たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

視察旅行

2012-02-14 06:16:51 | 植物
毎年、地元の花の生産者で視察旅行に行きます

来週それがあります

まだ、今になっても行き先が定まってないようですが、とりあえずは

グリーンプラザ山長という、奈良県生駒市にあるお花屋さんに行くみたい

あれ?おいら、ここの店行ったことあるぞ。

店長はすごく親切な方です

たしか、自分ちでも花壇苗の生産をしてたとの記憶

しかも、半端な規模じゃない

すばらしいお店です


そういえば、堺にすごくおしゃれな花屋さんがあったなぁ

調べようとしたら、グリーンプラザ山長のHPにちゃんとリンクがあった

Flower Shop LOBELIA  ロベリアというお店

すごくセンスのいい寄せ植えで有名なんです

ここ行けないかなぁ・・・

組合長に頼んでみよう。


今日は、バレンタインですね

花の業界では、フラワーバレンタインといって、お花を贈ろうと頑張ってるようです

たしか、男性から女性にだっけ?


人との心のつながりを持つには、非実用的なギフトが良いと言われます

チョコもいいですが、お花などはいかがでしょうか?

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鳴海城

2012-02-13 05:56:55 | Weblog
またまた、市場の帰りに鎌倉街道を通って鳴海城と、丹下砦に行きました

でも、やはり道が狭い

鳴海城は、善照寺砦の西、すぐ近くです



丹下砦は、北すぐのところにあります

どちらも車止めるところが無いんでゆっくり出来ませんでした

中島砦については、現在民家のようなので行きませんでした。


桶狭間の合戦の一年ほど前の永禄2年に織田信長が今川方の鳴海城を包囲するために

築いた3砦(善照寺砦・丹下砦・中島砦)です

合戦当日、信長は、丹下砦の兵を軍勢に加えて善照寺砦に入り、

鳴海城を攻めている間に中島砦に2千の兵を引き連れ移動したとされています。

攻められた鳴海城の今川勢(岡部元信)は信長側の兵を討取って撃退したそうです。

合戦の後、鳴海城の岡部元信だけは城を動かず籠城を続けて、

その後、討取られた義元の首と城を交換して帰国の途についたと言われています。


桶狭間の合戦は、なぞが多くさまざまな解釈がされています

最近では、今まで言われてきた通説がかなり違ってるとの説が有力です


信長の兵力は今までに言われてるよりも(信長二千、今川二万五千といわれてます)

かなり多く、今川と同数だったとも言われます



永禄3年5月19日(陽暦1560年6月22日・グレゴリオ暦)という時期は、

ちょうど田植えの時期で、通常は戦をする時期ではないそうです

当時、兵といっても普段は農業をしているものが多かったので。

その時期をおしてまで今川が信長を討ちに行ったのはかなり切羽詰った理由があったようです

さて、きょうはこれで失礼。
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猿投神社

2012-02-12 05:49:17 | 巨樹、巨木
鎌倉街道のことを調べてたら、地図に出くわした

こちらに紹介されてます



左側のものは、猿投神社にあったものらしい。

ならば、行ってみようと出かけた

東名名古屋インターから、30分くらいだろうか、グリーンロードの猿投で降ります

金色の鳥居があり、その後ろに山門、参道が長いです

そこに、そうねぇ、樹齢400年ぐらいだろうか、杉の巨木があります

幹周り、540cm



拝殿です


主祭神は、大碓命(おおうすのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)の双子の兄といわれているそうですが、他にもいろいろな説があるようです

ざんねんながら、地図についてのことは何もわかりませんでした。

でも、相当古い神社のようです(創祀年代は不詳)。




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風レンズ風車発電

2012-02-11 05:50:53 | Weblog
数ヶ月前だったかなぁ、風レンズ風車というニュースを見た

風を集めるという意味だそうです

九州大学の研究だそうです



これ、いいんじゃない。。。

発電効率は従来の3倍、騒音が少なく、目立つので鳥が飛び込まない

ただ、風が強いと回りすぎるので制御が必要とか

風力は風が吹かないと困るという話もあるけど、日本のどこかでは風は吹いてるから

大丈夫という話もある

発電量が多いということは、コストも少ない

広い地域に数多くあれば、災害にも強いし、石油も必要ないしね。

これから、どんどんと増えてほしいね

原子力は利権だらけで実際はコストがべらぼうに高いということがバレた現在、

再稼動は問題点だらけ。

その他の発電も含めて、あたらしいエネルギーシステムができていくでしょうね

楽しみです。




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くだらないけどほしい

2012-02-10 07:33:25 | Weblog
この間の、ドラえもんの腹巻



こういうのをほしいと思う心理を「喚起された欲求」と呼んでおられるのは、

マーケティングコンサルタント藤村正宏さんです


必要ないけど、これいいでしょ  とどこかで見たんだよね

すぐに、ほしいと思った



そろそろ息子の誕生日なんで・・・といってもすでに社会人です

最近は、わざと、「どうでもいいもの」を送ってやる

いかに、くだらないけど面白いものを探すか

あれ?藤村さんの言いたいこととは少し違うみたいですね・・・


まあ、息子がこの腹巻をするとは思えないけどね

おいらならするかも。。。
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鎌倉街道と旧東海道

2012-02-09 07:27:42 | Weblog
信長が、桶狭間の合戦のとき熱田神宮からどのコースで善照寺砦まで行ったのだろう?

当時は、南区あたりは海?だったようです

調べると、名古屋付近の鎌倉街道には上の道、中の道、下の道と三本あるようです

根拠はありませんが、ひょっとすると中の道を来たのかななどと思い、とりあえず

その近くを通って来ました

調べると、現在でも当時の鎌倉街道は所々残っているようです

それを確認するには歩くしかないのですけど、それは断念です

地図で調べました



赤い矢印がその道のようです

さらに詳しく調べたら、かなり複雑に道があるようです

それと、旧東海道があるようです

鎌倉街道と交差するところもあるようです

探しましたけど、まだわかりません


さらに、塩付街道という名前も発見。

もう少し調べてみようと思います


まあ、あちこちぐるぐると回ってきました

村上社というところには、樹齢千年の楠の巨木があります8年ほど前に訪問しています

今回は、時間が無かったのでパスしましたが久し振りに行きたいなぁ

時間が来ました。これにて。
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これほしい!

2012-02-08 07:46:27 | Weblog
注文しよう!

とおもったら・・・




売り切れじゃん

ドラえもん《四次元ポケット》ほかほか毛糸はらまき



他に何かないかな?



これも売り切れ、

ほしいものはすべて売り切れ・・・

意味無いじゃん

更新されるのだろうか?

なんとか手に入れたい。。。


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A Dozen Hugs, a Dozen Kisses

2012-02-07 06:08:59 | Weblog
たまたま、アメリカのギフトのHP見てたら、花のギフトのところに行き着いた

時期的に、バレンタインがいちおしのようです

バラがやはり多いですね、意外なのはチューリップ、これも多そう

たまに、スイーツで、チョコがある。

以前見たときは、もっとたくさんあったんだけど、予約終了なのかな?

目を引いたのが、これ。



イチゴにチョコレートをかけてある

日本人的にはどうなんだろう?


面白いコメントがあった


A Dozen Hugs, a Dozen Kisses with ・・・


ふと、ダズン?ダースと違うんだっけ?

それとも、12 ×12=?

調べたら、ダースと同じとの事

英語ではダースは無いと・・・

それと、「たくさん」という意味にも使われるようです


A Dozen Hugs, a Dozen Kisses

たくさんのハグとキス・・・大変そう。
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沓掛城

2012-02-06 07:50:21 | Weblog
またまた、市場に出荷に行ったついでにあちこち回りました

まず、桶狭間の合戦前に、今川義元が指揮をしていたとされる沓掛(くつかけ)城跡です


当時の動きを簡単に説明すると以下です

************************

永禄3年(1560)5月12日、今川義元は、静岡県の府中を出発し、

5月18日に「沓掛城」に入りました。

今川軍は翌朝19日に織田軍の守る「丸根砦」、「鷲津砦」を攻め、

その陥落はその日のうちに信長の元に届きました。

19日の深夜、信長は幸若舞の「敦盛」を舞い、杯を飲み干し、

それを床に叩きつけると、甲冑を身につけわずかな兵を従えて出陣。

まず信長が向かったのは「熱田神宮」

熱田神宮で戦勝祈願をしたあと、

笠寺、野並、古鳴海を通り、「善照寺」へと辿り着きました。

最初出陣したときの兵はわずか300人でしたが、この時には3,000人になっていました

**********************************


何のことは無い、市場のすぐ近く。しかも、いつも通る道の近くでした



お堀の左側が本丸です

当時、まだ東海道は整備されておらなかったそうで、鎌倉街道と言う道が通っていました

ここから、信長が陣取った善照寺砦まで、この鎌倉街道を通ってみようと思い

出かけましたが、どうも道を間違えたのか国道1号に出てしまいました

気を取り直して、またまた桶狭間をとおり、大高城の付近から善照寺砦に向かいました



小高い丘です



良くわからないけど、桶狭間の方向だと思います・・・大高城かな?

ここから、逆に沓掛城を目指して進みました



が、途中で、なんだこの道昔よく通った道じゃん・・・

名古屋市南区から、東名の名古屋インターに行く道です

その途中から、沓掛に行く道も良く通るのでやめにして、名二環にのり名古屋インター経由で帰りました


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桶狭間の合戦 大高城から

2012-02-04 07:48:43 | Weblog
桶狭間の合戦における資料というのは、調べてみるといろいろな説があるようです

どれが正しいかは、わかりませんが、面白いなと思ったことをあげてみます

まず、松平元康(後の徳川家康)が、今川義元の命令で大高城に兵糧入れを命じられます。

大高城の周りには、織田側の砦が五つあり(鷲津・丸根・向山・氷上・正光寺)、

兵糧を運ぶことはかなり困難といわれているのに、元康は自ら率いる本隊を囮として敵をひきつけ、

その隙に兵糧を運び入れることに成功、自らも大高城入城を果たします。

これが、有名な 元康の大高城兵糧入れなのだそうです

あまりにも、見事なんでひょっとするとすでにこの時、織田側と通じていたのではないかという説もある。


事実、桶狭間の合戦の2年後織田信長と同盟結んでいます


それと、今川義元が亡くなった後、どういう道をたどって岡崎の大樹時にたどり着いたかを調べましたが、

これが以外でした。

どうも、元康の実の母(於大の方)の再嫁先である坂部城(愛知県阿久比町)に行き、

そこで少しの間かくまわれたそうですが、織田方であるため長居はできず、

成岩の常楽寺(住職の洞山和尚は家康の母お大の妹の子だそうです)に入ったそうです。

桶狭間の合戦、本能寺の変から逃れてきたいきさつが書かれた文書が、常楽寺に残っているそうです。

それからの足取りは、まだ調べていませんが、とにかく岡崎の大樹寺に行き着くわけです。



そして、岡崎城から今川勢が出て行った後、「捨城ならば拾わん」と、早々に岡崎城に入ってます。

この時には、今川側から早く城に来いと催促されていたらしいのですが、なぜか行かなかった。

これも、不思議です

まあ、資料が少ないところからいろいろ想像することはなかなか面白いです

これからしばらくは、あちこち行ってみようと思ってます
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ミディカトレア

2012-02-03 06:34:59 | 植物

Slc.Angel Song ‘La la’ ソフロレリオカトレア エンジェルソング ‘ララ’

昨年の秋に買ったのですが、またまた咲き始めてる

どうも、不定期咲きのようです

うかつにも、買った時に花首まで支柱が添えてあったのを見逃した

どういうことかというと、花が咲いたときに正面を向かない

これじゃ、使いものにならないと思っていた


黄色は春を呼ぶ色です

この時期に咲くならば、期待していいナと思う

ちなみに、ラベルには名前が、「C. エンジェルソング ‘ララ’」

と書いてあった。C とは、カトレアの意味です

カトレアだけの交配でこんなミディのサイズになるのかおかしいなと思っていました

検索してみると、

Slc.Angel Song ‘La la’ ソフロレリオカトレア エンジェルソング ‘ララ’

とある。

Slc 
ソフロニティス、レリア、カトレアの交配ということがおそらく正しいと思う



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桶狭間古戦場跡

2012-02-02 06:59:05 | Weblog


桶狭間古戦場に行ってみようと思い、またまた、市場の帰りに寄ってみる事にしました

国道沿いに看板が出ているのは知ってます

とりあえず、検索して調べると、もう一箇所、桶狭間古戦場跡があるみたい

豊明と、名古屋なんですが、距離が近く一説には今川の部隊が大きかったので両方に

またぐとの説も有りますが、本当のところはわからないようです

とりあえず、豊明の桶狭間古戦場跡に向かいました

でも、車を止めるところが無い?

しかも、学校帰りの生徒さんが大勢いたので、前を通っただけでパス。

そこから、住宅街を通ってもう一箇所の桶狭間古戦場後に向かいます

少し、道に迷いましたが、到着



きれいに整備された公園です

この周りには、瀬名氏俊陣地跡とか、戦評の松、神明社、長福寺、などたくさんの史跡があります

案内板を見ていると、家康が通った道というのがあった

少し、南に行ったところの道です

今、地図で調べてみましたが、大高城近くまで現在もあるようです

反対の方向は、良くわかりません。一度通って見たいですね

さて、ならばと、大高城に向かいました

が・・・道が細い・・・

あそこが、大高城跡だとわかるのですが、行けない。

結局、一周しただけ

歩いたほうがよさそうですが、時間もないし帰ることにします

久し振りに、名古屋を縦断しようと名古屋高速に乗らず下道を走りましたが、

だんだんと雪が降ってきて、ついには渋滞

積もる雪の中を、かなりの時間を費やしてようやく我が家に到着。

もう一度あのあたりに行ってみたいですね。
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花押

2012-02-01 04:39:44 | Weblog
徳川家康のことを調べていたのですが、古文書の最後にサインのようなものがあるんです。

気になって少し調べました

これは、「花押」(かおう)といって、文書の末尾などに書く署名とのことだそうな。


中国の唐(8世紀ごろ)において発生したと考えられており、
日本では平安時代中期(10世紀ごろ)から使用され始めたそうです

花押は当初自由に作られていたそうです。

それが、徳川中期ごろから易経・陰陽五行説などに基づいて作られるようになったとか。

作り方は、秘伝だそうな


自由に作ったものの方が面白そうですね

なんで「花」の字が使われてるのか?

どうも、字を崩したときに「花」のようにデザインしたときがあるらしい

推測ですが、そのときの影響でしょう


家康の花押ですけど、時代によって使い分けてるようです



これは元康の文字を使用。



その次は

これは今川義元の花押をそのまま引き継いでいるそうです。
偶然だと思うけど、これってタヌキの後姿に見えない?右の出てるのがしっぽ・・・



 
この花押は家康になってからのもの


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