たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

鳴海城

2012-02-13 05:56:55 | Weblog
またまた、市場の帰りに鎌倉街道を通って鳴海城と、丹下砦に行きました

でも、やはり道が狭い

鳴海城は、善照寺砦の西、すぐ近くです



丹下砦は、北すぐのところにあります

どちらも車止めるところが無いんでゆっくり出来ませんでした

中島砦については、現在民家のようなので行きませんでした。


桶狭間の合戦の一年ほど前の永禄2年に織田信長が今川方の鳴海城を包囲するために

築いた3砦(善照寺砦・丹下砦・中島砦)です

合戦当日、信長は、丹下砦の兵を軍勢に加えて善照寺砦に入り、

鳴海城を攻めている間に中島砦に2千の兵を引き連れ移動したとされています。

攻められた鳴海城の今川勢(岡部元信)は信長側の兵を討取って撃退したそうです。

合戦の後、鳴海城の岡部元信だけは城を動かず籠城を続けて、

その後、討取られた義元の首と城を交換して帰国の途についたと言われています。


桶狭間の合戦は、なぞが多くさまざまな解釈がされています

最近では、今まで言われてきた通説がかなり違ってるとの説が有力です


信長の兵力は今までに言われてるよりも(信長二千、今川二万五千といわれてます)

かなり多く、今川と同数だったとも言われます



永禄3年5月19日(陽暦1560年6月22日・グレゴリオ暦)という時期は、

ちょうど田植えの時期で、通常は戦をする時期ではないそうです

当時、兵といっても普段は農業をしているものが多かったので。

その時期をおしてまで今川が信長を討ちに行ったのはかなり切羽詰った理由があったようです

さて、きょうはこれで失礼。
コメント
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