あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

みのもんた氏の「ばかやろう」

2013年10月26日 23時33分25秒 | Weblog
お詫びと訂正
 本記事の内容に誤まりがありました。大変申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけいたしましたことをお詫びして訂正いたします。(2013/10/27)

--以下本文です。------------------------------------------

 みのもんた氏の「謝罪会見」があった。
 他人の謝る姿を見続け、またそこに突っ込んできた人だから、さすがに謝り方はすばらしい。うまいと思った。だが…
 何を「謝罪」し、どう責任を取ったのか、ぼくには全くわからなかった。もちろん会見の全部を見たわけではない。なにしろ2時間やったのだそうだから(注:実際は1時間10分だったそうです)。だから、ぼくの勘違いもあるだろう。しかし、それでも何だかよくわからない。

 周知のとおり、この夏、まず、みの氏本人のセクハラ疑惑が週刊誌で騒がれた。その直後に、みの氏は異例の二度目の夏休みに入った。そして、その間に日本テレビ社員である次男が窃盗の疑いで逮捕され、彼はそのまま報道番組の司会を休み続けた。結局、次男は窃盗罪を認め立件されることとなり、今日になってTBSは、みの氏の報道番組降板を発表、みの氏の緊急会見となった。

 みの氏は会見で「親としての道義的責任を取る」と言った。その方法は、自分の「天職」である「しゃべる」仕事からの降板と言う形で、自分にとって一番苦しい選択をして、次男と同じ悔しさを感じることだと述べた。
 そもそも30歳を越えて家庭も持っている息子の犯罪に対して、親が責任を取る必要はあるのか。普通なら無いと考えるのが常識であろう。それでもなお責任があると言うなら、それはよほどのことがあったということだ。そして、いろいろな情報を総合すると、確かにそれなりに大変な問題があったようだ。
 本当か嘘かは知らないが、この次男は子供の頃から素行不良で、みの氏のコネというか、圧力で無理やり日本テレビに入社したが、ここでも自分の好きな部署に配属されないと、遅刻を繰り返したり、大変態度が悪かったと言われている。これが事実でなかったらこんなことを書いて本当に申し訳ないのだが、みの氏が30過ぎの息子の問題にこれほど強い「道義的責任」を感じるのだとしたら、この噂は本当かもしれないと思えてくる。

 しかし本当に、みの氏は道義的責任を取って報道番組を降板したのだろうか。どうもそこが疑わしい。
 彼は会見の中で、亡くなった「妻ならば息子と刺し違えて責任を取った」と発言した。それはどういう方向から見ても明らかに間違っているが、みの氏は当然そんなことはするつもりがない。それどころか、彼は次男と話しさえしていないことを明らかにしている。責任をとると言うならば、まず息子と真正面から向き合い、息子を更正させるために力を尽くすべきだろう。彼はそんなことをする気がないのか、この会見を見る限り、むしろ次男を見放したかのように見えてしまう。
 その何もかもの原因は、みの氏が「責任」と言っていることが、いったい何なのか何も語っていないことによる。ぼくがテレビで見た部分だけで言えば、彼は一体何が悪かったのかわからないというニュアンスでしゃべっているように見えた。
 それでは責任があるかどうかさえ分からないではないか。

 彼が問題にしているのは、ひとつはいわゆる世間体でしかない。
 その背景には封建主義的な家制度、家長制の思想がある。それは家庭内の家族が家長の支配下にあるべきだ、そして家長が家族に関する全責任を取るべきだという考え方であり、戦前の日本ではそのアナロジーとして天皇制が構築され、それが結果的にファシズムと戦争の根幹を支えた。また別の見方をすれば、それは家族のモノ化であり、家族を家長の私有物とみなす考え方でもある。

 ただ、ぼくにはどうもこれも、みの氏が番組を降板した本当の理由ではないように思える。
 それは、彼が降板したのが報道番組だけだったからだ。彼はこの間もバラエティ番組の司会としてはテレビに出続けていたし、今日の会見でも今後も「しゃべる世界で命がけでやっていく」、「どこまで強い男になれるか挑戦したい」などと発言している。
 「天職」である「しゃべる」仕事を辞めるという「一番苦しい」選択をしたはずが、実際はしっかり仕事を続けるのである。つまり彼にとって本当に一番苦しいのは、報道番組に出ることでマスコミや世間からバッシングを受けることなのだ。
 彼は実は「責任」という言葉を利用して自分が一番嫌なところから逃げ出し、一方で、30過ぎの息子の責任を親が負う必要は無いという「常識」を盾にして自分のやりやすい場所は確保するという、実に姑息な戦法に出たのだと言うしかない。

 かつてラジオDJを更迭されたとき、すねて会社を飛び出し、親の下で養ってもらいながら誰かが自分の好きな仕事を持ってきてくれるまで、だらだら待っているような(それ自体を別に非難しようとは思わないが)青年時代を送ったみの氏は、自分の子供も同じように育て、そして自分自身もまた再び一番楽で得な道を選ぼうとしている、と言ったら言い過ぎだろうか。

 会見の最後に、記者から息子に何か一言と言われて、「ばかやろう」と怒鳴ったみの氏の言葉は、どうしても「俺に迷惑をかけやがって」という風に聞こえてしまう。本来、道義的責任を感じているならこれは「世間に迷惑をおかけして」という意味になるだろうが、全くそうは聞こえないところに、今回のみのもんた氏の会見の全てが集約されているように感じた。


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