48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

サイクルマラソン鳥羽志摩線を空手着で走る その2

2014年09月17日 01時34分33秒 | 自転車
9月14日 サイクルマラソン鳥羽志摩線 その2

エイドに到着し、チェックしていただいてから弁当を受け取る。公園のベンチで子供と手こね寿司弁当を食べる。
美味い!これでビールがあったらなあ。
弁当をあっという間に平らげ、子供はバナナ・ビスケットを食べる。
親子揃って地元名物のあられ茶漬けをいただいた。志摩の地元のおやつでして、味の着いてないあられに砂糖をかけて、御茶や水で茶漬けにして食べます。懐かしい食べ物です。
休憩し写真撮影。ここって昔は相差展望台って名前だったと思うが、変わったみたいです。オヤジの記憶は40年前のパールロードが出来た時点の記憶しかありません。
写真撮影する参加者・自転車を整備する人・携帯食を食べる人・寝転がる人・中には熟睡する人もいた(笑)。あんたレースどうすんの?
「お父さん、ここって中間地点だとしたら、時間制限の3時半までギリギリだよ」
参加要項を見ると、ゴールの撤収時間は3時半。という事は残り4時間半しかない。
いかん!すぐに出発だあ!
あせあせ、帰りはガンガン下って・・・ではない。確かに折り返し地点は最高地点だが、帰りも登ったり下ったりなのだー。
折り返しに向かって走る人達とすれ違う。
「折り返し地点はもうすぐですかー?」
「あとちょっとですよー。頑張ってー!」
こういう声掛けは大好きなのだ(笑)。
またもや伊勢志摩ロイヤル前のジェットコースター坂道を行き、的矢大橋を渡ってスペイン村から鵜方のダイハツの交差点まで休憩無しで一気に進んだ。
はあはあ、ぜいぜい。
ダイハツの交差点では左折すると思っていたのだが、前の自転車はそのまま進んでいった。
「えっ?ちょっと待って!」
と子供を引き留める。
とそこへ、反対側からやってきた人が、
「どうやらここで曲がるようですね。ずっと突き当りまで行って帰ってきました」
やはりそうですよね。ここには誘導員がいませんでしたので、何人かが道に迷ったようです。
この交差点で、昔オカンが交通事故にあった (笑)。出会い頭の事故で、信号無視した車に追突されました。助手席に乗ってたのは私です。

甲賀口の手前のコンビニで水分補給。ここまで1時間で帰ってしまった。無茶速い。ここで休憩してると、ロードバイクの人と話。
何回も出場されてる人みたいで、
「もう130kmなんて無理ですわー」
と仰っておりました。ベテランさんです。

国道をどんどん進み、甲賀口から大王町に入る。行きに寄った甲賀の里には寄らない。波切の百五銀行から漁港に下る。
この百五銀行波切支店は、大昔死んだ爺ちゃんが支店長をしていたところです(笑)。
うまああ、この道は最後に登りがきついんだが・・・。
港に降りてからトイレでウンチ(笑)。すいません、ここでブリブリしました。でもちょっとしか出んかった。
「折り返しから結構早いなあ。行きのようにあちこち寄ってへんから、2時には到着するかもしれん」
「なら何とか間に合うね」

港から街中を通って、お寺が、
この桂昌寺は、うちの爺ちゃんと婆ちゃんの菩提寺です。懐かしい。
爺ちゃんは私が29歳の時に亡くなった。あの時は若くて尖がってて、当時勤めてた会社の部長が大嫌いでして(笑)・・・。
私の当時の部下が法事で休みを取ろうとした所、
「死んだ爺さんに食わしてもらえるのか」
という暴言を吐いて問題になった部長がいた。
まあそんな人が部長になるくらいだから、3年後会社は潰れかけた(笑)。一旦買収されてかなりの社員が辞めて、今でも残っておりますが、当時の経営陣はほとんどいないみたいです。
私も爺ちゃんが死んだ時5日間休みを申請し、何か言われたたら会社辞めるつもりでした。その3年後結局辞めましたが、人を大事にしない会社ってのは、中堅がどんどん辞めていきますねえ(笑)。
私が38歳の時に婆ちゃんが死んだ時もこのお寺で葬式しております。

坂を上がり始めると左手に小学校が。
「お父さんはこの小学校に通ってたんだぞ!」
「わかったから、早く行こうよ」
オジサンの思い出は若い奴にはわからんのか・・・。
名前は大王小坂だが長い坂を上がって、行きに寄った大王ステーションに再び。ここで水分補給。
「あれれ?柔道着の人、速かったねえ」
とボラのオジサン。
いえいえ全然遅いです。
ここで疲れ果てて座り込んでる美人さんを発見しました。ぐったりしてるようですが、アスリートの女性が疲れてる姿も美しいと思います。どうも私はアスリートの女性に弱いらしいです。
逆に香水や化粧ののきつい「汗なんて掻きたくないもん~」という女性はあまり・・・(笑)。昔の職場によくいたおんなおんなした人達は苦手。でも男の大半は大半はそういう人の方が良いみたい。
個人的には柔道の松本薫選手は良いですねえー、私は大好きです・・・話が脱線してしまった。

ほんの少し立ち寄り500m離れた実家に寄った。
「お帰りー!何か飲んでいきない」
とオカン節炸裂。私は出なかったウンチの続きをここでブリブリ。
息子はお婆ちゃんと冷たいお茶を飲んでるようである。
「何時に終わるの?」
御座廻りで布施田の海洋B&Gセンターまでやから、ここから22kmあると思う。2時にはゴールできると思う。でも自転車の分解と積み込みもあるし、帰って来るのは3時半4時ぐらい」
「じゃあ待ってるわー」
実家を出て船越集落をすすむ。行きに撮れなかった船越の浜の写真です。ここで泳いだ記憶もあります。
「お父さん、飛ばしていい?」
「最後の力を振り絞れー!ガンガン抜いて行けー!」
志摩町に入るくらいからスピードアップし、ロードバイクを抜いて行きました。わはははー爽快!もうすぐ足が限界!
いくつかの橋を越え、御座の集落を通って最期の森の中の坂道。
「くそー!」
「負けるかー!」
「だあー!」
ペダルを踏み込む度に叫ぶオヤジ。うるさい、近所迷惑だ。
和具の集落から布施田の海洋B&Gセンターに入り、1時17分にゴール!95km6時間の記録である。終わったー!
「サイクルマラソン鳥羽志摩線」獲ったぞー!
記念写真です。カッコつけてますが、足がプルプルで思うように走れません。乳酸が溜まりまくって全然抜けません。
子供と無料のカキ氷を2杯お代わりし、2時からの閉会式で景品を頂き(てこね寿司)のんびりとしてました。
写真は実行委員長の山下弘(ひろむ)さんです。この方は毎年4月に行われる「志摩ロードパーティ」の実行委員長も務められ、志摩市議会の議長さんでもあります。
実行委員長を始めボランティアの方々、今回はお世話になりました。私の田舎のレースでありながら、今まで出てませんでした(笑)。出来れば来年も出ます。

一度実家に御帰り、風呂に入って飯食ってから愛知県に帰りました。オカンは孫と離れるのが寂しいようですが、子供も明日は部活が朝からあるので、早めに帰らないといけません。
帰りは伊勢道が大事故で通行止め、東名阪も大渋滞だったので、国道23号線で帰りました。四日市市内で大渋滞に引っ掛かり、家に着くのに7時間かかってしまった。

さてお尻の肉離れは自転車は全く影響なしでした。どうやら捻ると痛みが走るのですが、足を前に回転させる運動は、痛めた個所には影響が無いようです。
反面坂道でハンドルバーを思いっきり引きつけていたので、首から肩・背筋にかけてが筋肉痛です。やはり自転車って上半身のスポーツなんですね。
何とか柔道を再開できそうです。

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コメント (4)
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