48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

走れメロス! 西尾の超遅マラソンおやじ黎明編 序

2012年08月30日 23時45分14秒 | ジョギング
8月29日(水)
昼休みが長く取れ、私はちょっとジョギングで1時間ほどブラブラ。久しぶりに炎天下の中を、1時間ほど西尾市平原の滝まで走ってきました。お盆前から2週間ほど走っていなかったので、息が上がってしまった。
やっぱり走るって良いですねえ。お盆での暴飲暴食のつけで、腹回りが最近肉付きが良くなったため、今日からジョギングを再開。いつもだと調子がいい時は、20~30分くらいでランナーズハイの状況になり、体が軽ーくなるのですが、やはり今回はそんな調子の良い事にはなりませんでした。最初から最後まで息上がってました、残念。

暇なので、私のマラソンの歴史(?)を

子供の頃は長距離なんて嫌で嫌で仕方がなかった。大体子供の頃は走ってると腹が痛くなって来る。小学6年の時に校内マラソンの途中腹痛を起こし、マラソンコースを抜けてトイレに駆け込んだら、周りのみんなに見られてて、「マラソンウンチ」と囃し立てられた。ああ腹が立つ。ますますマラソンが嫌いになった。
タイトルを見て「懐かしいなあ、走れメロス」とお覚えの方もおられるでしょう。実は私は「走れメロス」を太宰治が書いた寓話だと知らず、読んだ当時はギリシャ時代かローマ時代の、マラソン誕生期の実話ドキュメンタリーだと思ってました。大馬鹿野郎です。
高校の時も、マラソンの時はいつもサボってました。校内マラソンは真ん中よりも下。何故かわからないが、マラソンの時にはいつも腹が痛くなり、時々トイレに駆け込んでました。んで出したらすっきり!快適!
自分自身で、「マラソンはお通じに良い!」と友達と言ってました(笑)。ヨーグルトより腸内環境に良いです。この頃は囃し立てられる事もなく(当たり前だ、高校生になってそんなことするか)、逆に「俺はうんこランナーだあ!」と言って喜んでた、アホ。
卒業後マラソンから離れたうんこランナーオヤジが、再開するのは18年後である。

学生時代から社会人になってずっと登山をしてました。就職した会社も登山関係の会社で、会社の仲間も登山バカなので、休みのたびに山に行ってました。30歳の時に結婚したのですが、私は小売・サービス業なので、土日祝日は仕事。反対に嫁さんは公務員だったので土日祝日は休み。見事な擦れ違い(笑)。一度山に入ったら、4~5日は帰ってこなかったり、冬は雪山もガンガン行ってて、結構本格的にやってました。学生時代から就職しこの会社を辞めるまでの10年間は、ひたすら山に登ってました。山バカです。
嫁さんには悪いけど、毎日毎日が楽しかったです。

33歳の15年前オヤジは転職し、とてつもなくクソ忙しい会社に入ってしまったのです。月の残業時間が100~150時間という、地獄のような労働条件であった。
この会社に入った事で、33歳ぐらいで山歴が一旦途切れてしまった。とにかく山に行くための休みが取れないのである。取れても日帰りぐらいの山しか行けない。冬の縦走なんて夢のまた夢。
それまでは春から冬にかけてオールシーズンでガンガン行ってたのが、転職を境にとてつもなく運動不足のオヤジになってしまった。ストレスが溜まり煙草は1日1箱。ヤニ臭い中年男である。
「いかん!俺は肺がんで死ぬぞ」と思い、アパートから会社までの4キロを、ジョギングで通うことにしたのだ。休みの日は堤防まで往復10キロを走る。35歳の時であった。
これがオヤジとマラソンの、第一種接近遭遇(←古い)であった。
この頃は月に50キロ~100キロの走行距離で、あくまでも登山の為の準備運動のつもりであった。靴も本物のジョギングシューズではなかったし、服も登山用のシャツでした。
何よりもフォームが汚かった(笑)。腕の振りすぎで軸がぶれて、頭がふらふらしていましたね。今の柔道と同じですごい下手クソ(笑)。
登山だと準備もしなくてはいけないし、装備も揃えなければいけないし、計画立てて仲間を募って役割決めて・・・めんどくさいんです。しかしジョギングは、
「2時間ほど空いてるから走ろう」って手軽にできる。次第に登山からジョギングにシフトしていきました。この時に走る癖がつきました。でも結局煙草は止めれませんでしたね。量は激減しましたが、ストレスが溜まった時には吸ってましたね。
前の会社はそれなりにスポーツをする人ばかりでしたが、この会社は書籍関係という事もあって、誰も運動をせず、しかもオタクさんが多いとこでした。昼休みはピコピコゲームで遊んでるやつもいるし・・・仕事は面白かったけど、文科系の会社でスポーツ仲間がいなかった。

それから3年後の38歳の時、田舎へのUターンを目指して三重県に家族で帰りました。
新しい職場へは車で遠距離通勤をしており、毎日走れなくなった。仕事も残業がバンバンあり、休日も週一しか取れません。完全にメタボオヤジになってしまい、しかも煙草も1日1箱に戻ってしまった。無理して休みの日に、ちょっと走っただけで動悸がすごくなり・・・ああ私の暗黒時代。
たまに9時くらいで仕事が終わると、帰り道の伊勢湾沿いの海岸に車を止めて、1時間ほど走ってました。朝7時から夜の11時まで、ずっと働いてましたので、週1で走る時が一番息抜きになりました。
「ああこんな会社辞めたいなあ。でも田舎だから転職先ないし・・・うだうだ」とまあ愚痴を言いながらジョギング。
不規則な生活・増えるアルコールと煙草・短い睡眠時間・絶え間ないストレス(←倒産寸前になったため)・揉める社員と経営者・・・あー思い出したくないぞおお!
スポーツするどころではない、命削ってました。本当に不健康な3年間です。このUターンは大失敗でした。

このUターン先の勤めていた会社が潰れ(バンザイ!)、嫁さんの実家に転がり込み、地元の中小企業に再就職しました。新しい会社(今現在勤めている会社)は、休みも8割方取れて、勤務時間もそんなに長くありません。ジョギングの再開です。42歳の時です。
ほぼ毎日ですが10キロを走り、朝走れない時は、昼休みとか夜に走ってました。月間200キロ以上を走りこんでましたね。往復35キロの自転車通勤も加わり、基礎体力がついたと実感できました。基礎体力に自信が出来ると、格闘技をやってみたくなり、地元の空手道場に飛び込むのは、この2年後です。

愛知県に来て2年目の43歳の時、マラソン大会に初めて出ました。地元の一色マラソン10キロの部です。
走る前はドキドキしましたね。あまりに緊張しすぎて、ウオームアップの時点で2キロぐらい走ってしまい。本番前に結構疲れてた(笑)・・・バカです。当時保育園の年長だった子供が応援に来てくれたけど、タイムは59分と遅かった(笑)。ひたすら苦しかったことを覚えてます。
これ以降は年に1~3回のペースで、マラソン大会に出るようになりました。

ハーフマラソンのデビューは、それから1年後です。地元の市民ランナーの団体が、毎年3月末に行ってる安城緑道マラソンに出場し、初ハーフで1時間59分28秒でした。2時間切れるとは思ってもみなかったです。自分が21キロを走れるなんて嬉しかったですね。
この安城緑道マラソンは、自治体ではなく一般の市民クラブが運営している珍しい大会で、参加賞もありませんし、賞状も用紙だけいただいて、自分で名前とタイムを書くというもの。今まで出た中で、一番お気に入りの大会です。
初めて出た時はびっくりしました。
スタート前に役員の挨拶があるわけでもなく、名物会長が始まるまでずっとMC
「みなさーん、一生懸命走っちゃ駄目ですよ!慌てずゆっくりぼちぼちと。これはレースではなく練習会です!抜かれても抜き返しては駄目!」とまあ凄いMC。結局この会長さん、オヤジギャグの飛ばし過ぎでスタート時刻を忘れてしまい、9時半スタートの所を、○分遅れのスタートになった。
「しまった!時間過ぎてしまった!いかんなあー、すんません、○分スタート遅らせます」
何ともいい加減な大会である。
ハーフの参加者は500名を越えてましたが、参加者皆爆笑で誰も怒らない。そんな楽しい大会でした。
この1年後も同じ大会に参加するのですが、タイムは前より遅くなって、1時間59分53秒でした。進歩がありません。

それからは空手と並行しながら、マラソンを続けてましたが、その頃からマラソンから空手にメインの運動を変えていたので、体形的に体重が増え筋肉質になり、マラソンのスピードもあまり上がりません。タイムが頭打ちになってしまった(と言い訳を書いておく)。
3年前に一度フルマラソンに挑戦したことがあります。同じ安城緑道マラソン。
非常に甘く見てまして、後でえらい目に合いました。初めてハーフに出た時は、何とか走れてしまったので、フルもハーフの2倍だから、何とかなるだろう。ハーフで2時間切ってるんだから、フルでは4時間半ぐらいかな、なんてね。
でもその時は途中で足を痛めて、30キロ地点で歩いてしまいました。35キロから再び走り始めたんですが、結局5時間28分27秒だった(笑)。ハーフとフルは別物です。30キロまでは順調でしたが、そこには壁があるんだという事を痛感しました。福士加代子の失速は本当だった(←マラソンに興味のある人しかわからんやろな)。

フルマラソンの翌日月曜日、岡崎道場での空手の練習では、足が攣りまくって七転八倒した覚えが・・・
ああ思い出した!あの時Aさんは、痛めてた足を見て、
「T岡さん、どうされたんですか?怪我ですか?」
「いえ昨日フルマラソン・・・かくかくしかじか・・・で痛めてまして」
「うわあすごい。じゃあ今日はこれ以上痛めないように無理しないで・・・」
と言いながら、その後の組手でローキックをバンバン決めてきたので、オヤジは
「何て容赦のない人間なんだ」と思ったことがあります(笑)。
他の同じ練習生のOさんやHさんも、容赦なかったよな。あの人たち人間じゃない。鬼。

翌日火曜日幸田道場にて、Iyo先生が私の引きずった足を見て
「あれれ?T岡さん、どうされたんです?」
「昨日フルマラソン・・・かくかくしかじか・・・で痛めてまして」
「ひええすごい。まあ無理しないで、軽くいきましょう」
と言いながら、最後の組手でロー・ミドルと足をボコボコに蹴られた。師匠、もちっと気を使ってくれてもいいじゃないですかあ。Iyo先生との組手の後は、出稽古に来てた昨日のAさんで、2人連続でローキックでボコボコに。二人とも容赦ないぞお!年寄りは大事にせい!

翌々日木曜日は岡崎の道場にて、月曜日に一緒に稽古したI先生が、
「あれれ、まだ痛めてるんですか、大事にしましょうね」
と、組手をやめてミット打ちにしてくださいました。優しかったのは、木曜日のI先生だけでした!
嫁さん曰く、「無理して行かなくていいやんか、あんたがアホ」・・・確かにその通りです。

話が外れてしまった。

他にも地元一色マラソンは、ハーフ部門をほぼ毎年参加し、一番良かったタイムは1時間55分23秒。一番悪かった時は2時間17分。毎年ハーフは2時間10分前後です。
10kmの大会や他地方の参加も結構多く、三好マラソンや幡豆三町マラソン、モリコロパーク、恵那峡ハーフマラソン、志摩ロードパーティ(ハーフ)など、日帰り旅行を兼ねて行くことが増えましたね。
マラソン大会参加は、我が家の季節の行事になりました。
さて私のマラソン歴の大雑把な経緯はこれまでで、明日は待望の、
「走れメロス!破!雪原の決闘望郷編!鬼嫁に抜かれたオヤジ!」
です。♪サービス・サービス!

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