おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

サクリファイス

2023-11-10 06:22:41 | 映画
「サクリファイス」 1986年 スウェーデン / フランス


監督 アンドレイ・タルコフスキー
出演 エルランド・ヨセフソン  スーザン・フリートウッド
   アラン・エドワール    グドルン・ギスラドッティル
   スヴェン・ヴォルテル   ヴァレリー・メレッス
   フィリッパ・フランセーン トミー・チェルクヴィスト

ストーリー
スウェーデンの南、バルト海をのぞむゴトランド島。
かつて「白痴」のムイシキン公爵の役等で大成功をおさめた名優だったアレクサンデルは今は評論家、大学教授として島で静かに暮らしている。
「昔、師の言葉を守って3年間、若い僧が水をやり続けると枯木が甦った」という伝説を子供に語るアレクサンデルだが、妻は舞台の名声を捨てた夫に不満をもっている。
娘のマルタも、小間使のジュリアも魔女と噂される召使いのマリアも、夫婦の不仲には慣れている。
急に姿が見えなくなった子供を探していたアレクサンデルは、突然失神する。
白夜の戸外。アレクサンドルは、自分の家とそっくりな小さな家を見つける。
通りかかったマリアが、自分で作ったのだという。
アレクサンデルが階下へ降りると、テレビでは核戦争の非常事態発生のニュースを報じているが、途中で通信が途絶えた。
アレクサンデルの口から、初めて神への願いが発せられる。
「愛する人々を救って下さい。家も、家族も、子供も、言葉もすべて捨てます」と誓う。
マリアを訪れたアレクサンデルは、彼女に母の思い出を話し、抱き合った。
朝、目覚めたアレクサンデルは、光の中、神との契約を守るべく、自らを犠牲に捧げる儀式をはじめた。


寸評
アンドレイ・タルコフスキーはこの作品が完成した1986年の12月に54歳の若さで亡くなった。
そのこともあって僕はアレクサンデルはタルコフスキーの分身で、彼に自分の思いを託したのではないかと思う。
この作品ではアレクサンデルの独白の形で彼の絶望が何度も語られる。
彼は技術革新が人類の幸せのためではなく暴力と破壊のためのツールを人類に与えたと思っており、現代の物質文明に絶望している。
彼は精神的な豊かさや安寧こそが人類にとって重要であると思っているから、現代社会ではそれを求めることは至難の業になっていることへの絶望である。
彼は著名な舞台俳優として、また歴史や美学に造詣のある知識人として尊敬されているが、俳優が行うような語ることの無意味さを感じており、言葉そのものを否定している。
それを肯定するかのように存在しているのが息子の少年で、彼は喉の手術を受け言葉を発することができない。
自分自身を否定しているのはアレクサンデルだけではない。
彼の妻も自分の願望と行動とは一致せず、一番愛した人と結婚したわけではないと述べる。
友人の医者ヴィクトルもまた、これまでの人生を捨てオーストラリアに移住しようとしている。

アレクサンドルは核戦争による世界の崩壊を恐れている。
彼は愛する家族や友人を戦争という暴力で失うことを恐れる。
一番愛していた息子が父親を驚かそうとしたときに彼を傷つけてしまう。
暴力が一番愛する幼い子供を傷つけてしまうという象徴的なシーンだ。
象徴的な存在は召使のマリアだ。
マリアと聞いて思い浮かぶのは聖母マリアである。
召使のマリアは聖母マリアの分身としてアレクサンドルに身体を与えて救おうとする。
ベッドが空中浮揚する超現実シーンが用意されている。
アレクサンドルは物質的なものの象徴である家を燃やす。
彼は約束に従って、この家という大事なものを神に献げ、家族と友人を守ろうとする。
僕は忍ばせた拳銃で自殺をするかと思ったが、どうやら狂人扱いされたようだ。

少年は言葉を発することが出来るようになり、「はじめに言葉があった」とつぶやき、「パパなぜなんだ」と疑問を持つのだが、アレクサンドルは言葉ではなく心で神とつながったのだろう。
見終ってそのようなことを頭の中に浮かべたのだが、映画は難解である。
何よりも面白くない。
映画は何らかの形で面白いものでないと、見るのが苦痛となってしまう。
僕は苦痛だった。
全体的に画面は暗く、カメラは静かにパンし、流れるように移動していきワンシーンが長い。
時間の割にはカット数は少なかったように思う。
その映像には見るものがあったが、眠気を誘ってしまう内容はどうしようもなかった。
カンヌは評価したかもしれないが、僕には評価の対象外の作品に思えた。


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