座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

サンシュンヅ(三酸図) その3

2008-12-02 | 彫刻
 老子&釈迦?
人差し指でなめたわけね?(笑)




三酸図(さんさんず)とか、三聖図(さんせいず)、三教図、
三教聖人図、吸酢三教図、三聖吸酸の図(さんせいきゅうさんのず)などなど、
とにかく、いろいろな呼び方をしてもいいようです(?)。

O仏教辞典には 「サンシュンヅ(三酸図)」という項目で出ています(p627中)。

私はO仏教辞典が好きなので これを記事のタイトルにしました。



で、この寓話、この仏教辞典によりますと、
宋の佛印禅師が 儒教の蘇東坡、道教の黄山谷と共に 桃華酢をなめた、
というのがもとの話、としているようです。

(日本語が難しくて、推測なんですけど。汗)

(桃華酢って、どんなんでしょう?)

それを 釈迦孔老 三教図などと称するのは 誤りのはなはだしいもの、と
断定しています(汗)。












また、誰がなめても 同じように酸っぱい、宗教が異なっても真実はひとつ、
という見方の他に、

釈迦は「苦い」と言い、孔子は「酸っぱい」と言い、老子は「甘い」と言った、
と解く見方もあるそうです。

それぞれの聖人の人生観を酢の味に喩えて、
この世を苦しみに満ちた世界と観る釈迦、
神や死後を説かなかった実際的な孔子、
自然に則った耽美主義的な老子。

それも面白いですね!

なるほど!です(笑)

これはネットで調べました。






もういちど 昨日の画像を載せてみます。

どうも 通常よりも目じりのしわを目立たせてあるようなので、
3人で「酸っぱい」とやっているのでしょう。



私としては、これを3人でなく4人にして
キリスト教・イスラム教・仏教・ヒンズー教の求める真理が 実はみな一緒、
というのがいいかなあ。

世界の平和とテロの根絶を願って。


                     終わり
                     (桃華酢については不明です。涙)
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4 コメント

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三人 (菜園すの亭主)
2008-12-05 12:55:11
たくさんの考察して頂き勉強になっちゃいます、私の数行の受け売り記事、はずかいい限りです。

ところで、この人たち、時代的に会える可能性があったのでしょうか。
どうも、紀元前5世紀くらいの人たちのようですね。
酢をなめる為だけで、お釈迦さんはインドから出張にきたのでしょうかね、まあ、せめて、宗教会議とかシンポジウムくらいやって欲しいな。
シンポジウムの後に酢をなめたか、前になめたかは、私が思うのに、後になめた場合は、いろいろ論議したけど、酢をなめて、「いっしょだー」て、言って、シャシャシャンシャンと手締めして別れました。
前に、なめた場合は、苦い、すっぱい、甘い、で意見が分れ、論議のすえ喧嘩別れしました。

すみません、バカ言っちゃって
いろいろありがとうございました (座敷ネズミ)
2008-12-06 00:00:40
菜園すの亭主さまの記事があったからこそ、ここまで調べる気になったのです。
いささか、疲れましたが(苦笑)。

三人の表情を良く見ると、
目じりが酸っぱそうですが(笑)、お顔全体は穏やかです。
きっと、シンポジウムの後に舐めたのでしょうね~♪
西洋の方々も 一緒に混ざれば良かったのに。

ところで、イスラム教のムハンマド(マホメット)は東洋でしょうか?西洋でしょうか?
バーレーンとかカタールとか、どうしても東洋には見えないのに、
サッカーで一緒にアジア予選を闘う、
というのが いまひとつ納得がいかない座敷ネズミでした(笑)。
Unknown (Unknown)
2014-03-01 05:52:20
三人の味の感じ方に相違があったことはやはり宗教観の違いでしょうか。以下は自己解釈ですがこの記事を読んで「こういうことやろか」と感じた事を書きました。

最初に、絶対的な事実を的確に伝えようとした孔子。彼がお酢を酸っぱいと言ったのは頷けます。
「五常」の考え方にあるように、どんな世であろうと人として大切なものは変わらぬとし、古来からの伝統を保守せんとした彼っぽい。強さを感じます。

そしてたぶん、最後に口を開いたのは老子でしょうか。本当に酸っぱい酢をなめた後、最後に来るのは酢によって分泌を促された唾液の甘さです。
実際の酢そのものの味を問われたわけではなく、思い思いに「酢をなめた感想」を述べているのであれば、最終的に自身が味わった味覚こそが真の味だとする老子の意見もまた真理。
これは、同じく道教思想家である屈原の「聖人はよく世とともに推移す」の言葉通り、すべては相対的であり、絶対的な正邪善悪など自分自身の主観によって培った思想に比べれば取るに足らないものだとする老子らしい、実に愛嬌のある意見に思えます。

では釈迦はというとおそらく中間か、もしくは老子より後に苦いと発したのではと思います。
上記の二人の思想は少し選民主義的です。人の絶対的な善を主張する孔子も、自由主義的な個を推奨する老子も、あくまで凄まじいセンスとカリスマを持つ天才の意見です。
確かに孔子の言うとおり人としての美徳である「仁や礼」といったものを厳格に守れたら、老子の言うとおり自分自身の思想に絶対の自信を持てたら、しかしそれが出来ないからこそ人生苦々しい。
酢についても、一瞬でやって来て去る酸っぱさよりも、後からジワリとゆっくりやってくる甘さよりも、最も痛烈に印象に残るのは中間にある、口を開けたくなるほどの苦み。
これはそのまま人生についてもそうかと思います。
上記の二人と違い大衆的、と言えば陳腐ですが、真理を追おうとする両者と違い、釈迦は苦しみに喘ぐ大衆を救わんとした存在です。
そんな彼としては「感想」として最も広く大衆に受け入れられるであろう「苦かった」事にこそスポットを当てたことは至極当然なのかもしれません。

お酢一つで三人の思想の違いを考察できるとっても面白い寓話ですね。

自分は人生の酸いも甘いも噛み分けてない若造なのでもっと勉強します。
いらっしゃいませ♪ (座敷ネズミ)
2014-03-01 15:35:16
Unknownさま、ようこそ、お寺のオバチャンのブログへ。

孔子、老子、釈迦。
彼らの発想や発言を 勝手に類推するのも楽しいものです♪
Unknownさまは、「苦い」「酸っぱい」「甘い」と感想が別れた、と解釈なさったのですね。
なるほど、最後に来るのは酢によって分泌を促された唾液の甘さなんですね?
そうだったのか~!
確かに、人として大切なものは変わりませんし、
すべては相対的ですし、人生における苦は貴貧を問いません。

ただ、この欄間における彼らの表情は なんだかとっても楽しそう♪
きっと楽しんで 「人差し指」を舐めたに違いありません。

人生は 酸いも甘いも噛み分けなくっても、充分に楽しく、
生きる甲斐のあるあるものと思っている座敷ネズミでした~。

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