おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

金環蝕

2019-04-21 09:41:26 | 映画
「金環蝕」 1975年 日本


監督 山本薩夫
出演 仲代達矢 三國連太郎 宇野重吉 京マチ子
   高橋悦史 中村玉緒  山本学  神山繁
   内藤武敏 中谷一郎  安田道代 加藤嘉
   峰岸徹  夏純子   大滝秀治 久米明
   北村和夫 鈴木瑞穂  前田武彦

ストーリー
昭和39年5月12日、第14回民政党大会で現総裁の寺田政臣は、同党最大の派閥酒井和明を破り総裁に就任したが、この時、寺田は17億、酒井は20億を使った。
数日後、星野官房長官の秘書・西尾が、金融王といわれる石原参吉の事務所を訪れ、二億円の借金を申し入れたが、石原は即座に断り、星野の周辺を部下と業界紙の政治新聞社長・古垣に調査させ始めた。
政府資金95%、つまりほとんど国民の税金で賄っている電力会社財部総裁は、九州・福竜川ダム建設工事の入札を何かと世話になっている青山組に請負わせるべく画策していた。
一方、竹田建設は星野に手を廻して、財部追い落しを企っていた。
ある日、星野の秘書・松尾が財部を訪れ寺田首相夫人の名刺を手渡したが、それには「こんどの工事は、ぜひ竹田建設に」とあり、首相の意向でもあると言う。
その夜、財部は古垣を相手にヤケ酒を飲んだが、古垣は財部の隙を見て首相夫人の名刺をカメラにおさめた。
昭和39年8月25日、財部は任期を一カ月前にして総裁を辞任した。
新総裁には寺田首相とは同郷の松尾が就任し、工事入札は、計画通り竹田建設が落札し、5億の金が政治献金という名目で星野の手に渡された。
数日後、西尾秘書官は名刺の一件で、首相夫人に問責され、その西尾は自宅の団地屋上から謎の墜落死を遂げ、警察は自殺と発表した。
昭和39年10月6日、寺田首相が脳腫瘍で倒れ、後継首班に酒井和明が任命された。
昭和40年2月23日、決算委員会が開かれ、福竜川ダム工事の参考人として出席した松尾電力会社総裁らは神谷の追及にノラリクラリと答え、財部前総裁は、古垣と会ったこと、名刺の一件を全て否定した。
一部始終をテレビで見ていた石原は、星野らが自分を逮捕するであろうことを予測して対策を企てるのだが…。


寸評
これがアメリカ映画だったら多分実名で制作されていたのではないかと思われる政治劇だ。
もちろん汚職とか権力争いとかに係わる政治と財界の癒着に係わる暗部の部分である。
実名を当てはめると話は分かりやすい。
寺田首相は定期検診で癌が発覚した池田勇人であろう。
となれば京マチ子の寺田首相夫人は池田勇人夫人の池田満枝さんがモデルということになる。
したがって、後継首相となった酒井は佐藤栄作だ。
宇野重吉の石原は吹原産業事件で逮捕された森脇将光であり、仲代達也の星野官房長官は立件を免れたものの事実上失脚した黒金泰美となる。
殺されたと思われる山本学の西尾内閣秘書官は自宅官舎屋上から転落死したとされる中林恭夫がピタリと当てはまる。
三國廉太郎の神谷代議士は田中彰治で、田中は後に小佐野賢治国際興業会長を脅迫して手形決済を延期させたとしてたとして逮捕されている。
汚職の対象となっている九州の福流川ダムは福井県の九頭竜ダムのことで、竹田建設は鹿島建設、青山組は
間組のことだろう。
そんな風に推測してみても、浮かび上がってくるのは政界と財界の癒着ぶりで、描かれた内容を補足するに足るもである。
金環蝕で見られるように、また冒頭で語られたように、周りは輝いているが中は真っ暗な金環蝕現象と同じだと言う事に変わりはない。
それほど、政界と財界の間には庶民には推し量れないドロドロとしたものが有ると分かる。

金融王の石川参吉や日本政治新聞社の古垣常太郎など、なにか現実離れした登場人物を配してエンタメ性を高めているかと思っていたが、調べてみると彼等にもモデルがいたのだから、現実は恐ろしい。
しかし、その現実の怖さ、恐ろしさ、無気力感などといったものは少し描き方に迫力を欠いていたと思う。
国家権力は無実の者を抹殺することなど平気でやりそうだし、僕などが冤罪で逮捕されたら抗うすべを知らない。
映画「KT」にみられるようなことが実際にも行われているのだということは、実際の現場を見たわけではないが信じさせるものが有るのだ。
この作品では、そんな恐怖感が乏しい。
古垣の真の暗殺指示者は誰だったのか、真の実行犯は誰だったのか、指示者と実行犯の関係はどうだったのかなどは闇の中である。
現実にもそれは闇の中に葬り去られたのであろうが、それを描いてこその映画ではなかったかと思うのだ。
山本薩夫監督は実録物とも思える作品を何本か撮っているが、「白い巨塔」や「華麗なる一族」などに比べると、そのエンタメ性は乏しいように感じる。
現実を意識しすぎたのかもしれない。
作中で法務大臣に「現総理に前総理を追及させるようなことは避けたい」と言わせているが、日本映画が年数が経ったとしても実名でそれを描くことを避けているのは、死者にムチ打たない国民性が影響しているのだろうか?
何食わぬ顔で弔辞を読む総理の姿に嫌悪感を抱くまでに至っていなかったように思う。 惜しい!


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2 コメント

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「金環蝕」について (風早真希)
2023-06-29 09:47:43
この映画「金環蝕」は、全編ブラックユーモア的な喜劇調で山本薩夫監督が描いた政治風刺ドラマですね。

この映画「金環蝕」は、東宝配給ですが、当時、再生した大映製作の「わが青春のとき」に続く2作目となる作品で、石川達三の同名小説が原作であり、題名の金環蝕というのは、"まわりは金色の栄光に輝いて見えるが、中の方は真っ黒に腐っている"という意味から来ています。

昭和42年2月の決算委員会で取り上げられた、九頭竜川(映画では福流川)ダム建設落札問題を素材に、それに先立つ自民党(映画では民政党)総裁選挙の資金問題を巡る舞台裏の人間模様を、山本薩夫監督は、全編ブラックユーモア的な喜劇調で描いています。

「白い巨塔」「戦争と人間」「華麗なる一族」と、一連の告発映画に執念を燃やしてきた山本薩夫監督は、長い間、この映画の企画を温め続けてきたといいます。

そして、当時の田中金脈が世間で騒がれていた関心の高まりが、興業的な面からも企画化に踏み切らせたと言えるのかも知れません。

政治映画としては、コスタ・ガブラス監督の「Z」「告白」「戒厳令」や、ダルトン・トランボが脚本を書いた「ダラスの熱い日」等がありますが、それをフィクションとして描くか、ノンフィクションとして描くかによって、その意味合がかなり異なってくると思います。

ノンフィクションで、例えばウォーターゲート事件をドキュンタリー風に追う限り、その視点と責任は明確であり、映画的にはその事実を的確に、うまく描くかどうかにかかってきます。また、フィクションによって、政治的な立場を、一般的に明らかにする事も当然、出来ると思います。

そして、映画である以上、フィクションによる味付けは避けられないにせよ、フィクションかノンフィクションかが判然としない扱いをする場合、シナリオが良いと、部分的な事実を点在させる事が、全体を事実そのものとして我々観る者に、強く印象づけるという効果を持つ事を忘れてはいけないと思います。

この事は、「ダラスの熱い日」についても言えましたし、また、それを喜劇調で仕上げたとしても、それは、企画に伴う責任回避のテクニックだと言える場合もあるのではないかと思います。

この映画の田坂啓のシナリオは、政治ドラマとして、確かに観ていて面白く、優れたものだと思いますが、しかし、この映画の喜劇調は、チャールズ・チャップリンの名作「独裁者」に見られる、痛烈で率直な批判とは違って、何か陰湿で、モデルやプライバシー問題を回避するためのもののように感じられてなりません。

この映画に登場してくる人物を見れば、その風貌からも、我々は明らかにそのモデルを推察する事が出来るのです。
学歴もなく、たたき上げの金融王の石原参吉(宇野重吉)は、森脇将光がモデルで、その人間的なライバルとして出て来る東大卒で大蔵官僚出身の官房長官、星野康雄(仲代達矢)は、黒金泰美。そして、マッチ・ポンプと言われた決算委員会の爆弾発言男、神谷直吉(三國連太郎)は、田中彰司というように。

石原参吉と星野康雄の対決が、この映画の大きなテーマになっていますが、仲代達矢演じる星野を、エリートの持つ紳士然とした、冷酷ないやらしさを強調して描いたとしても、却ってわざとらしくて、むしろ反対に、星野が心に秘めた、総理に対する人間的な献身の情に、仲代達矢の演技のうまさ、巧みさによって、心に響くものを感じてしまいます。

この山本薩夫監督は、その思想的な立場の影響からか、どうも人間の一人一人を生のままに見つめる前に、人間関係を画一的に割り切る、一つの冷たい図式が隠されているように思えてなりません。

何と言っても、このような映画が作れるという事は、自由な社会である事の証拠だと言えますが、観た後の感想は、観た人それぞれで意見の分かれる映画だと思います。
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映画における実名 (館長)
2023-06-30 07:20:22
日本映画では実名で描かれることが少ないですね。
アメリカ映画では実名で描かれることが多いように思うのですが・・・。
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