たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

桶狭間の合戦 大高城から

2012-02-04 07:48:43 | Weblog
桶狭間の合戦における資料というのは、調べてみるといろいろな説があるようです

どれが正しいかは、わかりませんが、面白いなと思ったことをあげてみます

まず、松平元康(後の徳川家康)が、今川義元の命令で大高城に兵糧入れを命じられます。

大高城の周りには、織田側の砦が五つあり(鷲津・丸根・向山・氷上・正光寺)、

兵糧を運ぶことはかなり困難といわれているのに、元康は自ら率いる本隊を囮として敵をひきつけ、

その隙に兵糧を運び入れることに成功、自らも大高城入城を果たします。

これが、有名な 元康の大高城兵糧入れなのだそうです

あまりにも、見事なんでひょっとするとすでにこの時、織田側と通じていたのではないかという説もある。


事実、桶狭間の合戦の2年後織田信長と同盟結んでいます


それと、今川義元が亡くなった後、どういう道をたどって岡崎の大樹時にたどり着いたかを調べましたが、

これが以外でした。

どうも、元康の実の母(於大の方)の再嫁先である坂部城(愛知県阿久比町)に行き、

そこで少しの間かくまわれたそうですが、織田方であるため長居はできず、

成岩の常楽寺(住職の洞山和尚は家康の母お大の妹の子だそうです)に入ったそうです。

桶狭間の合戦、本能寺の変から逃れてきたいきさつが書かれた文書が、常楽寺に残っているそうです。

それからの足取りは、まだ調べていませんが、とにかく岡崎の大樹寺に行き着くわけです。



そして、岡崎城から今川勢が出て行った後、「捨城ならば拾わん」と、早々に岡崎城に入ってます。

この時には、今川側から早く城に来いと催促されていたらしいのですが、なぜか行かなかった。

これも、不思議です

まあ、資料が少ないところからいろいろ想像することはなかなか面白いです

これからしばらくは、あちこち行ってみようと思ってます
コメント
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