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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

長野県中川村村長曽我逸郎様へ

2012-10-09 18:17:09 | 

9/21の朝日新聞オピニオン欄のインタビュー記事を見て、早速メールしています。というのは、村長なり市長なりの立場でありながら、はっきり自分の主張をされていることが、今の日本ですごいなと思うからです。ほんとは当たり前のことだと思いますが、右に倣えの日本で勇気ある発言・行動だと思います。「天皇に戦争責任はあると思う」と述べられた本島等長崎市長と同じく大きな勇気をもらいました。日本がやった侵略戦争への反省から生まれた日本国憲法で高く掲げた理想を追究していくような「誇りを持つ国」にしていきたいという思いは、まったく同じです。また、釈尊を引用されての考え方も共感しています。僕も梅原猛さんや瀬戸内寂聴さんの本を読んで、仏教にひかれているところがあります。

 僕は3月まで大阪府T市の小学校の教員でした。一人の人間としても、国としても、正しいことを行い、間違ったことは改めていくのが、人間としての生き方であり国のあり方だと考えてきました。子どもたちにも「何が正しくて何が間違っているか、しっかり考えて発言したり行動したりするように」と言ってきました。そういう考えから6年生の担任の時は、社会の歴史の中で日本のやった侵略戦争についても学習してきました。そして、広島への修学旅行にも連れて行きました。

 また、戦前・戦争中の先輩教師がただひたすら国の命令に従って、天皇制教育の下、皇国民の錬成と称して数多の教え子を戦場に送り出した痛苦の反省に立って、戦後の先輩教師が掲げた「教え子を戦場に送るな」のスローガンも僕の頭に深くありました。と言っても、日常的に何かの闘いに加わっていたわけでもありませんが、学校現場では毎年の卒業式に『日の丸』『君が代』が持ち込まれてくることには絶対反対でした。というのは、『日の丸」は侵略戦争の旗であり、『君が代』は天皇をたたえる歌であり、戦前の天皇制教育の中で教育勅語、ご真影、修身などとあわせ、日本の侵略戦争のなかで、『日の丸』『君が代』は、その大きな道具として使われました。

 1945年敗戦と共に、ドイツやイタリアと同じく、天皇と天皇制とともに『日の丸』『君が代』も捨て去られるべきだったのです。それが、1950年代から学校に再び持ちこまれ、1999年の国旗国歌法以後、大阪府の教育現場にも卒・入学式に登場してきました。僕は、それ以来、『日の丸』『君が代』には反対ですの意志を込めて、『君が代』が流れると静かに座ってきました。

 しかし、昨年6月、橋下大阪府知事の下で「国旗国歌起立斉唱条例」が通り、その意を受けたT市教委が、他の大阪府の市町村はどこも出していないにもかかわらず、T市だけ、それも僕の組合の4名にだけ、「卒業式の『君が代』で起立斉唱せよ」という高槻市始まって以来の職務命令を出して来ました。職務命令が出たからといって、また、校長が「法律に従うのが教育公務員だ」と言っても、『君が代』で立って歌うことは、自分が子どもたちに言ってきたこと、すなわち、「何が正しくて何が間違っているか考えて発言・行動するように」と言ってきたことと矛盾します。自分が言ってきたことを自分で裏切ることになります。これだけは、教師としても、人間としてもできません。というわけで、卒業式では昨年までと同じく、、『君が代』の時、静かに座りました。

 すると、戒告処分でした。そして、再任用に合格していたにもかかわらず、そのことを理由として、『君が代』で50秒座ったことで「勤務実績が良好でない」とされ、再任用を取り消されました。僕は、3月までT市の小学校に12年間勤務していましたが、そのうち7年間は「希望の杜」施設内学級というところにいました。その施設は情緒障害児短期治療施設と言われ、虐待やネグレクトにあった子どもたちが入所してくる施設です。親や生まれ育った環境によって学習する機会や生きる希望を奪われた子どもたちに自立して生きていってほしいと思ってやってきました。その子どもたちに、あと何年か、かかわりたいと再任用の希望をだしていましたが、それも夢まぼろしと消えました。

 どちらかというと、めんどくさいことにはなりたくないと思っていたのですが、しかし、今の時代の中で、特に、大阪では橋下の登場以来、命令で教育も何もすべてやろうという中で、『君が代』で座ったということで、処分と再任用取消という、このことにものすごい怒りが、今もあります。それで、今、大阪府人事委員会に不服申し立てをしています。

 長々と自分のこと、自分の気持ちを書きました。村長さんとは歩んできた人生、また、『日の丸』『君が代』に対する考え方など、ちがうところもたくさんあるようには思います。が、日本はどうあるべきか、憲法の理想を実現したい思いなど共感するところもたくさんあります。村長さんが言われるように、いろんな意見を表明し、それを議論しあいながら、日本の進むべき道をみんなで模索できるような、そういう「空気」にしたいと僕も思います。

 あまり、知らない人やところにメールしたことがないのですが、今日の新聞を見て「まじめに考えて村長をやっておられる人がいるんや。それも堂々と」と思ってうれしくなりメールさせていただきました。今回の朝日新聞の記事で、本島長崎市長の時みたいに、右翼や何かが騒ぎ立てるかもしれません。僕は一教師でしたが、公職にあると大変だと思います。が、ともにそういう力には負けないでがんばりたいと思います。(Y)

*『国旗に一礼しない長野県中川村村長さん』のインタビュー記事を読んで送ったメールを掲載しました。
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