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サンフランシスコ講和条約

2013年03月30日 05時15分38秒 | 歴史

 

 

サンフランシスコ講和条約 サンフランシスコ講和条約

サンフランシスコ講和条約は

大日本帝国の分割瓦解を決めて日本に押し付けた条約で、

東京・大阪などへの大空襲と、

二発の原爆投下という、恐喝・暴行の蛮行によって成立した。

 

当然のことながら、日本の常識的な法理論から謂えば、脅迫とか偽計によって為されたもので無効である。

ところが現在の日本は、この不条理を言い立てるべき 『 Political compelling force 』 を十全に用いていない。

安倍政権も仮の政権である。

日本国の本当の政権は、これから我らがつくる。

 

 

以下は、Wikipedia の 「サンフランシスコ講和条約」 の稿の抄出。

 

日本国との平和条約 (にっぽんこくとのへいわじょうやく)

英:Treaty of Peace with Japan、昭和27年条約第5号)は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約。
 
本条約はアメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、サンフランシスコ条約・サンフランシスコ平和条約・サンフランシスコ講和条約などともいう。1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名された。翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効するとともに「昭和27年条約第5号」として公布された。
 
この条約によって正式に、連合国は日本国の主権を承認した[2]。国際法上はこの条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」が終結した[3]


内容 [編集]
 日本と連合国との戦争状態の終了(第1条(a))
 日本国民の主権の回復(第1条(b))
 
領土の放棄または信託統治への移管 [編集]
 朝鮮の独立を承認。朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権の放棄(第2条(a))
 台湾・澎湖諸島の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(b))
 千島列島・南樺太の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(c))
 国際連盟からの委任統治領であった南洋諸島の権利、権原及び請求権の放棄。同諸島を国際連合の信託統治領とする1947年4月2日の国際連合安全保障理事会決議を承認(第2条(d))
 南極(大和雪原など)の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(e))
 新南群島(スプラトリー諸島)・西沙群島(パラセル諸島)の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(f))
 南西諸島(北緯29度以南。琉球諸島・大東諸島など)・南方諸島(孀婦岩より南。小笠原諸島・西之島・火山列島)・沖ノ鳥島・南鳥島をアメリカ合衆国の信託統治領とする同国の提案に同意(第3条)

 

 

 

  source

 

 千島列島全島返還論

  アンポンタン条約

 

 

2013 04 22 ダニまみれわが郷

 日本では日本の影響力が、かつての大日本帝国の版図に、復活しないようにするのが、湯田屋たちのねらいだ。

(こんなのに、うかうかと乗せられて、朝鮮民族全体が敵だなどと思い込まされているのが、ネトウヨのB層たる所以だ。)

 

 

 

 

Site Information

■ 2009年7月9日
 「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。
  本稿はその保管用記事です。

■ 2010年3月2日
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