ZENZAIMU(全財務公式ブログ)

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4/1号起承転結没原稿(本部書記次長)

2018-03-27 10:02:35 | 主張

「青年の要求」および全国青年交流集会を控え、ただいま本部書記次長としての業務は通年で一番の山場を迎えています。

ヒット・ポイント、すなわちHPが貧弱な身としては、ただでさえ通年疲れているところ、目下、マックスで疲れており、ブログを書くのも億劫になるぐらいの状況であります。(もっとも、しっかり定時で帰らせていただいているので、職場で年度末の業務に追われ、ご苦労されている皆さまに比べれば全然大したことないんでしょうが。。)

前置きが長くなりましたが、要するに今回の記事は手を抜きたい!ということで、そろそろ皆さまに配付されるであろう、機関紙「全財務」4/1号の起承転結の没原稿の焼き直しでご容赦いただきたい。(没になるぐらいなので、それなりのクオリティです。)

 

「起」

先日中堅係員研修を聴講させていただいた際、倫理の講座で、水害対策のためのダム建設の是非について議論する機会がありました。ダム建設により集落(高齢者しか住んでいない限界集落)が水没するという倫理的な葛藤がある状況を想定し、議論を行いました。

「翔」

多くのグループではダム建設容認、つまりダム建設によって得られる利益の方が大きいという結論、いわゆる最大多数の最大幸福、ベンサム的な結論に至っていました。ロジカルに、というか、俯瞰的に、事業により得られる便益を考えれば至極妥当な結論であり、当方も班での議論の場では、ダム建設容認の方向での議論に従いました。そもそもシミュレーションなのでそこまでアツくなる必要もないですし。

「転」

このテーマでの議論は結果としてすごく自分のためになりました。というのも、この議論を通じて、自分自身の仕事観、公務員としてどうありたいか、ということを内省するいいきっかけになりました。自分自身の公務員生活を振り返れば、福島の除染事業に携わったときの経験、体験が、自分自身のポリシーを形作るに至ったんだなと、今思えばそう思うところです。福島では強制避難の現実を目の当たりにし、多くの地元住民の生の声に触れて、コミュニティを奪うということがどういうことなのか、身をもって考えさせられました。当時は毎日、現地調査として、町内の住宅を回っていましたので、定期的に自宅の清掃のため一時帰宅している被災者と立ち話をする機会がしばしばありましたが、そこで現実を静かに受け入れて、帰還できる日を願って、掃除をしている姿を目にすると、こうした人々に救いがある社会であってほしいと、切に願ったところです。

「結」

哲学・思想は人それぞれ、自身の体験を通じて確固たるものとして醸成されていくことと思われますが、ダム建設の議論の話で言えば、集落を潰すという結論にはいかんともし難い抵抗感がある、というのが自分なりのポリシーなんだろうと気づいたところであり、今後、ひとりの公務員として、あるいはひとりの人間として、今の労組の役員としての立場はもちろんのこと、今後いかなる立場におかれても、関わった人の、人間としての尊厳に共感できる感受性というか、共感力とでも言うべき感性を研ぎ澄ませていきたいと、そう思うわけであります。

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