住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

すべてはつながっている

2007年09月10日 14時05分48秒 | 仏教に関する様々なお話
(大法輪誌9月号・特集・仏教の見方・考え方に掲載。わかりやすく仏教の体系がマスターできる特集他、宗派にとらわれない仏教総合誌。是非ご覧下さい)

   『すべてはつながっている』

無常なるこの世の姿

あらゆるものは変化を繰り返し、生まれ来るものはみな滅する、この無常という真理からは、なにものも逃れるすべはありません。

今日、インドの仏教聖地は、崩れた煉瓦積みの僧院や仏塔によって、そこがかつて寺院であったことがわかる遺跡にすぎません。中にはブッダガヤのマハーボーディ寺のように、きれいに整備された堂内に多くの参詣者が詰めかけ賑わいを見せるお寺もあります。

が、そのほとんどが、かつて数千人規模で学僧を教育していたナーランダー寺のように、いくつもの僧坊が取り囲む僧院の様子が、かろうじて煉瓦の壁で伺い知ることのできる程度の遺構なのです。

その地に立ち、隆盛だった往事の姿を想像すると、やはり日本人の私には「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりを顕す」と、古典の一節が思い出されるのです。

インド仏教も、かつてはアショーカ王の帰依と援助によってインド全域に広まりました。しかし、西域からインドへ侵攻してきたイスラム軍によって、十三世紀初頭、中核となる仏教寺院が次々に破壊され、以後衰退したと言われています。今日では、インドの全人口の三パーセントほども仏教徒は存在していません。

煉瓦や石で造られた堅牢な寺院も、また精神的な蓄積である思想哲学も、まさに、諸行無常、盛者必衰のことわりそのままの姿を現していると言えましょう。

すべてのものは縁りて起こる

諸行は無常なり。では、なぜ無常かと言えば、それは縁起せるものだからなのです。「法を見る者は縁起を見る」とも言い、お釈迦様の教えの中心に縁起の教えがあり、それは、この世のあらゆるものの真実の姿、そのあり方を教えるものです。

「これあるによりてかれあり。これ生ずるが故にかれ生ず」と言われ、縁起とは、縁りて起こることであり、原因と様々な条件によって現象が起こるということ。すべてのものは、そのものだけで存立しているのではなく、多くの条件のもとで他に依存して現象しています。

コップの水は、コップという入れ物によってその形をとどめ、その場の気温が液体としてとどまる温度にあり、また重力の作用により、そこに水として存在しています。気温が沸点を超えれば気体になりますし、氷点を過ぎれば固体になってしまいます。

条件が少しでも変われば別の現象が立ち現れていきます。すべてのものがこのように様々な条件のもとで、他に依存するがために不安定な状態にあります。

ですから、その水そのものも絶えず変化しています。まったく変化しないように見える硬い岩であっても、物質の最小単位である原子以下のレベルでは常に変化しつつ周りとバランスし調和して個体を形成していると言われています。すべてのものが、こうして絶えず変化しつつあり、その瞬間存在しているにすぎないのです。

私たち人間も、それぞれの条件のもとにみな違った環境の中で、生まれた瞬間からたくさんの人の助けにより、日々変化し成長していきます。不安定な存在に過ぎませんから病気をしたり毎日の体調も違います。他に依存しなければ生きられませんから、人や物に影響され、支えられ、心身ともに変化し新陳代謝することで生きています。

すべてのものは、縁起するが故に無常であり、だからこそ存在しているのです。

すべてはつながっている

ところで、地球上の全生命は、三千万種もあると言われます。それらは、食うか食われるか、光や養分の取り合い、受容と拒否の関係にある生物種など、多種多様な生物が複雑に相互に関係し合うことによって、安定した生態系を形成しています。

しかし、急激な環境破壊により、この先三十年ほどの間にその五パーセントの生物種が絶滅するのではないかと懸念されているのです。たとえ、ごくわずかと思える五パーセントの命でも失うならば、生態系全体に大きな危機をもたらす可能性があるとも言われています。

地球上の豊かな生命の営みは、一つ一つの小さな命に支えられ、その多様性によって調和がはかられているのです。

ですが、このことは、生物の世界のことだけでなしに、すべてのものが縁起することを考えると、あらゆるものが他のものたちと複雑に関係し合い助け合い相互に依存し共存する、かけがえのない関係にあることが分かります。

あらゆるものはバラバラにではなく、この縁起という関係性のもとに、すべてのものと、ともにつながって、この瞬間存在しているのだと言えましょう。


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