たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

喪山

2015-09-13 10:24:29 | レイライン

2箇所の喪山に行ってきました。

まずは、岐阜県不破郡垂井町にある喪山です



2基の円墳か前方後円墳ではないかと言われています

なかなか大きいです

周囲約200m、高さ約40mとのこと

地図です

すぐ南の道(追分の信号のある道)中仙道でした

東山道は、もう少し北よりを通ると思います

喪山のすぐ東から見た金生山です



喪山伝説とは次のような内容だそうです。ウィキペディアより引用します


葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命(あめのほひ)が3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。
しかし、アメノワカヒコは大国主の娘下照姫命と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大神と高皇産霊神は雉の鳴女(なきめ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天探女(あめのさぐめ)が、不吉な鳥だから射殺すようにとアメノワカヒコに勧め、彼は遣わされた時にタカミムスビから与えられた弓矢(天羽々矢と天鹿児弓)で雉を射抜いた。
その矢は高天原まで飛んで行った。その為、タカミムスビは「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とすと、矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。
アメノワカヒコの死を嘆くシタテルヒメの泣き声が天まで届くと、アメノワカヒコの父のアマツクニタマは下界に降りて葬儀のため喪屋を建て殯をした。シタテルヒメの兄の味耜高彦根命も弔いに訪れたが、彼がアメノワカヒコに大変よく似ていたため、アメノワカヒコの父と妻が「アメノワカヒコは生きていた」と言って抱きついた。するとアヂスキタカヒコネは「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。


さて、今度は岐阜県美濃市大矢田にある、喪山天神社です

道中、なるべく東山道に沿うようにして進みました。。。

なので、時間がかかり、到着したときは、すでに薄暗くなってきています。





地図です




拝殿の脇に階段があります




そこを、登っていくと



祠の間には





当時からのものでしょうか?

こちらをご覧ください



古道と描いておきましたけど、なかなか雰囲気の良い場所です

ここから、南にいくと塚原遺跡に行きます。

その途中のやや東には、関市池尻の弥勒寺跡があり、塚原遺跡からそこへの道が東山道飛騨支路ではないかと考えています

話を戻します

まず、前回紹介した観音寺山古墳ですが、こちらから場所を推測するとこのあたりと考えます



そして、冬至の日没のラインは



岐阜県不破郡垂井町にある喪山にかかります


そしてそのライン上には


国分寺


それから、居久良河宮付近をとおります
天神神社は、2箇所あるのですね。もともとは同じところのものでしょうか?

調べると、だんだんわからなくなってきます・・・



ただし、秋分の日のラインを見ると、美濃の喪山とは少しずれがあります



祠のある場所からは、100mくらいでしょうか、南を通ります

ただ単に、偶然なのでしょうか?

それにしては、あまりにもピタリと2箇所の喪山が関係しています

古墳以外の場所で、何か重要な場所があったのかもしれませんね。






蹴っ飛ばした場所が、垂井町で、落ちた場所が美濃、そして葦原中国とは文字通り葦が生えているところ


上磯古墳群のあるところは、葦が生えてそうな場所に思えるのですが・・・妄想しています・・・

この付近だけで、神話が完結してしまいます・・・あくまで妄想です。。。











コメント
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