たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

猿田彦その 18  尾張戸神社古墳

2022-01-02 16:58:37 | 神社
元日の午前中には、尾張戸神社に行きました。ここんところ、お正月恒例です。



尾張戸神社の大麻を頂いてきます。


以前にも書きましたけど、すれ違う人のほとんどが、「おめでとうございます」とあいさつをされるのです。

それも楽しみの一つですね。

でも、ここは標高198m。息を切らして登ります。途中で、後ろから足音が・・・

あっという間に追い越されました・・・若い女性でした

彼女、息も乱れてなくすいすいと登って行かれました。完敗ですね。。。

境内では、火が燃やしてあるのでそこで暖をとりながら氏子さんからいただいたみかんを

食べて一休みです。

神社の説明が書いてあったので、読んでみると、

「頂上の古墳は、白鳥塚古墳と同時期の4世紀前半の築造とされる」と書いてあります。

いろいろな説がありますけど、4世紀前半ならば、サタヒコが伊勢に行った後に

彼が作ったものと思います。

山頂の尾張戸神社古墳は、白鳥塚古墳が完成するまでの間の古墳でしょう。

彦坐王の亡くなったのは、280年頃です。

そのころ、前にも書いたように、垂仁天皇(この時点ではまだ天皇ではありませんね)が、

美濃まで勢力を伸ばしているときには、きちんとした墓を作ることが出来なかったと推測します。

じゃあ何処に彦坐王の墓があったのでしょうか?

その候補地とされるのが、高座神社に行く途中の祠のある所ではないでしょうか。

画像が無いですね。そこからの景色がこれです

この後ろに、祠があるのです。

そこが、彦坐王の最初の墓の場所ではないだろうか?


サタヒコが、16歳ぐらいで父親の彦坐王が亡くなっています。(280年頃)

その後、302年に倭姫を伊勢に連れて行っています。

305年頃に伊勢から帰っています。その頃に尾張部神社古墳が出来たのではないでしょうか。

白鳥塚古墳は、同時進行で築造されたのかもしれません。

そう考えると、違和感がないように思います。















コメント
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