>かわら版16号ー1
かわら版の津波体験者には良く知っている方が登場する。筒井尊治郎さんとは震災以前に作業場で何度か「飯岡和船」について話を聞いた。
3年前、これが最後になると言って一艘の手作り和船を自宅に届けて頂いた。今回、葛飾区博物館で展示された和船である。震災で作業場(筒井造船所)は全壊し道具類が流されてしまった。
和船には設計図が無く経験という手探りの営みが製造と言われる。飯岡和船、最後の船大工、筒井さんを記録に留めて置きたい。
かわら版の津波体験者には良く知っている方が登場する。筒井尊治郎さんとは震災以前に作業場で何度か「飯岡和船」について話を聞いた。
3年前、これが最後になると言って一艘の手作り和船を自宅に届けて頂いた。今回、葛飾区博物館で展示された和船である。震災で作業場(筒井造船所)は全壊し道具類が流されてしまった。
和船には設計図が無く経験という手探りの営みが製造と言われる。飯岡和船、最後の船大工、筒井さんを記録に留めて置きたい。
筒井造船所は下永井の海岸に近く、10坪ぐらいの小さな建物であった。そして、切れ端や作業工具などが散乱し戦場のような作業場であった。
昭和30年代で終わった和船の原型は江戸後期、飯岡の浜で作られたものとほとんど変っていないという。
年が明ければ間もなく震災2年目を迎える。新年号の裏面は被災した地区の区長さんから、町内の現状報告をお願いした。区長会長さんの協力で3回に渡り報告を予定している。
被災前は少子高齢化の只中でにあった街である。震災は出口が見えない未知の地域に突入した予感を告知している。恐らく、何れの区長さんも戸惑いながら将来の姿を画いているに違いない。
目先の利害に奔走した選挙風景も去り、震災2年目の3月11日をどう迎えるか、考える時期になった。昨年は数日前からの雨で会場は泥まみれであったのを思い出す。こうした経緯を踏まえ円卓会議に素案を諮った。
二つほど考えを提案した。地元と歩む「語り継ぐ」姿勢と地域に人を呼び込むカタチを創り出すことである。
前者は地区の区長会の協力、後者は「希望の鐘」の設置になる。