朝から雨の1日となった。ご復活祭。(イースター)教会へは行けなかった。イグナチオ教会のミサにネットで参加することにした。日本人にはわかりにくい「復活」の話だ。遠藤周作さんが「復活」と「蘇生」と違うと書いていた。そのレベルで私は理解した。
ここ3日で村上春樹の「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」を読み上げた。気になっていた本だが、なかなか読む時間もなかった。村上春樹の世界が好きだ。この作品も読んでいると主人公たちの時代に引き込まれていく。それは不思議なことで、一緒にいるはずのない大事な人とともにいるような気がしてくる。同じように本を読んでいるというのか。
「そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で田崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ・・・」そんな一節がある。「ノルウェーの森」以来私が村上春樹を好きなのは(作品にもよるが)この魂の底の部分の正直さではないだろうか。描写のうまさか場面を想像しながら読み進めることができる。行ったことのないフィンランドの世界も。
この本を読んで、さらに心が静かになった。そして、リフトの「巡礼の年」を聞いてみた。時空を超えて、私はなにかと繋がっているという確信をえた。