湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

撫で撫でして、すりすりして、きつく縛って

2006年10月30日 | 自転車生活
えっとまずはちょっとだけ昨日のエントリーについて。

昨日のエントリーのなかで、僕はさも自分がツーリング的な峠越えにしか興味を持っていないような書き方をしてしまったような気がするのですが、少し時間がたってみると、あれはあれでもちろん間違いではないのだけれども、「それだけではないよな」という気持ちにもなってきました。ヤビツや箱根旧道ばかりでなく、もっと他の峠でもスポーツ・クライム的な走り方をすることがあるわけだし、そういうとき僕が苦痛とともにある種の“快感”を感じているのも事実なので。

じゃ昨日のエントリーは何だったのか?要は僕は底なし沼的なタイムだけの世界には入っていかないぞ、と自分のなかであらためて確認しておきたかったのだと思います。タイムによって自分が強くなっていっていることを確認できるのは素直に嬉しいし、個人的にはやはり意味があることなのだけれども、悪魔が手招きし合うような領域(どういう領域かについてはあえて触れない、ただタイム目的の走りそのものが悪いと思っているわけではない)には決して入ってはいかない。そういう自分のスタンスをはっきりしておきたかったのだと思います。でもってそうした自分のスタンスをはっきりさせた上で、ヤビツ峠に感謝の意を表したかったのです。まわりくどいというか、少なくとも自分にとってはすっきりしないエントリーになったのでちょっと補足してみました。

さて、気持ちを切り換えて本日の本題へ。



上の写真ではわかりにくいと思いますが、雨ざらしにされたり、転倒の際にアスファルトに打ち付けられたりして青ポタ車とともにひどい人生を送っていたブルックス・チームプロを先日ブリヂストン号につけてみました。この革サドルを見るたびに少々心が痛んでいたのも事実ですし、せっかくの革サドルをこのまま朽ち果てさせてしまうのはあまりに不憫に感じたのです。

青ポタ車から取り外して約10日間は準備期間としてオイルを塗りこんだあと、広がってしまったサイドを少しでも元に戻そうときつくヒモでしばっておきました。その10日間のあいだは、テレビを見たり本を読んだり音楽を聴いたりしながらふと気づくと、そんな状態のサドルを手にとって「いままで悪かったなぁ」とサドルの表面を撫で撫でしていたりしたことが何度も。全然良い状態に復活させることはできなかったのですが、この10日間でこのサドルにたいしてかなり親密な気持ちが生まれたような気がします。



そして、ようやくブリヂストン号にこの革サドルをつけて走ってみれば、信号待ちなどの際にやはり、まるで女性の体のいろいろな部分に愛おしく触れるような気持ちで「少しは自分のお尻に馴染んだかな?」なんて思いながらついサドルの表面を撫で撫でしている自分が・・・。そんなに早く馴染むわけないのに。

でもって走っているときは走っているときで、当然お尻でこのサドルの感触を楽しみます。少し前後にすりすりしてみたりして、「やはり革サドルは優しい乗り心地だよなぁ」などと悦に入ったりしています。こういうのって結構アブナイよなぁなどと感じつつ。でも実際一枚皮のサドルの乗り心地って、どこかホッとさせられるところがあるんですよね。

それから帰宅してからは少しでもサドルに良い癖をつけてあげるために



古いストラップできつく縛ってあげます。

いま僕はこのように、撫で撫でしたり、すりすりしたり、きつく縛ったりしながら、この革サドルと毎日を過ごしております。いままで虐待といってもおかしくないようなひどい仕打ちをしてきてしまったこの革サドルも、きっとそのうち心をひらいてくれるのではないかと思っています。そしていつぞや、見てくれは悪くとも、僕のお尻にフィットした素晴らしいサドルになってくれるのではと期待していたりします。

これから春まではこのブリヂストン号で標高差を稼ぐようなツーリングはしないと思うので、少々の重量差は気にせずしばらくこの革サドルで走ってみるつもりです。ただ標高差はともかくとして、早くサドルを馴染ませるためになんとなく長い距離を走りたい欲求が生まれてきたりも。とりあえず12月に予定している房総紅葉ランのときはこのブリヂストン号で出かけようかな。

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