金魚が4匹

2010年7月にボストンから日本へ帰国。でも、相変わらずな日々です。

生きてるもののために

2008年03月23日 | 日々
叔母が亡くなったので、鹿児島へ。
今日は雨でした。
鹿児島ではお葬式のときの雨を「島津雨」と呼ぶらしくって、
亡くなった方の悲しみの涙だそうです。
叔母も雨女だったので、「最後まで、雨降ったね…」皆で涙しました。


ここ数年、まあ、そういう時期なんでしょうけれど、
親戚が亡くなってます。
いろんなお葬式にも出たんですが、
みんな仏教で、浄土真宗でした。
なので、お坊さんのお経は白骨の抄だし、お説法も似てます。


生きてるものは亡くなった方があの世でつらくないかと思うが、
それは逆で、あの世は仏の世界なので、つらい事は何もなく、
この世に生きる者の事を、亡くなった方が心配してるということ。
現世では私達は肉体に縛られ、苦しむが、死ぬと肉体から開放されて、
自由に飛びまわれるということ。
死んであの世に行く事より、この世で生きる方がつらい事であると言う事。


まあ、大体そんな感じです。
お葬式のたびに思うんですけれど、宗教って、つくづく、
生きてる人間が、生きてる人間の為に作ったものだなあと感じます。
死への恐怖や残されたつらさを解消するために、生まれた考え方なんでしょうね。
そう思わないと生きていけないから。


今日のお坊さんの話では、
「この世に生きる事は、肉体に縛られて~~」ということが、メインだったので、
「じゃあ、私の職業って、仏教的にはダメじゃん。
なんとか無理やりにでも、この世につなぎとめようとしてるのにさ~~」
と、不満でした。
もっとちゃんと話せば、此の世に生きる意味とか教えてもらえたんでしょうけれど。
でもお坊さんだって、病院行くよね~~?
お坊さんは死にたくないって思ったりしないんだろうか??


宗教って、やっぱり私には良く分かりません。
死後の世界には悩みも苦しみもないらしいんですけれど、
やっぱり死にたくないと思うのは、いけないのかなあ。

最新の画像もっと見る