恵庭事件と言ってもピンとくる方は少なかろう。1962年に北海道恵庭町の
自衛隊島松演習所に隣接する酪農家が、長年にわたって戦闘機や大砲の騒音被害を受け
両親はあいついで体調不良になり恵庭を離れ、乳牛の乳量が激減して若い息子が
二人で必死に農場を守っているが、再三自衛隊に改善を申し入れるも無視され続け、
我慢の限界として演習場の通信線を切断した。これを検察は刑法の器物損壊ではなく、
刑罰のより重い自衛隊法121条の「防衛の用に供する物」を切断したとして起訴した。
映画はこの実情から始まって3年半にわたる法廷闘争の実態を詳しく描く。
稲塚監督は北海道生まれでこの事件が起こった時高校生であったが強い衝撃を受け
関心を持ち続けた。50年後この事件の膨大な裁判記録を手に入れることができて
それを詳細に読み込み映画化した。
まず、自衛隊法は本来自衛隊員を律する法律であるはずなのに、民間人に適用された
ことからして異例であり、国は自衛隊を公然の存在として国民に印象付けたい意思を
顕在化した。弁護団は全国から主に30歳代の弁護士が40名あまり参加して構成され、
自衛隊は憲法違反であるという観点から論陣を張る。自衛隊が憲法違反であるからには
自衛隊法も無効であり、無効の法律によって起訴されることはありえないと主張する。
最初の公判時の裁判官は青法協(青年法律家協会:護憲派の法律家の団体)の裁判官
だったので、違法な手続きでの裁判は続行できないし、違憲審査権をもってしてでも
被告の権利を守るのが裁判官のありようだと述べる。青法協が出てくるところにも
時代をよく表している。この発言から危険視されたのか次回以降は別の裁判長の下に
3人の裁判官の合議制で進行する。公判は40回にもわたり憲法問題と若い兄弟の生活権を
衛るひたむきな闘争と検察側の自衛隊を憲法違反とする判断を攻撃する熾烈な攻防が
描かれる。
論告求刑の日、検察は論告書を必要部数用意もせずに新聞社にリークしていた。
そのことが明るみに出て弁護団は法廷侮辱だと息巻く。裁判官も腹に据えかねたのだろう。
論告求刑を禁止した。これは弁護士にとっても異例中の異例であった。
そして、いよいよ判決の日、事前に書記官から様子を聞き出した弁護士によると
長時間かかりそうだとの情報から、憲法問題に踏み込んだ長文の判決文が作成されて
いると想像するのだが蓋を開けてみると20分程度の簡略なものであった。
主文被告は無罪。判決理由は被告が切断した通信線は自衛隊法121条にある「防衛の
用に供する物」にあたらなとの苦肉の理論付であった。自衛隊の違憲論については何一つ
触れていない。肩透かし判決と揶揄されたが、いつの場合も裁判所は高度に政治判断を
含む問題は司法の場に馴染まないと逃げてきた。しかし、青法協の裁判官が参加していた
にしては合議制とはいえ納得しがたい思いが残った。
検察は被告人無罪にもかかわらず控訴もしないで憲法論議が避けられたことを喜んだ。
関係者には判決の直前に判決文が差し替えられたのではないかとの疑いがもたれた。
裁判長(辻三雄氏)は最晩年に娘に当時の事情を書き残していて娘さんが公表した。
それによると上からの圧力があってああするより他なかった旨の葛藤が記されていた。
自衛隊島松演習所に隣接する酪農家が、長年にわたって戦闘機や大砲の騒音被害を受け
両親はあいついで体調不良になり恵庭を離れ、乳牛の乳量が激減して若い息子が
二人で必死に農場を守っているが、再三自衛隊に改善を申し入れるも無視され続け、
我慢の限界として演習場の通信線を切断した。これを検察は刑法の器物損壊ではなく、
刑罰のより重い自衛隊法121条の「防衛の用に供する物」を切断したとして起訴した。
映画はこの実情から始まって3年半にわたる法廷闘争の実態を詳しく描く。
稲塚監督は北海道生まれでこの事件が起こった時高校生であったが強い衝撃を受け
関心を持ち続けた。50年後この事件の膨大な裁判記録を手に入れることができて
それを詳細に読み込み映画化した。
まず、自衛隊法は本来自衛隊員を律する法律であるはずなのに、民間人に適用された
ことからして異例であり、国は自衛隊を公然の存在として国民に印象付けたい意思を
顕在化した。弁護団は全国から主に30歳代の弁護士が40名あまり参加して構成され、
自衛隊は憲法違反であるという観点から論陣を張る。自衛隊が憲法違反であるからには
自衛隊法も無効であり、無効の法律によって起訴されることはありえないと主張する。
最初の公判時の裁判官は青法協(青年法律家協会:護憲派の法律家の団体)の裁判官
だったので、違法な手続きでの裁判は続行できないし、違憲審査権をもってしてでも
被告の権利を守るのが裁判官のありようだと述べる。青法協が出てくるところにも
時代をよく表している。この発言から危険視されたのか次回以降は別の裁判長の下に
3人の裁判官の合議制で進行する。公判は40回にもわたり憲法問題と若い兄弟の生活権を
衛るひたむきな闘争と検察側の自衛隊を憲法違反とする判断を攻撃する熾烈な攻防が
描かれる。
論告求刑の日、検察は論告書を必要部数用意もせずに新聞社にリークしていた。
そのことが明るみに出て弁護団は法廷侮辱だと息巻く。裁判官も腹に据えかねたのだろう。
論告求刑を禁止した。これは弁護士にとっても異例中の異例であった。
そして、いよいよ判決の日、事前に書記官から様子を聞き出した弁護士によると
長時間かかりそうだとの情報から、憲法問題に踏み込んだ長文の判決文が作成されて
いると想像するのだが蓋を開けてみると20分程度の簡略なものであった。
主文被告は無罪。判決理由は被告が切断した通信線は自衛隊法121条にある「防衛の
用に供する物」にあたらなとの苦肉の理論付であった。自衛隊の違憲論については何一つ
触れていない。肩透かし判決と揶揄されたが、いつの場合も裁判所は高度に政治判断を
含む問題は司法の場に馴染まないと逃げてきた。しかし、青法協の裁判官が参加していた
にしては合議制とはいえ納得しがたい思いが残った。
検察は被告人無罪にもかかわらず控訴もしないで憲法論議が避けられたことを喜んだ。
関係者には判決の直前に判決文が差し替えられたのではないかとの疑いがもたれた。
裁判長(辻三雄氏)は最晩年に娘に当時の事情を書き残していて娘さんが公表した。
それによると上からの圧力があってああするより他なかった旨の葛藤が記されていた。