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「養生訓の世界」:その4=四季を楽しむ人はしあわせ

2018年12月01日 | 本・文芸
「養生訓」では自然については人間もその中に位置付けながら心身を保つことを説いています。その自然については、それぞれの趣を五感で味わう楽しみについて、別な書「楽訓」で細かく書いています。
 私は『日本の名著:貝原益軒』(中央公論社刊)所収の「楽訓」を読みました。この書は枕草子の言葉を引用したり、漢詩を引用したりして、四季の移り変わりを楽しむ心の余裕が人生を豊かにすることを説いています。
以下はその中から私なりの大要と感想です。

春。
 早春は、「四季の始め、空の景色もようやく変わり 東風が緩やかに吹いて氷が溶け、遠い山辺にかすみのたなびいていたのが薄れ、様々に物がさやかに見えて、 冬の空と変わった装いはまず春のきた明らかなしるし」と、遠景に目をやります。
 続いて「草木は萌え出てみな色を生じ花を待つ様子も和やかな気配があってうれしい。」と足元に目をやります。そして枕草子を思い起こしながら、「〈春はあけぼの〉と故人が言ったのももっともだ。」と待ちに待った春を記しています。
 やがて、「梅の花や鶯の初声から桃、李、桜と花がすっかり盛りになってくるころには、人々の心も浮き浮きしてくるようです。漢詩にも〈春宵一刻値千金、花に清香あり、月に陰あり〉と詠われているがその通りと思われる。」と、花鳥諷詠がもっともな時と春の楽しさを伝えています。

夏。
 初夏、「鶯は老鶯と言われるようになり、時鳥が鳴きはじめる。辺りの緑もさまざまな色合いになってくる。」
夏も深まると、「緑の色の深い夏木立は花にもおおかた劣らない。」田植えが始まったり、蛍が出たりする中、橘の匂いも漂い始める。
 また夏山をながめ、「青々として高い連山が雲の外にそびえ立つのを心ゆくまで眺めるのは優れて爽快である 。」として身近なことから遠くの景色までも気づかせてくれます。
 しかし、「清少納言は夏は夜、と言ったが年寄りにとっては 蚊がいるので耐え難い。」というのはおもしろいと思いました。今より低温だった江戸の夏でも、蚊などの発生の条件はいっぱいあったのでしょうとね。今は蚊でなくても酷暑が身に応えますが。

秋。
 初秋。「秋が来ると 初風が涼しくふいて 草木のそよぎ秋の声が至る所になびいて聞こえるのは初春の風と違って」と、秋が心身にしみいる気の到来としています。
 コオロギの鳴き声が聞こえ始め、やがて、さまざまな花が咲き始める。木の花が多い春と違って秋は草花が多い。
その中で、菊は百花に遅れて咲き始め、全ての花と時が違うばかりか色、形、香りともことに優れて艶やかであるから 愛されるに違いない。
 このような動植物に表れる秋に加えて、秋は空気が澄みわたり、高く朗らかで月日の光も明らかである。」と視野を広げます。
 そして「秋の月や夕暮れの景色が特にすばらしいし、薄暮時の風や虫の音は心にしみる。昔中国の人も、良い季節は春か秋か、決め難いというのも分かるほどだ。晩秋になり、枯れ果てている風景もものさびしい。」と続けています。物みな萌える春に比べて、多彩な趣と実りの秋を比べて皆さんはどちらが好きでしょうか。ネイチャーゲームの時の始めにやる自己紹介ゲームでも、好みが伯仲している季節ですが。

冬。
 「冬になると、火を入れた火鉢もだんだんと離れにくくなる。春、夏、秋のあでやかな景色、装っていた様子が皆この時に至ってつきるので山の空もこんなに変わったかと驚かれる。  
 雪の積もった朝には銀世界になって、世界が変わったようである。夜の澄み切った月も素晴らしい。」と、今までとまるで違ってしまう冬の感じを書いています。江戸時代の冬は今と違ってかなり寒いと思われます。そのうえ、暖房機器はもちろん限られているのですから。  
 年末は「日数も残りが少なく暦の軸も見えてきて春はすぐ隣にまで来ている。 年の終わるのは惜しむべく、歳の重なるのは嘆かわしいが、新しい年を迎えるのはめでたいことだから喜ぶべきであろう。」と。このような感じはいつの世も同じようで、私にとっても実感ですし、大方のみなさんも同感されるのではないでしょうか。

 また、このように枯れ果てているかのような冬の季節を益軒が次のようにとらえているのはとても共感できます。
「春は生じ夏は長じ秋を収めるというような作業が冬にはなく、月日は移ろっていく。
 冬は美景もなく四季のうちで無為の季節に見えるが 実は 春夏秋の美景を産んだ作業がこの時に停止して、一年の大功を終えて、残った元気を深く貯蔵して来るべき春のもととしているのだ。 その理を含んでいるのがこの季節である。一年の成功の終わりにあるだけでなくまた来る年の発生の恵みを含んでいるのが冬である。」
 まさに古今東西を問わず「冬来たりなば春遠からじ」を想起させられ、つい人生への応援歌としてもとらえてしまいます。

 
 以上のような貝原益軒の「楽訓」に見られるような四季の自然への思いは、そのまま現代の私たちへのメッセージであるような気がします。感性をいっぱい使って自然に関わり、自然の素晴らしさに気付く人は幸せですよと。
 
 過日、先生方と自然と生活科についてまなぶ機会があり、ある哲学者と教育学者の言葉を紹介しました。両者とも、自然を体験する大切さを伝えていました。特に現代人は五感が劣化しているのではないかと問い、外の自然を五感で感じて、その積み重ねが内なる自然を引き出し豊かな人生に導いてくれるという趣旨のことを指摘していたのでした。
 忙しいと言われる先生方だからこそ自然を感じる機会が必要だと思ったことでした。

 最後に益軒の言葉。
 「四季の移り変わりに感を起こす人は、感情豊かである。あわれみを感じる人はこれによって悲しみ、道理に通じた人はこれによって楽しむ。景色は同じでも見る人によって艶にも凄くも思われるのだろう。」

 *括弧の引用も私が意訳したあるものがあります。次回は「読書・旅」
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1 コメント

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養生訓 (ねこ)
2019-01-07 22:54:36
冬に見る山々の朝焼けはまた格別ですね

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