山本善之助 写真作品集 ~ Zennosuke Yamamoto Photo collection ~

写真家 山本善之助(山本善之介)
1931年(昭和6年)4月1日 - 2001年(平成13年)10月11日
作品掲載

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三國連太郎の生活 ~ 三國連太郎との120日

2016-09-01 21:33:11 | 写真
"Life of Rentaro Mikuni" from "120 days with Rentaro Mikuni"

1956年撮影。
神楽坂にあった三國連太郎(三国連太郎)の自宅へ4か月間の泊り込みを続け、映画『異母兄弟』の撮影期間中を含め6か月間に渡る密着の撮影。


独立映画『異母兄弟』では、軍国主義の権化とされる軍人(鬼頭範太郎)に扮して好評を博した。なかでも終戦後の場面では七十歳代にまで老けるのだが、そのメークアップにしても舞台のそれと異なり、極めてデリケートなことを必要とするため、毎日たっぷり一時間はかけて顔をつくる。幸い?にも前歯が入れ歯なため、歯を外すと完全に老人面になるが、シワをつくるのが厄介で首筋にはビニールを貼る。そのため撮影が長びくと翌日は顔が腫れ上がる。






ラジオ東京で『スポーツマン一刀斎』に出演していた頃であるが、台本を渡されるのが録音当日というムチャなこともあった。そんな時でも自分に与えられた仕事に対する情熱と誠実さからか、彼は開始一時間前に姿を現わして渡された台本を見入る。やがてガランとした場内に剣豪の声音が響き渡る。



自らを“生活俳優”と、うそぶく彼にとって、テレビの演技はそも何ものであろうか?映画のごとく後に残るものでもなく、また舞台と違い観客の息づかいを直に感ずることもない。といって出演するからには、ブラウン管の映像は容赦なく俳優としての彼を価値づけてしまう。そこで退屈なる稽古が始められる。生活という魔性の物に追われながら・・・







カツラというものは、しょせん自毛におよばない。特に一つの映画の中で年齢が次第に移ってゆく場合、自毛であれば額を剃りこんだりして自由に工夫ができるからである。そこで彼は自分の頭のみならず弟子のT君の頭も丸めてしまった。俳優志願のT君に無論セリフなしではあるが、ワンカット将校の役で出演するチャンスを作ってやったのだ。俳優とは大変なものと感心していた私も、ついその仲間に入らざるを得ないハメになった。そのバリカンをフケで動かなくなったとボヤきながら、ひとり掃除に余念のない彼の姿に、私は人間三国を感じた。おかげで撮影所に通う彼の車には、いくつもの青々として坊主頭が転がっていて、あたかも囚人護送車かの観を呈していた。









映画界では一たびスターという名の星座に安居すると、人間が人間でなくなるとさえ云われる。彼三国にしたところで、一事はスターの座に人間失格のおそれなしとは云えなかったろう。だが第一に彼は身のまわりを他人に委ねることを性に合わぬとする。ガマンということも大切だが、衝動のままに生きることもまた人間として許されてしかるべきだとも云う。およそ俳優くさくない俳優とは彼のことで、浅草の六区あたりで大福餅をほおばる彼であり、腹がへったと女中の起きださぬ早朝にひとり焼飯を作ったりする彼でもある。また暇があれば自宅前の路上でキャッチボールを始めるが、さすがに運動神経は見事に発達している。



彼が五社協定とかで映画界から締め出されていた何カ月かの沈黙の生活は、彼の人間性を取り戻す上に、いかにプラスしたことであろうか。『異母兄弟』で再びライトを浴びた、大先輩田中絹代を相手に彼の眼は鋭く光っていたし、スタジオの一隅でひとりつぶやくその言葉は、ト書きにはない人間三国のセリフであったろう。











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