ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

『声の世界を旅する』増野亜子著 と ホーメイ に感動して

2014-11-02 21:55:37 | 本・映画など

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「〇〇くん、あそ~び~ま~しょ~。」

「は~あ~い、あ~と~で」

昔はそうやって子供たちは遊ぶためにまず友達を誘い合ったものだった。

「じゃんけんぽん、あいこでしょ。」

「ば~か~か~ば~ちんどんや~おまえの・・・」 

昔は生活の身近かなところに歌があったのだ。

実は、僕はこういうのに興味があって、だから、議会という音声の芸術(演説・やじ)も大切にしているつもりなのだった。
(それと同時に議会は 文字記録の場 でもあるのですが・・・。)

さて、そこで題名に触発されて、この本を手にとった。

『声の世界を旅する』 増野亜子(ましのあこ)著

その一部を紹介したい。私の大体の把握なので正確さは欠くかもしれませんが、悪しからず。

1.声と身体の動きを同期させる。

ラグビーのオールブラックスの試合前の歌と踊り

あれは、マオリ族のハカというものが元。
部族同士が複数集まるとき相手部族に敬意を表して「ハカ」は行われ、その後、部族長のスピーチがそれぞれ行われ、
鼻を擦り付け合い、挨拶の儀礼はおわった。

昔の日本のニシン漁 単調で重労働な仕事であったが、
ソロ(音頭)で歌う人と、ヤサエエエンサ~アアノドッコイショのように一同で歌う部分に分かれた(音頭一同形式)

アメリカ南部の囚人の歌 重労働を課せられた彼らも労働の際、歌を歌った(コール・レスポンス形式)

単調で辛い肉体労働は概して、ソロとみんなで歌う歌が歌われていた 他人との連動による紛らわし、そして喜びを得ていた。

※明治期初期の来日外国人による日本探訪記を解読した渡辺京二氏の著書『逝きし世の面影』によると、日本人は歌が好き。
歌っている時間の方が体を動かしている時間より長いくらいだ、との外国人による指摘が示されていたのを思い出す。(byふじもと注)

2.子守唄は、一人で行われる労働でもあった。内容は はやく寝ろ、泣くな、の他、自らに語りかける愚痴、不安を歌ったものも多い。
発音は「ねんねん」日本 とか「ニンナニンナ」イタリア とか「ハイハイ」アイヌ とか「ハウォハウゥ」ネイティブアメリカン
のように「N音」[H音」が使用される。

3.歌垣や和歌や民謡
・万葉や古事記、日本書記の時代 花見のときに男女が歌を掛け合い、お互いを誘い合う遊びがあった。
歌垣(うたがき)という。当時、歌を文字で作る事をツクルと呼び、声で作ることをヨムといった。それらをウタフと評した。

現代でも、八重山の歌掛け、秋田は横手の金澤八幡宮の掛け歌、中国南西部少数民族の中にその風習は残って? いる。
それらは男女がボールをパスするように歌を投げ掛け合い即興で答え、また返すもので、ゲーム性を帯びている。
ゲームゆえ徳之島の旧7月のそれに見られるように、返す歌に詰まったものは負けとなり、勝者の言いなりにならねばならないこともあったらしい。
 なお、中国雲南省の白族やジンポー族でも、それら歌垣は皆の前で行われた。

※昔、中国は雲南省、貴省などの少数民族を訪ねた折、運転手をしていた青年が「歌垣」やヨバイをしたことを語ってくれた。
日中に山の向こうで働いている女性に呼びかけるのだそうだ(顔かたちは遠くて見えない)。
そして、お互い返しあって意気投合すると夜尋ねる約束をする、というような事を語っていた。byふじもと注)

4.牧畜と結びついた歌(というより声)
家畜を集めたり、狼をはらったり、鹿などの獲物をおびき寄せたり・・・世界各地にそのために使う声を出す文化がある。
「平原には目が、森林には耳がある」という諺がスカンジナビア地方にはある。そこではクルニンと呼ばれる女声がある。
スイス地方のヨーデルも、モンゴルのそばのトゥバ共和国に残る風習(声)も動物の声に関連している。
例えば、子供を産んでも乳をやらない(育児放棄)ラクダにも弦楽器と声(歌)(「フースフース」と歌う)で語りかける風習がある。
フースの儀礼。弦楽器を聞きながらフースの声を聞いて、撫でられているくうちに、母親ラクダは目に涙を浮かべる。
そこで、子ラクダを腹に押し付けてやると子を受け入れ、乳をやるようになる、という。

二つの音を同時に奏でる。その音を倍音というが、同じく喉歌とも呼ばれ、倍音を出すホーメイとかホーミーと言われるものがある。

その他、私たち人間の営みの中で、昔と今の時空を貫いて、世界の中で、声と歌とを考察する。
それがこの『声の世界を旅する』であった。



以上が本の感想です。が・・・

じつはこのホーメイ。私はむかしから大変これに興味があって、いつか直に聞いてみたいと思っていた。

が、昨日 聴くことができた。

奏者はモンゴルのホーメイ大会で優勝した方、ボルドエルデネさん
昨日は、北中小学校の音楽祭に招かれて演奏しての帰りだったのだ。それに招待された。

小学校では2年生の国語に「スーホの白い馬」という教材がある。そのお話に馬頭琴(ばとうきん)がでてくるのだが、誰も馬頭琴を知らない。
そこで、馬頭琴の演奏と、それに合わせてうたわれることの多いホーメイを児童と保護者で聴こう、ということで北中会のみなさんが、奏者を所沢に招いたのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=EsLdZXqHkUc
(このyoutubeでは、周りがざわざわしていて雰囲気が伝わらないですね。私は静かなところで聴いたので、すごかったです。)

直に聞いてみて、モンゴルの大草原が眼前に浮かび上がった。
すごい音量と、遠くまで通る音で、渋谷の雑踏で歌い始めても一瞬にして人々は気づき、人だかりができるだろう、と思われた。
驚嘆、とはこのことを言うのだ、と思った。


 

 


 

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1 コメント

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たしかに! (地元市民)
2014-11-03 00:28:05
昔の子は「○○くん、あ~そ~ぼ~」って言うのは定番でしたね。誰に教わった訳でも無いのに。

クラスの中でもイジメられっ子のポジションの子でも、誰かしらかは声をかけてた気がします。だから、周り近所の人が、子供の声を聞いているから、地元の結束もしっかりしてたよーな気がします。

けれど今の子は、LINEの既読スルー(メッセージを無視する)の様なイジメが多いですよね。しかも、周りの大人が気づいてあげられない様な。。。

便利になる一方で、大事な何かが失われてる気がします。