ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

横田滋、早紀江ご夫妻 来る!!  7月9日 in ミューズ所沢

2011-06-13 23:51:23 | 行事を見たり聴いたり活動

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忘れてはいけないことがある。
3か月が過ぎても震災のことを、そして被災地の人々のことを。

忘れてはいけないことがある。
震災被害を前にして政治は団結すべきだが、民主党が掲げたマニュフェストに対し、これからどう対処していくかまずは決定する、ということを。

そして、忘れてはいけないことがある。
震災や政治の混乱で気落ちするニュースが続こうとも
また、震災で多くの国々が日本を支援してくれようとも
拉致問題の被害者が、何の進展もなく置いていかれている、ということを。


横田滋、早紀江夫妻来る!!

とき   7月9日(土)
ところ 所沢ミューズ(航空公園駅東口徒歩8分)
じこく  午後2時開場 開演 2時半~4時まで

入場料500円

主催 横田夫妻講演会実行委員会  

参加希望者は藤本まで
このページのコメント欄に
横田夫妻参加希望」とかいて、名前 電話番号をお書きください。私から電話をお返しいたします。
また、個人情報になるので皆さまから来たコメントは公開しませんのでご安心を。

お仲間もぜひお誘い合わせください。
多くの方々のご参加を願っています。


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TOSS 直井先生 埼玉県獣医師会 そして、大宮駅頭であったこと

2011-06-13 11:43:43 | かんじたこと、つぶやき

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6月8日(水)
夕方、TOSSの所沢市内小学校の先生と長谷川先生にお会いした。
この行動力、この前向き感、この交友関係の厚さ・・・こういう先生がいるのか・・・と息を飲む感じだった。

学校の先生というのは一部の小学校の先生を除いて総じてシニックな雰囲気をもっているものだ。
まずは子ども社会が想像していた超純粋とは違っていたこと、
そして、子どもの中での「社会」と一般の「社会」のはざまにあって、その食い違いの中、外の「社会」に対し言いたいことがいっぱいあるのに、
逆に外の「社会」からは「狭い社会」というような目で見られていると感じて忸怩たる思いを沢山してしまうこと・・・。
そういう日常の中でいつの間にか身につけてしまうスタイル、空気が「現代の先生」にはあると思うのだ。
(いや、最近の新人の先生にはないかな? むしろ従順すぎる感じが…。)

そして、自分もその中の一人である。
「政治家っぽくないね。」といわれる裏の意味はきっとそういうところなのではないか、と思うのである。
風体なんかにもそれは現れていると思う。

しかし、長谷川先生には微塵もそれが感じられなかった。
成功体験のなせる業か、強じんな精神力によるものか・・・
きっと常に自己錬成すべく意識しておられるのだろうと思う。
そういう人もいるものなのだ。
自分を物差しにしてはいけない。
徒然草にもそのようなことが書いてある。(何段だったか忘れたので後日紹介します)
史記にも「燕雀いづくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とあるとおりである。

2時間の話を交わして、
長谷川先生とはお約束したことがある。
それを果たしていきたい。

6月9日(木)
県教育委員会を傍聴した後(もうすぐ、傍聴記ホームページにアップされます。)
第44回、文化選奨受賞式に参加した。
いつもお世話になっているお茶の直井宋元先生が栄えある受賞をされたからである。
うれしいうれしいひと時となった。

(前列 向かって右が直井先生)

そのあと、大宮清水園で「県獣医師会総会」
そのあと、地元で自民党役員会に出席した。

6月10日(金)は
自民党青年部で大宮駅西口を借りて演説会。

自分は今の国会の状況について自分の意見を発表した。

1時間ほどリレー演説をしたのち、大宮で青年部の打ち上げを行ったのだが、
演説会がはけて、自分は最後までビラ(自分が作った震災の対応状況を説明するビラ)を配っていたのだが、
仲間が移動を開始するころ一人の40半ばと見える男の方がビラを受け取ってくれ、そこで立ち話となった。
お話を伺いながらその人が善い人で、政治を見捨てておらず、思いを持っている方だと感じたので長い話になった。

その方
「今回の原発の問題は、民主党を追及する前に自民党がまず謝罪すべきである。
自民党が進めてきた原発なのだから。その謝罪が無いから話が始まらないのである。」

こういうときは自分は自民党の代表として語られているので、自分の原発に対しての考えなど話さず、
「そうだなぁ」と思ったり、「でも対応のまずさについては糾さねばならないしなぁ」なんて感じながら黙って伺っていた。

わかりあえた感じがしながら、お話も終わりその方は去られた。
自分も路上に置いたカバンをとって、さあみんなと合流しようとしたときだった。

あの方「ちょっと思って戻ってきたんだけど、こういうのそのままじゃあだめなんじゃないか?!」

足元のたばこの吸い殻を指されている。

「これに気付かずそのままだなんて、政治家は範を示すものなんだから・・・。自分も合気道(何か武道だった)を教えているが、そういう時は・・・・。」

つまり、政治家たるもの、路上の吸い殻を拾うべし、それができないようじゃ駄目だ、と言われたのであった。

足元を見て初めて煙草の吸殻がたくさんあることに気付いた自分だったが、
指さされて「拾うべき」と言われても、そうなんだろうか? という気にもなる。
それもなぜ政治家こそ、なんだろう。

大宮駅のデッキ・・・、愛着もない。さっきから風俗店の勧誘のためナンパ師たちが行き来しているのを眺めながらビラを配っていたのだった。
「へぇ、ナンパ師たちは決してかわいい子をナンパするんじゃないんだなぁ。だらしない服装、派手な化粧の子に声をかけるものなんだぁ。」
なんて感心していただけだった。
いわゆるケバイ雰囲気の場所なのだ。

愛着もない、雰囲気もない、そんなところの吸い殻をなぜ政治家こそが拾わなければいけないのだろうか?
その人の主張は政治家こそが、なんである。

その方はそう言って行ってしまわれた。
一緒に拾おう!! といわれるならいざ知らず、拾え、さもなければ失格だ!! と試されている雰囲気があった。

一人、自分は気持ちを整理できないまま取り残された。

様々な思いが交錯した。
でも、どうしてもその方が変な人だとは自分には思えなかった。
きっと思いのある良い人なのだ。それも少し前まで自民党に期待していた・・・。

そういえば、市議会に出るときに、自分は新所沢の路上清掃をしながら選挙をしたっけ。
掃除したら一石二鳥だと思って。
そして、当選後も1年間くらい毎週火曜日の朝はハナミズキ商店街の方々と一緒に吸い殻拾いなどをしていたのだった。

思いだして、気を取り直して自分は足元のたばこを拾いはじめた。
指でつまんで手のひらに乗せて
手のひらに乗り切らなくなってカバンから紙を取り出し、それに乗せて集めた。
これ見よがしにやっていると思われるのはいやだな、と思いながらも仕方ない、談笑する人々の足元も拾って回った。

悔しいような、せいせいしたような、言い表せぬ感覚だった。

場を清める。
グランドだったら礼をする。
練習前後に整備もする。

奇しくも今日のブログ、「大宮駅西口をお借りして」と書いたわけだが、
「なになに駅駅頭をお借りしてこれから街頭演説をはじめさせていただきます。」
というのは街頭演説の決まり文句となっている。

それならそこがグラウンドで、あるのかもしれない。
演説する前に場を清めるのもよいのかもしれない。
演説が終われば礼もするじゃァないか。
演説場所は政治家のグランドである。
そう思うことにこれからしよう。
してみせようじゃあないか!!

それにしても政治家も庶民的になったものだ。
でもそう言われてしまうほどの体たらくなのかもしれないし、そう言われてしまうほど阿(おもね)ってきた、これが現代政治家のツケなのだ。

吸い殻を指さして「政治家が拾うべき」と人が言う(言える)世の中は、はっきり言おう! 間違っている世の中だと自分は思う。
しかし、これが実情だ。
気づいたとこから始めてよりよき社会のあるべき姿に近づけるべく努力してまいりたい。









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