江戸時代における431人の切腹事例をあげて、当時の武家社会の有り様をスケッチしたもの。切腹の由来を、鎌倉時代から説き起こし、殉死や名誉のための切腹から始まり、江戸時代には喧嘩両成敗や刑罰としての切腹、政策責任やお家騒動による切腹など、様々な理由から行われたとしている。
その中で、殉死による切腹というのが藩主と男色関係にあった小姓たちの愛情表現であったことや、本来、斬罪や成敗の対象である者が武士であることを理由に自主的に切腹という形をとり体面を保ったこと、ごくつまらぬことであっても切腹に至ることがあったことなどが事例とともに述べられている。
最後に、切腹は臣下の主君に対する忠誠の証であり、藩主の命令は絶対であり、切腹を申し付けられれば、死なねばならず、それが武士としての勤めであったとし、武家社会におけるこうした道徳の下で、隠れ蓑としての切腹が利用され、藩主や重役の責任逃れが横行し、部下が詰め腹を切らされるはめになったとしている。そして、このことは、現在の会社組織でも同様なことが起きており、部下がトカゲの尻尾きりのように首になってしまうことで事件処理がなされていると嘆いている。
もともと、この本の表題に興味を持ったのは、切腹という日本人の究極の行為に関して武士が持っていた個人としての倫理観とか行動観とは何かを知りたかったからで、そんな期待感からすると、通俗的な制度的な視点からの論旨展開と教訓めいた結論はがっかりの一語である。
その中で、殉死による切腹というのが藩主と男色関係にあった小姓たちの愛情表現であったことや、本来、斬罪や成敗の対象である者が武士であることを理由に自主的に切腹という形をとり体面を保ったこと、ごくつまらぬことであっても切腹に至ることがあったことなどが事例とともに述べられている。
最後に、切腹は臣下の主君に対する忠誠の証であり、藩主の命令は絶対であり、切腹を申し付けられれば、死なねばならず、それが武士としての勤めであったとし、武家社会におけるこうした道徳の下で、隠れ蓑としての切腹が利用され、藩主や重役の責任逃れが横行し、部下が詰め腹を切らされるはめになったとしている。そして、このことは、現在の会社組織でも同様なことが起きており、部下がトカゲの尻尾きりのように首になってしまうことで事件処理がなされていると嘆いている。
もともと、この本の表題に興味を持ったのは、切腹という日本人の究極の行為に関して武士が持っていた個人としての倫理観とか行動観とは何かを知りたかったからで、そんな期待感からすると、通俗的な制度的な視点からの論旨展開と教訓めいた結論はがっかりの一語である。
切腹する武士達の心情は、根本のところは結局理解できませんでした。
何のためにしろ最期まで生き延びようとしないということに理解や共感をしたくなかったのかもしれません。
たしかに最後の部分は取って付けたような、本文の内容からしても浮いてたような気がしますね。