処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

五郎治殿御始末

2021-07-05 10:41:58 | 

著者 浅田次郎

出版 中公文庫

300頁

 

著者が2000年から02年にかけて発表した武士物の短編6作の作品集である。 時代は江戸から明治、細かく言うと明治のご一新の前後5年間の、世の中のでんぐり返りの大騒ぎと右往左往する武士の姿を描いている。時に哀切時に滑稽、浅田節全開である。

何気ない日常の細部にフォーカスをあてて、その時代の空気と気分を表す。たとえば改暦もそのひとつ。それにより読者は一気に引き込まれる。

歴史学者の磯田道央は次のように解説する。「幕末はそれほど遠い時代ではない。せいぜい、私たちの曽祖父が玄祖父の頃の話である。にもかかわらず、はるか昔のように感じられるのは、この時代が千年続いた "武士の世" の末端で、明治以降になってはじめて "いま" になるという感覚を、我々が持っているに違いない」
「浅田次郎が描こうとしたのは、まさにその "千年の武士の世の最後" にほかならない」
「この作品集で描きたかったのは、その私なき武士たちの "おのれの身の始末" のつけかたであり、徳川武士の物語を語ることによって、なにがしかのことを、今を生きる日本人に訴えているのではあるまいか」

磯田のこの視点に立って著者の作中の文章の該当箇所を拾ってみる。

《国家が権力であってはならない。国民の暮らしを安んじる機構こそが国家であると、勘十郎は信じていた。その目的だけが達成されるのであれば、天下は誰が動かそうとかまわない》
《自分は西洋定時法にとまどっていたのではない。人間が時に支配されるのではなく、時に支配されてはならぬ人間でありたいと考えただけであった》

《男の始末とは、そういうものでなければならぬ。決して逃げず、後戻りもせず、能う限りの最善の方法で、すべての始末をつけねばならぬ》
《武家の道徳の第一は、おのれを語らざることであった。軍人であり、行政官でもあった彼らは、無死無欲であることを士道の第一と心得ていた》

《社会科学の進歩とともに、人類もまたたゆみない進化を遂げると考えるのは、大いなる誤解である。たとえば時代とともに衰弱する芸術のありようは、明快にその事実を証明する。近代日本の悲劇は、近代日本人の驕りそのものであった》

平易な語り口で庶民の心情を深く揺さぶってはお前はどうだと問いかけてくる浅田次郎。何を読んでも誰を読んでも、何冊目かにはまた浅田次郎に還っては自身の生命の浄化を図る。私のやり方である。