【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

続 Missing ~友 被災地域で行方不明~

2011年03月16日 21時46分35秒 | ニュース
結論から書くけど、昨日心配した人から連絡があった!!

もっと本当のところは、実は昨日の記事を書いているときは
もうその状況下にあったのだ。
なんでそれを見つからないままのものを書いたのかというのは、
何も面白がってではない。そこまでこの状況下で質の低いことはしない。
1つには元々昨日の時点で友人の不明のことを書くつもりだった。
だから時系列に沿って、分けたかったということなのだ。
それはいわゆるWEB上にあるので誰でも見に来られる物ではあるのだけど、
やってる目的はプロフにもあるように個人の履歴だから。
なので心配の日々の話と、連絡がついた話を一緒にするのは
あまりにも温度が違いすぎるし、文字も膨大になってしまうので。
だから分けたのだよ。もしかして後々個人の冊子にするかもしれないしね。
だから本当に生存未確認のままに書いていたらもっと辛らつな感じで
心情をいろいろ書いていたと思う。それが無かったのは生きていたから。

昨日の9:00過ぎだった。
薬を飲んだ後に赤十字のページでの行方不明者検索を探して
当該者の名前を探していた。その名前を仮に「山田花子」とする。
そうしていると家電が掛かってきて「もしもし山田です」というのだ。
私の親しくしている山田は山田花子しかいないのだが、
こっちもこっちで精神的に少し参っているせいか、
「あぁこの検索をしたので、山田という誰かがかけてきたのか。
アナタの探している山田はどういう人ですか?とか山田一族として
何かのフォローとかいろいろあるんだろうな。そういう仕組みなんだ」
こんな、頭大丈夫か!?というようなことをイメージしていた。

だけど、それを本人からだと解ったのが3秒後ぐらいで、
でもまだこのシステムは、検索すると神様が本人と繋いでくれる
魔法のシステムなんだ!!!とまだどっかおかしなことを考えていた。

それでもその声は間違いなく本人なので、
「凄いな!今赤十字の検索してたらかかってきたんだよ!!」と
こっちがどんな状況だったのかを説明していた。
向こうに話させればいいのだが、私も凄く興奮していた。
だけど向こうもその不思議に驚いていた。

まず当日は、昨日書いたとおりに、ペットにウサギを飼っていて
その爪きりに行こうかと思っていたらしいのだ。
だけど虫の知らせなのかなんとなく気が乗らずに行くのをやめて
あの瞬間は家に居たらしいのだ。
勘のいい人はわかっていると思うのだが、
元々かみさんと兜町で一緒に働いていたということは、
東北が地元ではないのだ。
だから地元の人だったら一軒家だったかもしれないが、
そうではないので一軒家の可能性は低いのであるのだ。
回りくどいが、そういう背景もあって、比較的新しいマンションに
住んでいたのだ。なので倒壊も崩壊も無かったのだ。
しかも津波は直接はギリギリ来なかったのかもしれないが、
高さもあったために、仮に来ていても回避できた高さだったのだ。
それだけに津波の被害は受けることは無かったのだ。
でも高さがある分、震度6強の揺れをおそらくは7とかの揺れには
感じていたことも間違いはないと思う。
家の中はぐっちゃぐちゃで、家具などの物も自分自身も
ごろごろ転がるようにあっちこっちに揺さぶられぶつけられていて
あちこちあざだらけだがそれ以上の大怪我はしなかったらしい。
ただ5強ぐらいだと変な話結構慣れっこで「あ、まただ」と
思えるぐらいなのだが、さすがに「もう死ぬかも?」と思ったらしい。

マグニチュードは地震の規模だが、震度は表面の揺れだから、
6強の揺れ、室内では7程度の揺れはさすがに経験が無く、
5強などのそれとは確実に違う凄いものだったらしい。
私の住むエリアは埋立地域なので地盤が緩く、
必要以上に揺れるのだが、そこで経験した5強でも、
きっと6以上というレベルはこの世の終わりを感じる恐怖の揺れなのだと
想像でだが思うしかないのだなと感じた。

思えばうさぎは臆病な生き物で、寂しいと死んでしまうといわれている。
あの揺れだとさすがにショック死しているのではないかと思って、
そこは聞くことは出来なかったが、意外にも普通にしているらしい。
揺れているときはさすがに落ち着かなかったが、
揺れが終わってからは、飼い主も落ち着いているためか、
ウサギも特にそわそわはしていないらしいのだ。

さらに気になるのは旦那だった。
彼は南相馬のほうまで仕事に行っている。
何をどうしたのかは解らないが一緒に家に居るらしい。
もちろん当日は一人でウサギと過ごしたらしいが。
だから何十キロももしかしたら歩いて帰宅したのかも知れない。
なにせ4号と6号と分かれるのが相馬あたりだが、
南相馬は6号のほうで、より海岸に近く、海岸沿いといってもいい感じの
国道なのだ。無論ほかにも道はあるだろうけど、より震源に近いので、
津波の被害で瓦礫の山をずっと歩いていかないとならなかったはずで、
沢山の埋もれた方や、亡くなった方も見ながら進んだのかもしれない。
その辺は詳細解らないが、そんな思いをしつつ名取に戻ったのだと思う。
さらに心配された被爆も無かったそうだ。

そんなことでウサギまで入れた2人と1羽は無事だったのだ。

ただ電気もガスも水も止まっていて、
暖房器具はおそらくエアコンだけなのか寒いといっていた。
どこから掛けているのかというと、緊急ダイヤルらしい。
こんな私とこんな話していていいのかね?
でも被災者本人が話したいのだからある程度はいいかと思った。

# あ!また本人から今TELが!電気が繋がったらしい!
# だから家電は繋がったらしい!!
# ということは、津波で持っていかれなかった地域ってことか?
# 繋がるのは既設の設備があるからだよな?
# それとも自衛隊の発電設備とかでなんだろうか?
# 今はかみさんとの時間だから横から聞けないわ。

だから本当はかみさんと話したくてかけてきたんだろうに、
「オレで悪かったなぁ。1時間前に嫁も娘も出かけちゃって、
薬飲んだ半病人しか今うちに居ないんだよ」っていうと、
「いいのよいいのよ!」ととても嬉しそうに話してくれた。
(今来たTELでかみさんとは30分近く話してたからヨシ)

やはり震度が凄かったことだが、津波のことはあまり言ってないので
津波は届かなかったのかもしれない。海沿いの町だが海っぺりには
住んでないので。
旦那が帰ってからは、避難所にいくことも考えたが、
避難所もピンキリのような感じもあり、
物資が届く避難所なのか、暖が取れる避難所なのか、
明かりがある避難所なのか、トイレがある避難所なのか、
その詳細な環境下もわからないし、
テレビである被災者の人が言っていたが、
避難所のリーダー的存在の力量の差によって雲泥の差があるというのだが
もしそれが本当だとしても、そのように差があるので、
どこに言ってもイメージ通りのものだとは思えないので、
もしかしたら破損も少ない自分らの家に居たほうが、
食い物も電気も水も無いけど、いいかもしれないと判断し、
家に居るらしいのだ。
一応被災していない店舗があって、そこから少し買えたらしいが、
やはり当然あるものが無くなればそれで終わり。
買ってきてもお湯すら沸かせないので、水と食料には困ってる。
でも懐中電灯とラジオは買ってきたらしい。
そんなのをこんなに良く揺れる地域で準備してなかったのか!?
そうも思ったけど、後の祭りだし、言っても仕方ない…。
ともかくそんな感じで現在家に居るとのこと。
それだととりあえず寒くても自分らの布団はあるし、
それは避難所の1~2枚の毛布よりは全然いいと思う。
ただ物資がもし届いた場合に、当然個別の家なんかに来るわけも無く、
タイミングを見計らって貰いに行ったりなどをしないとならず、
そういう部分だけは、避難所のほうがタイミングは逃さない。
それで悩んだのだが、結局は家族だけで静寂が得られる自宅を
選んだということもあったようなのだ。

なので自宅に居るのなら何か送ってあげたいけど、
今は道路が無くなりその確保も出来ず、
高速は一般車は入れないし、運送便もそっちには回れない。
だから食い物を送ってもくさるだけなので、
ぬか喜びかもしれないが、ヘリコプターからの物資の投下も
行うような話もあるし、確定的なのは50数カ国の救助隊が手を上げて
米国の空母がヘリの基地になったりのために沖合いに来たし、
どこにどう入るかは解らないけど、外国のチームはもう結構来ていると
話したのだ。するとやはりテレビで見るのと同じことを言っていた。
「何よりも情報が無いので情報が欲しい」と。
ラジオでいろいろ聞くけれど、良くわからないことも多いし、
今どういう手が差し伸べられているのか、
必要に思っているものを今後手に入れられるのか、
それはどこにいけば良いのか。ここでじっとしていて
全てが充実するわけも無く、だからこそ焦りみたいなものがある。
そんなようなことを言っていた。

# 私がそっちの海岸沿いは津波でみんな持っていかれて壊滅状態だと
# 話をしたけど、テレビが点いて初めて見て、
# 想像以上の荒地状態に改めてショックだといってたらしい。

さらに恥の部分も伝えないわけには行かなかった。

それとこっちはこっちで5強という大半の人が初めての大きな揺れを
体感して、少なからず精神的被災者にはなってる。
それに加えて原発の問題も影が大きいし、
節電や計画停電などで通勤もままならない毎日で、
2時間早く出たのに会社に着くのがお昼ごろだとか、
行きは良かったが、帰りは電車が止まっているとかで、
みんな必死で精神状態を保って、平常を作っている。
でも結構へとへとなんだ。
そして地震直後は大きいものは2回で済んでいるので
まだ来るとは言われつつも、そんなこと無かったのだが、
物流が一部数日止まったりして、入らないものを見たり、
いつもあるものが少ないと思えば、パニックになる人が居て、
必要以上の買占めをやりだし、それを見て心が弱い人は誘発され、
黙ってみていてはバカを見るかのように、
我も我もと今必要なく、来週なら必要になるかもしれないものまでを
買いあさりで、実はこっちもものがないんだよ。
仮に送れる環境にあっても、今は物がないんだ。と伝えた。
それはラジオでも言っていてなんとなく解ってたとのことだった。
うちも米が無くてあと3合で終わりなんだけど、
買いに行ったら近隣の売り場の全てに無いんだと話した。
それは海外が忍耐強く秩序の日本人は高貴であるという評価が
略奪などまで無いものの非常に恥ずかしいよと話した。
だから今はまだ災害のオンタイムであるから
多くの手が差し伸べられない。
丸腰のボランティアが入れるのは、安全宣言が出てから。
そうでないと足手まといや被災者を増加することにもなりかねない。
だから行く気満々の人は大勢居るけど待ったが掛かっている。
なのでしんどいだろうけど、もう少し頑張ってもらうしかないとも
話した。おおむね原発が落ち着けば復旧の扉が開きそうだと。
(なのに原発はメルトダウンも見えてきていて…)

最後に又会う日を楽しみにしてるぞ。といってTELを切った。
昨日のブログはこの5時間後ぐらいに書き始めたのだった。

そしてかみさんが帰って来て、この話を聞かせた。
(娘にも学校から帰って来てすぐ教えた)
もちろん一報で一言メールは入れておいたが、
休憩時間にメールは返って来たものの、
詳細話すには時間も足りないので、帰って来てからと出し惜しみした。
そんな話をして、我が家としては久々に笑顔のある夜だった。

だが・・・・・・・・・

災害もまだ終わらない中、そんな幸せをかみ締めて、
徐々に小さくなってきた余震とその減ってきた回数で、
安心して眠れる夜になりそうな気がしていた。
ほっとしたこともあり、睡眠不測もあり、私も早く寝たかった。
でも昨日は22:30ごろに緊急地震速報がテレビで鳴った。
(地震災害時にテレビが見られるかどうかの一番大きな違いがコレ)
するとあまり時間をおかずに揺れだした。
だから比較的近くでの震源だとわかった。
でも結構揺れだした。結果としてこっちは震度3だったが、
比較的長いこと揺れていて、4ぐらいあったような感じもした。
それは暫く1~2が多く、長くも揺れていなかったのでそう感じたのかも。
でもかみさんと娘はコレも節電でもあるし、
22:00前には床についていたのだ。
私も23:00前には遅くとも寝ようと、そのときは明日の計画停電の
時間帯はいつなのかの確認をするのにネットを見ていたのだ。
(どうもうちの場合は東電のPDFはエラーで開かないのだよ)
それも確認が出来たかできないかの頃にこの揺れでは、
又この余震もあるのかとか、少し大きいのが続くのかとか、
かみさんと娘を安心して寝かせるために寝られなくなってしまった。
家族全員寝ていて寝ぼけていては間違った行動しそうだし、
それが本当の深夜ならそれでやむなしだけど、22:00台だったから…。

しかもますます寝られない要素が。
なんと震源は富士山の静岡側の袂ジャン!!!!!!(◎_◎)
コレはヤヴァイぜ~~~!!富士山を刺激したぜ~~!!
結構静岡も震源となって揺れるけど、富士山の地下が震源って
まず聞いたこと無いぜ~~~!!!と噴火までもを想像した。
だから数時間は様子見に起きてないとならないと感じたのだ。
凄く眠いので、時折カクンと落ちるのだが、
逆にその瞬間は、大きく揺れた!!!と思って、心臓をバクバクで
目が覚めることを何度と無く繰り返し、
深夜1:00ごろになり5回ぐらい同じ震源で揺れたけど、
現地で1~2ばかりだったので、これは震源地もプレートも
今までのものとは違うので、ただの単発だったのだと、
太平洋プレートの大幅な活動でひずまされたフィリピンプレートが
そのひずみを弾いたのではないかと勝手に推測して、
多分起こされないで眠れるかもしれないという期待をして寝たのだった。

おかげさまでなんとかそんな感じで昨日の夜も寝られて朝を迎えた。
今日ももうじき昨日大きく揺れた22:30に近づいている。
かみさんと娘は30分前にはもう寝てしまった。
(今日かみさんは休みだったので夕飯も早くできたこともあり)
私も明日の計画停電の時間は把握できているし、
これをUPしたらもう眠りたい。
でもそう思うと、地震の揺れもこっちは小さめ。
暖も取れれば、計画停電以外は電気も明かりもある。
なんにしても静寂な環境と暖かい布団がある。
当たり前のなんでもないようなことがとてつもない幸せで、
(まさに ♪何でも無いようなことが~幸せだ~ったと思~う~)
被災地域の人たちに申し訳ないと思ってしまう。
だけど全員で幸せなのはコレはいいことかもしれないけど、
全員で病んでしまったり、落ち込んでしまっては、
誰も救済側に回ることが出来ない。それは凄い不幸かと思う。
だから心身ともに元気なものが居ないといけないし、
それらが経済を回し、物資を生み出し、被災地域に送れるものを
生産していかないとならない使命がある。
だから医者の不養生はいけないのだ。だから健康を維持しないとならない。
半病人が言うなって感じだが、それでもこう言いたい。

最後に余談だが、本日ついに計画停電になった。
一瞬テレビで中止といったので油断してたら、
予定時刻を10分過ぎたあたりで「バツン」という音とともに、
このPCもテレビも一気に消えた…。
都心は麻痺も困るから落ちないんだよね。
まぁその役割は担ってやるって。都内でも郊外の住居地域だしね。
それに地方は優先的に停電してんのに、
東京がまるで避けられ続けていたら、やっかみとか不満の声も
大きく上がるだろうし、だからうちの地域は仕方ないって思ってるから。
実際停電して静かだし、昼間だと町を眺めてもわかりづらいけど、
確実にいつもと違う感じはした。
特に40年ぐらい前はよくあった停電を殆ど経験していない世代には
いろんなことを感じるためにも(特に贅沢だって気づいてないこと)
いい経験だと思うので、そういう肥やしになってもらいたいと思う。
本当はこの話は明日書くつもりだったが、
テレビも徐々に普通の放送をするようになってきたので、
明日は一般的な話にしようかと思って、今日書くことにした。
実は変なリサイクルの売ってくれって言う訪問もあったんだけどね。
それももしかしたら明日部分的に書くかも。
義捐金詐欺もあるし油断できない。一種の火事場泥棒は地獄へ行け!

# コレを書いて、修正するのにUP後に見ていた22:40頃。
# 今日もこの時間に地震かいっ!!
# もうやめれっっっ!!!!
# 福島辺りが震源で震度3?
# それでこっちがこんなに揺れんの!?
# 4とは言わないが3はあったぜ!?
# ・・・あ、やっぱり震源地付近は4か。。。
# もうそろそろ落ち着いてくれよ東北方面は!
# 東京は震源が東北で揺れて、関東で揺れて、新潟や長野で少し揺れて、
# 静岡でも揺れて、一番揺れまくりかも知れんのだよ!!
# 被害大きい人が何万人も居る中でこんなこと言いたくなかった!
# だからもう甚大な被害の東北だけでも沈静化してくれ!
# 小さかったのは結果論で、又大きくなるかもという恐怖観念が
# 本当に凄いのだよ。被災地の子どもたちが精神的に参っているのを
# 何名か見たけど、こっちの子どもたちもでは、
# ↑で書いた健康なものが居ないと、励ますことも出来んのだよ!!
# 地球に文句言っても仕方ないけど、吐かないとストレスだぜよ!!
# 緊急地震速報が無かったので凄く驚いた…。

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