ゆずり葉塾

ゆずり葉塾は、きわだつ個性いっぱいの小さな塾です。

学力低下について

2006-09-20 00:02:37 | 塾長独白
 先日、次世代ゲーム機がどこかの会場で一斉に発表され大盛況だった。今のゲーム機だって驚くほど良くできているのだから、その上っていうのはどうなるのかと思ってしまう。
昔、ある王様が大人も子供も我を忘れて夢中になる玩具を発明した職人の首をはねた、なんて本当だか嘘だか知らない話を何かで読んだことがあったが、その王様は娯楽の功罪を知っていたのかもしれない。
 塾には「びっくりノート」というのがある。生徒たちの珍談奇聞ならぬ珍答奇問を記すノートだ。たとえば国語で「安穏な砦」という表現が出てくる。「砦って知ってるよね?」「うん、神社にあるやつでしょ。」「それは鳥居!」「鳥が入っているカゴよ。」「………。」「手抜かりはないか。」の手抜かりは?「手の垢。」語感はわかる気もする。駐在所は?「駐車場。」宿直は?「宿題を直すこと。」金物は?「楽器のこと。」これは全て中3の授業での発言だ。
 最近の日常生活では「駐在所」などという言葉を使うことがなくなったのは事実だが、少し前の童話や物語には見かける語だと思う。国語ばかりではない。地理では「メキシコ湾ってどんな国?」と聞かれ、川は海から内陸に遡って流れる。日本列島はひょうたん島のようにプカプカ海に浮かびその下を鯨が通り抜ける。理科では太陽が東から上ると答えられるのは半数、月にいたっては大部分が西から上ると答えるし、星は天を動かない。自分だって子供の頃はとんちんかんな思い違いをたくさんしていたし、今だって己の無知に顔を紅らめること頻りなのだから偉そうなことは言えないが、でもやはり自分の子供時代よりも語彙や生活体験が希薄になっているような気がしてしまう。
 テレビやゲームは本当に良くできている。娯楽としての巧緻を極め、見るものを飽きさせないという点においてはもはや完成の域に達しているのではないか。すごい。あの面白さには学校のどんな授業も文学も対抗するのはほぼ不可能なのではないか。莫大な予算と人知を駆使して作られた快楽に、活字を追ったり行間を想像したりなんて面倒くさい作業を強いる紙っぺらが勝てるわけないのだ。「家に居ても本を全く読まないんですよ。あのコ、漫画も読みませんからねえ。テレビとゲームにばかり夢中になって。どうしたらいいんですかねえ。」「はあ、どうしましょうねえ。」答えようがないのだ。参った、一人勝ちだよ、もういい加減、これくらいで満足して開発努力をやめたらどうだ。
でもテレビやゲームはさらに進化するだろう。少し大きめの水中眼鏡みたいなものをかけて自分が画面の中の世界に入り込んで遊べる3Dの機器なんかすぐにできてしまいそうだ。究極は「水槽の脳」のパラドクスと言われるやつだろう。僕らの人生は実は「水槽に浮かんでいる脳が管理人に刺激されて作られている幻想に過ぎない」と仮定しても否定できない。よくSFで出てくるのだが、脳を電極か何かで刺激して実際の感覚、臭いや痛みすらも実際に体験させてしまうという話だ。棺桶みたいな箱に入ってコードがたくさんつながれたヘルメットをかぶる。するとそこはもう別な人生の舞台だ。現在の人生と等価で、しかもあらゆるジャンルの中から好きなものを選択できる。ハリーポッターだろうとビルゲイツだろうと、お好みの人生そのものが味わえる………テレビやゲームはそんなところまで行ってしまうのかもしれない。皆が棺桶に入っているシーンは不気味ではあるけれど。
 

1 コメント

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勉強になります (通りすがりの者)
2010-07-29 14:33:42
大変興味深い内容です。
勉強になりました。

ちなみに
金物「楽器のこと。」
確かに間違ってはいますが、
クラッシュやシンバル等
金属でできた打楽器を「金物」と呼びます。
俗称ですが、楽器奏者の間ではかなり一般的です。
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