湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

気づかなかった風景

2012年06月10日 | 自転車生活
 もう10年くらい前になるのだろうか。学生時代の自転車仲間と都内のフットサル大会に出場したのだけれども、その打ち上げでひとりの先輩が「最近ロードに乗って大井埠頭をぐるぐる走っているんだよ」と言ったのだった。一緒にツーリングや山登りにたくさん出かけた先輩のそのことばが当時の僕はまったく理解できなかった。それで「え、そんなの全然面白くないじゃないですか」と素直に言ってしまったのだけれども、先輩から返ってきたこたえは「いや、これがなかなか気持ち良いんだよ」という本当に楽しげなものだった。

 ツーリングのことばかり考えてきた人間にとって、景色を求めず速く走ることを追い求めることは、どこかつまらない行ないのように思えたりするのではないか。もちろん皆が皆がそんなふうに思うわけではない。ただ僕のなかには確かにそういう気持ちがあったし、おそらくこうした気持ちにちょっとは心当たりのある方もいらっしゃるのではないかと思う。ただそういう僕が速く走ることを望んでいなかったわけではないし、草レースのようなものがあったときは結構必死に頑張ってしまったわけだから、矛盾に満ちたひとつのポーズのようなものだったのだろう。

 その矛盾に満ちた意識は結構長く僕のなかに根付いていたような気がする。というか、今もきっとどこかに根付いているはずだ。練習?いや普通に楽しみながら自転車乗って、結果速く走れるようになるのが一番だよ。みたいなことを僕はずっと考えていたし、だから意識的な練習みたいなことにはあまり積極的にはなれなかった。言い換えれば、本音では速くなりたい気持ちがあっても、いつもどこかで逃げ道を用意していた。それはツーリングがどうこうということだけでなく、努力しても期待していたような結果がついてこなかったらという恐れでもあったのかもしれない。

 ただ速くなりたい気持ち、強くなりたい気持ちが無視できないものになりはじめると、そうした今までの考えがとても邪魔になってきた。というか、その考えを改めなければ強くなんかなれっこないし、練習の成果なんてでっこないと思うようになった。どっちつかずの中途半端な気持ちでたまに練習みたいなことをしたって、効果は限られている。集中して、意識してやるからこそ効果があるんだという当たり前のことに本当に気づいたのは、MTBやボルダリングの影響も大きいのだけれども、多分今年に入ってからだと思う。

 大井埠頭をぐるぐる周回するのが楽しいと言った先輩のことばは、もうだいぶ前から理解できていたと思う。自転車の楽しみがいろいろな方向に広がっていくなかで、それは理解できるようになっていた。興味がないことに興味を持ったり、楽しいと思えなかったことに楽しみを見出したり、まさかそんなに熱中するとは思っていなかったことに激しく熱中したりということが起こりうるということは歳を重ねれば誰もが経験することなのではないか。自転車の楽しみ方が思いもよらぬ方向に広がっていく中で、そしてその他のことに関しても以前まったく関心のなかったことに関心を持ったりするようになって、頭の柔軟性にかける僕もようやくそのことに気づいたのだろう。

 2月半ばから続けている近場の坂練。以前は絶対にやりたくないと思っていたことだ。でもやり続けるなかで、少しずつ楽しみが見い出せるようになってきた。もちろんきついし、嫌だなと思って練習をしていることだってもちろんある。でも、「なるほど」という小さな発見もたくさんあるし、こうやって小さな努力を重ねていくことじたいが自分にとって必要な、意味のあることだったのだと思ったりもしている。上ったり下ったりしているなかで、僕が周りの景色を楽しんでいるかといえば正直あまり自信ない。でも、僕は確かに今まで見えなかった、気づかなかった風景に気づきはじめている。それはそれでまた違った自転車の楽しみ方に触れられたということだろうし、僕にとってはとても素晴らしいことなのだろうなと思えるのである。強くなるとか、速くなるとか以上に。今回こんな感じの練習が続けられているのはそんなふうに思えたからだと思う。

 ただ、そろそろもう少し違う楽しみ方したいぞ!とかなり切実に感じはじめたりもしているんですけどね(汗)。ずっと僕を励ましてくれている例のクライミングの本によるとそれはそれで当然の感情らしいし、そうした休息は絶対に必要らしいのでちょっと安心しているのですが。