たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

朝廷別王 (みかどわけのみこ)

2019-03-22 07:59:58 | 美濃、尾張、三河の神社とレイライン

父親は、もちろん彦坐王。

母親は、丹波之河上之摩須郞女 (たにはのかわかみのますのいらつめ)

 ちなみに、いらつめとは、若い女子を親しんでいう称のこと

ここでは、丹波之河上之摩須の娘ということでしょう。

丹波から、岐阜まで彦坐王の妻としてはるばるやってきています。

方県津神社に祭られています

その子たちは次の4人です


比婆須比売命 (ひばすひめのみこと)垂仁天皇の皇后

真砥野姫命 (まとぬひめのみこと)

弟比売命 (おとひめのみこと)

朝廷別王 (みかどわけのみこ)




朝廷別王 は、大縣神社の初代と考えます

奥さんは誰だろう?

一番可能性として高いのは、東之宮古墳に祭られている人の娘では?



東之宮古墳についてはこちら

この古墳は、前方後方墳なので、瑞龍寺山頂古墳

と同様、古くからのこの地方をおさめた人と思います。



ウィキペディアを見ると、朝廷別王は以下のように書かれています

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
穂国造(ほのくにのみやつこ・ほのこくぞう)は、古墳時代に宝飯郡に置かれ東三河一帯を支配した

ヤマト政権の地方官(国造)である。

ただしその実態に定説はない。この「国」は令制以前の国造国を指し、後の令制国とは異なる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

父である彦坐王は、東谷山の対岸にある、五社大明神社( 愛知県春日井市高座町1939)

に住んでいたと思います。



訪問したことがあるのですけど、画像が見つからない・・・

この付近、褐鉄鉱が取れるようです。

当時、褐鉄鉱から製鉄したのかそれとも、すず鉄からなのかはわかりませんけど、

製鉄をしていたのは確かと思います。

祭神に天目一箇神(天之御影命)があり、これは、製鉄・鍛冶の神です。

大縣神社にも祭られていました


大縣神社の西にある青塚古墳から見た冬至の日の出は、その五社神社のある高座山頂上付近を通ります。

ただ、これも少し誤差があります。



目視で場所を決めたのでしょうか?それとも、ほかの場所を示しているのでしょうか?

青塚古墳が誰の墓なのかはわかりませんけど、彦坐王と関係があることは確かでしょう。


朝廷別王が、三河の祖ということならば、ここから三河の宝飯郡に行ったことになります。

その先は、三河國一之宮 砥鹿神社(奧宮)ではないでしょうか?

山の名前も、大縣神社のある、「本宮山」と同じなので、朝廷別王が、砥鹿神社まで遠征した

ことは、かなり確立が高いと思います。




おそらく、その途中に滞在した場所には、猿投神社があると思います。




その他にも、いくつかの場所があるようです。

現時点では、まだ、猿投神社の山頂にはまだ行っていません。

寒いからねぇ・・・

まあそのうち、行きたいと・・・かなりきつそう・・・

さて、どうなるのやら。。。

また、それらの場所にもいろいろレイラインがあります。

順次、ご紹介していきます。
コメント
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