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明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約③

2024年06月06日 20時18分09秒 | 仏教に関する様々なお話
明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約③





第三、正定

一世間禅、世間禅とは、四禅定、四空定などをいう。

十善戒を護り、坐して気息調和し、身心端静にして定に入りても、人の身心の相を見るので欲界定といい、そこからさらに進み、身の感覚を超えて虚空の如く安穏になるのを初禅の未至定という。

そして、欲界など下の境界を厭い、未だ寂静に到らぬので「麁」であり、精妙に苦悩を脱していないので「苦」であり、障礙を出離していないので「障」であると観じて、先に進み、上の境界を得ると、麁動なく寂静にあるので「静」であり、苦縛を脱して静妙なるが故に「妙」であり、迷いの世界に留まろうとする障りを離れ出ているので「離」であると観ずるのを六行観という。

これにより、欲界定から初禅に、さらに二禅、三禅、四禅へと到る。さらに四空定も六行観によって成就する。

二出世間禅、初めに四念処、次に三十七道品とする。出世間禅とは、三法印にある苦不浄、無常、無我の真理を観じて我見我愛などの煩悩を断ずることをいう。そのために四念処観を修す。念とは、観慧であり、処とは観察する所のことをいう。

一、身念処とは、身体について観察することであり、身体は種々の不浄より組成されたるものであり、その不浄を観念して自他の身体が美しく清らかな者であるという顛倒を破すること。

二、受念処とは、我が身が外界との接触により感受するものについて観察することであり、それらは純粋に楽といえるものはなく、一つとして苦でないものはないと観念し、迷いのこの世が楽との顛倒を破すること。

三、心念処とは、心について観察することであり、その働きが常に生滅を繰り返して常住でないことを観念して、同様に常との顛倒を破すること。

四、法念処とは、一切の法について観察することで、それらのものが因縁によって生じ滅するものであり、そこにそのものだけの存在を特定する自性はないと観念して、永遠不滅の我が存在するという顛倒を破すること。

小乗の機根の人は、四念処により四顛倒を観破するはよいとして、その四者に執着し実有との誤った見解をもつ。大乗機根の人は、不浄、苦、無我、無常を観じた上で、この四観に執着して実有なりとする顛倒も破して、八顛倒を破すのである。

三、三十七道品 今述べたる四念処の他に、四精勤、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道の七科の道品、総じて三十七あり。これらは戒、定、慧のそれぞれに属するものがあるが、みな定心に相応するものなので定聖行に入れ、大略を述べる。

一、四念処、既に述べた。

二、四精勤、一に既になした悪行を断じ、二に既になした善行を増進し、三に未だなしていない悪行をせず、四に未だなしていない善行をなすために、精勤する。

三、四如意足、意の如く目的を成就させる徳のこと。一に欲如意足とは、四念処などの法を修することを欲して善い果を望むこと、二に心如意足とは、修する対象に集中し、一心に正しく行ずること、三に進如意足とは、勤勉に精進修行すること、四に思惟如意足とは、修する対象についてよく思惟して心して試行すること。

四、五根、諸々の道品を行じる際に善根を生じるための力となるもの。一に信根とは、教えを信じ疑わないこと、二に進根とは、励み精進すること、三に念根とは、放逸せず妄想しないこと、四に定根とは、心落ち着き散乱せぬこと、五に慧根とは、観察し明らかに照見すること。

五、五力は五根に同じ。

六、七覚支、一に念、二に擇法、三に精進、四に善(喜の誤りか)、五に軽安、六に定、七に捨とする。修禅の際に精神沈昏するときは、念(心そこに留める)をもって、擇法(法を選択する)と精進(励み精進する)と喜(喜び満足して)の三つの覚支により観起し、心もし浮動するならば、軽安(心身の軽快なるを感じる)と定(心禅定に入り散乱させず)と捨(心かたよらず平静である)の三つの覚支を用いて静定ならしめる。

七、八正道

一に正見とは、苦・空、無常、無我などの十六行(次節に述べる)を修して四諦の真理を認識すること、
二に正思惟とは、四諦の真理を観じて煩悩のない心により思考が静まること、
三に正語とは、煩悩のない智慧により邪な言葉を既に離れ、言葉を発することからも離れていること、
四に正業とは、煩悩のない智慧により邪な行いを遠ざけ、何かしたいという衝動から離れていること、
五に正命とは、煩悩のない智慧により邪な生活を退けて、清浄なる行を継続すること、
六に正精進とは、煩悩のない智慧により精進して涅槃に向かうこと。
七に正念とは、煩悩のない智慧により如実に現象を観察すること。
八に正定とは、煩悩のない智慧により正しい心の統一を得ること。
  
以上三十七道品は、仏教修行の要道であり、安心立命の地を得んがためにはこれらの道品を修めなければならない。この他出世間禅に属するものとして、他に小乗、大乗、また密教にも種々あり、各自実地に研磨されることを願望する。

 第三節 慧聖行
 煩悩が残る不完全な智慧を有漏の慧といい、煩悩を断じて真実の真理を発見する智慧を無漏の慧という。

第一、有漏智 世間の有漏智に七段階あり、初めの三つは三賢位といい、後の四つを四善根位といい、総じて七賢位という。

初めに、三賢位について述べる。

一に五停心とは、数息、不浄、慈悲、因縁、念仏の五観を修し貪・瞋・痴・我見・散乱心を抑えて相応の慧を発する位をいう。

二に別相念処とは、四念処を修して、身は不浄なり、受は苦なり、心は無常なり、法は無我なりと四境を別々に観じて修得する智慧をいう。

三に総相念処とは、四念処において、身は不浄なりと観じたならば、受と心と法もまた不浄なりと観ずるように、四念処の全体が、ただちに不浄、苦、無常、無我であるとの共相を観ずることによって得られる観達自在の智慧を得たる位をいう。

次に、四善根とは、無漏の智慧が生じて四諦の真理を明瞭に見る段階である見道の直前の位であり、四諦において十六行相を観ずる。

苦諦について観想し、三界の苦は、苦悩なり、空なり、無常なり、無我なりと観念する。
集諦について観想し、苦果を招集する原因は、集なり、因なり、生なり、縁なりと観念する。
滅諦について観想し、滅は真に、寂滅なり、浄なり、妙なり、離なりと観念する。
道諦について観想し、三界出離の道は、真の道なり、如なり、行なり、出なりと観念する。

これを十六行相といい、これに麁細勝劣の差があり、煖位・頂位・忍位・世第一位の四位がある。

第二、無漏智 出世間の無漏の智にも、種々の階級があり、声聞と縁覚とに違いあり、同じ声聞乗の中にも種々の差異がある。我ありとの誤った見解による種々の見惑(無漏智を生じて四諦を明瞭に見ることで滅せられる煩悩のこと)を断じて四諦の真理を悟り、煩悩のない智慧を獲得する声聞の智に十六心の別がある。

四諦を四つそれぞれを観ずる智に忍と智がある。見惑を断じる智を忍、真理を証した智を単に智という。例えば苦諦を観じて楽との顛倒を破するのは苦法智忍といい、苦諦を観じて無漏の真理を証するのを苦法智という。集、滅、道もこれに準じて各々忍と智があり、欲界の四諦を観ずる智に八種あり、また色界無色界の四諦を観ずる智に同様に八種あり、併せて十六心となる。

初めの十五心を初果向(預流向)とし、第十六心を初果(預流果)とし、さらに第二向より第四果に到るまで、三界の微細なる煩悩を断じるために四諦の真理を重々思慮思惟して明瞭な智を得つつ進む。第四果にて三界最頂の煩悩を断じ尽くしたので尽智といい、阿羅漢は再び煩悩を生ずること無いので、その極智を無生智ともいう。

次に縁覚は、飛花落葉を見て悟る者なので、機根勝れその智は鋭利なので、教わることなく十二因縁を悟り、三界の煩悩を断じ尽くす。次章にて述べる聖者の四向四果という段階も分けることなく、一向一果を経て涅槃に到る。

小乗の菩薩は、声聞縁覚同様に三法印によって修行する者ではあるが、利他のために一切衆生を利益して声聞縁覚菩薩の弟子らを教化して悟らしめる化他の智慧広大無辺である。

大乗の菩薩は、四弘誓願を起こし四諦十二因縁の法門を修学し、衆生に結縁するために布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜を修して一切衆生を済度するが、その獲得する智慧に一切智、道種智、一切種智の三智がある。

一切智とは、声聞縁覚の二乗が断ずる煩悩を断尽して空諦を証する智慧。
道種智とは、一切衆生の煩悩の心病を知り、それを救う法薬を施し菩提に到らせる仮諦を証する智慧。
一切種智とは、生死と涅槃との二辺に迷う無明の微細な煩悩を断じて、生死即涅槃、煩悩即菩提、生仏不二の中道実相の真理を証する智慧にして、普く十界の一切の凡夫も聖者をも教化する。

定と慧は、もとより相離れざるものであり、慧を得ようとすれば定が必ずあらねばならず、定がなされれば自ずから慧が発せられる。戒定慧の三学は、本来不二にして、一心の三徳なるものである。

仏教の真理に随おうとする者は、必ず三学を修めねばならず、三学を明らかにするものは三蔵であり、経は定に該当し、仏陀が定に入り定の中に現れた法を説くものであり、律は戒に該当し、仏弟子らの非行を戒められ制定されたものであり、論は慧に該当し、仏弟子らが法門の深い教義を論じたるものである。これら戒定慧の三学は相互に関連し離れないものであり、経律論の三蔵も分離すべきものではない。



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