情という情態性が覆われているからこそ、人間は自分を意識する時は、常に、ある心境の状態にある自分やある感情の状態にある自分として意識するのである。人間は心境や感情を意識しようと思って意識するのではなく、ある心境やある感情が常に深層心理を覆っているから、人間は自分を意識する時には、常に、ある心境の状態にある自分やある感情の状態にある自分として意識するのである。つまり、心境や感情の存在が、自分がこの世に存在していることの証になっているのである。すなわち、人間は、ある心境の状態にある自分やある感情の状態にある自分に気付くことによって、自分の存在に気付くのである。つまり、自分が意識する心境や感情が自分に存在していることが、人間にとって、自分がこの世に存在していることの証なのである。しかも、人間は、一人でいてふとした時、他者に面した時、他者を意識した時などに、何もしていない自分の状態や何かをしている自分の状態を意識するのであるが、その時に、同時に、必ず、自分の心を覆っている心境や感情にも気付くのである。どのような状態にあろうと、常に、心境や感情が心を覆っているのである。つまり、心境や感情こそ、自分がこの世に存在していることの証なのである。フランスの哲学者のデカルトは、「我思う、故に、我あり。」と言い、「私はあらゆる存在を疑うことができる。しかし、疑うことができるのは私が存在してからである。だから、私はこの世に確実に存在していると言うことができるのである。」と主張する。そして、確実に存在している私は、理性を働かせて、演繹法によって、いろいろな物やことの存在を、すなわち、真理を証明することができると主張する。しかし、デカルトの論理は危うい。なぜならば、もしも、デカルトの言うように、悪魔が人間をだまして、実際には存在していないものを存在しているように思わせ、誤謬を真理のように思わせることができるのならば、人間が疑っている行為も実際は存在せず、疑っているように悪魔にだまされているかもしれないからである。また、そもそも、人間は、自分やいろいろな物やことががそこに存在していることを前提にして、活動をしているのであるから、自分の存在やいろいろな物やことの存在を疑うことは意味をなさないのである。さらに、デカルトが何を疑っても、疑うこと自体、その存在を前提にして論理を展開しているのだから、論理の展開の結果、その存在は疑わしいという結論が出たとしても、その存在が消滅することは無いのである。つまり、人間は、論理的に、自分やいろいろな物やことの存在が証明できるから、自分や物やことが存在していると言えるのではなく、証明できようができまいが、既に、存在を前提にして活動しているのである。特に、人間は、心境や感情によって、直接、自分の存在を感じ取っているのである。それは、無意識の確信である。つまり、深層心理の確信である。だから、深層心理は思考できるのである。デカルトが、表層心理で、自分や物やことの存在を疑う前に、深層心理は既にこれらの存在を確信して、思考しているのである。そして、心境は、深層心理が自らの心境に飽きた時、変化する。だから、誰しも、意識して、心境を変えることはできない。さらに、深層心理がある感情を生み出した時にも、心境は、変化する。感情は、深層心理が、ある現象に印象を持った時や思考してある行動を起こそうとした時に、生まれる。だから、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、心境も感情も、生み出すこともできず、変えることもできないのである。すなわち、人間は、表層心理では、心境も感情も、生み出すことも変えることもできないのである。人間は、表層心理で、意識して、嫌な心境を変えることができないから、気分転換をして、心境を変えようとするのである。心境と気分は同義語である。人間は、表層心理で、意識して、気分転換、すなわち、心境の転換を行う時には、直接に、心境に働き掛けることができず、何かをすることによって、心境を変えるのである。人間は、表層心理で、意識して、気分転換、すなわち、心境の転換を行う時には、直接に、心境に働き掛けることができず、何かをすることによって、心境を変えるのである。人間は、表層心理で、意識して、思考して、心境を変えるための行動を考え出し、それを実行することによって、心境を変えようとするのである。酒を飲んだり、音楽を聴いたり、スイーツを食べたり、カラオケに行ったり、長電話をしたりすることによって、気分転換、すなわち、心境を変えようとするのである。人間が気分転換を図るのは、一時的な喜びの感情と継続的な心境の充実を図るためである。人間は、感情と気分という情態性に動かされて生きている動物なのである。ハイデッガーは、「我々は、知覚や行為によるさまざまな事物や他者への関わり合いに先立ち、そうした関わり合いの場としての世界が情態性によって予め開かれている。我々が何にどのように関わり合うかは、情態性しだいである。我々が情態的に自らを見出すあり方によって、世界がどのように開かれるかは左右されるのである。現存在である我々が情態性によって突きつけられているのは、被投性と呼ばれているような、自らがそこに投げ込まれ、そこに引き渡されている、そのあり方である。しかし、情態性は、現存在である我々の被投性を開示すると共に隠蔽するのであり、さまざまな気分の中で不安という気分が持つ意味を強調するのも、それが現存在である被投性を開示するからである。」と述べている。情態性とは感情と気分という気持ちを指す。感情は一時的に高揚した気持ちであり、気分は継続した気持ちである。被投性とは、人間は、自ら主体的に動いているのではなく、動かされているのであり、最初に、人間を動かそうとするのは、無意識の思考である深層心理であり、意志や意識という表層心理の思考ではないことを言う。現存在とは、人間を指し示すが、人間は、意志や意識という主体的な表層心理の思考の存在者ではなく、無意識という深層心理という非主体的な思考に導かれている存在者であることから言う。簡潔に言えば、ハイデッガーは、「人間は、常に、何らかの感情や気分という情態性の中にあり、情態性が、自分の外の状況を知らしめ、自分の体内の状態を知らしめるとともに、自らの存在を認識させているのである。」と述べているのである。だから、人間には、得意な心境にある時には、深層心理が、希望を生み出すのである。しかし、不得意な心境の時には、深層心理は、怨恨を思い出すのである。いずれも、自我が上位に立ちたいからである。希望を抱くとは、あることを成し遂げ、他者から評価を得ることである。怨恨を晴らすとは、過去において他者から受けた屈辱を晴らそうとすることである。希望を抱くとは、あることを成し遂げ、他者の上位に立とうとすることである。怨恨を晴らすとは、自らを下位におとしめた他者を下位におとしめることによって、その他者の上位に立とうとすることなのである。人間は、得意の心境や感情の状態の時には、深層心理は現在の状態を高めようと、不得意の心境や感情の状態の時には、現在の状態から脱却しようと、思考するのである。


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