湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

納豆

2008年05月19日 | 日常生活
 男のひとり暮らしには、納豆と牛乳となんとかが必須だとどこかで読んだことがありますが、僕も納豆よく食べます。栄養云々は言うまでもなく、あまり自炊できずに消費期限が少々過ぎても普通に美味しく食べられるのもとてもありがたいです。よく言われることですが、元々腐ってるようなものだから。あまりに時間がたつと、にきびみたいな変なぶつぶつが出来て味落ちちゃいますけど、それでも食べられないことはありません(もちろん限度はありますが)。

 そんなありがたい納豆ですが、よろしくないなぁと思うのが食べ方。男のひとり暮らしだから、というかきっと性格なのでしょう。面倒で、ここ何年ものあいだ小鉢にうつすことなく、もともと入っている容器のなかでかき混ぜてそのままそこから食べちゃってます。ときどき箸の先でぶすりと容器に穴を開けてしまったりしますが、納豆のねばねばした特性ゆえ、ちょっとくらいの穴であれば大事に至らないのも安易な気持ちに拍車をかけているような気がします。

 しかしながらここ最近、やっぱりこれじゃいかんよなぁと思いはじめました。こういうのは納豆の食べ方に限らず、他の多くの物事にも通ずるのだろうなと今更ですが少し不安に感じはじめました。そんなわけで、この1週間くらいはしっかり小鉢にうつして食べているのですが、これがなかなかによろし。よりしっかりかき混ぜられるので味も良くなりますし、視覚的にも美味しさが微増するような気がします。そしてそこから得られる満足は、明らかに小鉢を洗う手間を凌ぎます。というわけで、これからはきちんと納豆は小鉢にうつして行儀良く食べることにします。あえて宣言するようなことではありませんが。。。

 そういえば納豆の食べ方と言えば、沢木耕太郎のエッセイにこんなことが書かれていたのが思い出されます。ある大女優と食事をした際、納豆が出てきた。するとその大女優は小鉢からすべて白いご飯の上にうつし、そこでご飯とともにかき混ぜはじめたのだという。そこで沢木耕太郎は思う。納豆って家族以外の人と食べる機会はほとんどないので、きっと食べ方にもいろいろな方法があるのだろう。しかしそれにしても目の前の大女優と、この納豆の食べ方のギャップはいかがなものか。。。

 考えてみると僕も子供の頃はこんな納豆の食べ方をしていたように思います。でもいつの頃からか、少しずつご飯の上にのせて食べるようになりました。ただ僕は思うのだけれども、大女優のその食べ方にびっくりはしたものの、沢木耕太郎は同時に惹かれたりもしたのではないかと思います。確かにあまり上品な食べ方ではないとは思うけれども、どこかぐっときたのではないかと思います。まったくの個人的な推測ですが。

 もうひとつ個人的な推測でありますが、向田邦子さんなんかも僕と同様、パックから納豆を食べてしまうタイプだったのではないかと思います。納豆についてではないけれども、つくったものを鍋からそのまま食べてしまうみたいなことが書いてあったので。以前そのエッセイを読んだあとに、インスタントラーメンを鍋からそのまま食べてみましたが結構つらいものがありました。スープを飲もうとしたら唇が火傷したりしたし。。。

 なんだか、無意味に文章が長くなってきました。納豆ゆえ、かき混ぜるほどネバネバが。。。

 関係ないですね。というか、意味不明。